本格的な冬到来~

・・・寒いです。

 

この日の「お目当て」は、外歩きを少し控えて、

京都市内にある二つの博物館&ギャラリーを訪ねること・・・

さて~。

 

正月明けで、ガラ空きの京都駅。

まずは、駅ビル7階の『美術館「えき」KYOTO』で開催中の

RAKU MASAOMI 彫刻家 楽雅臣 展」です。

 

エントランスに茶器「焼貫黒楽茶碗」(?)

・・・雅臣氏は、十五代・楽吉左衛門氏の次男なのですネ。

 

・・・どちらかというと、

初代・長次郎や本阿弥光悦の「黒楽茶碗」、「赤楽茶碗」は良いのですが~

精々、三代・道入の「黒楽茶碗」までで、

金彩や銀彩を使っているのは、どうなのでしようか~。

 

で、オニキスや黒御影石(ジンバブエ産?)を用いた作品が展示されていました。

 

 

 

スクリーン越しに観るのも幻想的で、雰囲気がありましたが・・・

 

 

お昼まで少し時間がありましたので、

「大階段」を上がって市街地展望したり、

「空中回廊」から「京都タワー」観たり・・・。

 

 

「おばんざい」で空腹を満たしたあと、

地下鉄・烏丸線で「御池」に・・・。

 

以前から、気になっていた「京都伝統工芸館」。

南丹市園部町にある専門学校で、

陶芸、仏像彫刻、蒔絵や建築デザインを学ぶ学生の卒業制作などの展示品と製作実演を観ることができました。

(※ 内部の写真撮影不可とのこと)

 

烏丸通りの斜め向かいにある「池坊」には立寄らず、

手前の三条通り、

「みずほ銀行京都支店(旧・第一銀行)」、

 東に進んで、東洞院通の交差点に「中京郵便局」の前を過ぎて

 高倉通交差点にある

「京都文化博物館別館(旧・日本銀行京都支店)」に入り

 

中庭、本館ろうじ店舗の出格子をみつつ「楽紙館」を経由して

 

 

「分銅屋足袋」のところから堺町通を上り(北に進み

 

永田萌さんの「ギャラリー妖精村」

原画展を開催中~、あと数ヶ月で無くなります。

 

堺町通を下がって(南に進んで)、

老舗「INODA COFFEE」本店で、大休止。

 

本館と別館の間の路地。

 

三条通界隈には、

明治・大正・昭和の様々な時代の近代西洋建築がそこそこ有って、

その間に町屋が残っていたり、真新しい現代の建物が有ったりして

・・・そうした建築物が『混在』しているにもかかわらず、

「古都・京都」とは異なった

それなりの雰囲気があり,

歩いていて 楽しめるところです。

ただ、近年、

観光客などの人通りやクルマの通行が増えてしまって・・・残念です~。

 

この日、神仏を参拝していなかったので、

御池通りに出て、

京都市役所、「本因坊」発祥地を経由して、

 

 

寺町通を上り、「行願寺(革堂)」、「下御霊神社」で参拝

 

 

 

御所の近くまで来てしまいましたので、御苑に入り、

「仙洞御所」から

 

 

御所の「建礼門」、

 

 

「蛤御門」の鮮やかに残る銃痕

(「蛤御門の変(禁門の変)」で、長州が御所の入口を堅守する会津・薩摩・桑名藩に放った弾の痕?)

 

 

烏丸通に出て、護王神社。

祭神は、和気清麻呂とその姉・広虫

~ 足腰の平癒・安全健康にご利益

・・・ 和気清麻呂が、宇佐八幡宮に向かった際

    (「宇佐八幡宮信託事件」?)、

どこからとも現れた猪300頭が道中を無事に案内した。

その時、悩んでいた足萎えが治ったとか~。

 

拝殿の前、左右に狛猪・・・♀? ♂??

で確認~。なるほどネ~WnWn・・・。

 

霊木「飛翔親子猪」

 

烏丸通を下って、「有栖川宮旧邸」

・・・屋敷は、建礼門の前に建てられていたのを明治時代になって移築したそうです。能舞台の間もあるとのことです。

正門は、大正時代の初めに三井家の表門として建てられたのを戦後に移築したもので、仲秋の名月の夜に吉井勇が李白の詩から「青天門」と名付けたそうです。

 

「アグネス教会聖堂」

・・・ガーディナー設計。明治31年建築。

 

「大丸ヴィラ」

・・・ヴォ―リーズ建築事務所の設計。昭和7年建築。当時の大丸社長の住宅。

 

漫ろ歩きは、ここまでにして、

「大丸ヴィラ」横から地下鉄に乗車。

 

この日、16320歩。

 

こんなに歩く予定でなかったのだけれど

「楽雅臣 展」の展示作品が少なく、

同じような造形で変化がなかったので

直ぐに退散したことで時間に余裕ができ、

 

天気予報が外れ、陽射しが有って風はなく

歩いていて気持ち良かったこと・・・

(手の指先は冷たいけれど体は小汗)

で、歩いてしまいました。

※ 気の弱い方は、文末の「写真」を見ないでくださいね

 

先日、「千野」にある「安養院」を訪ねた後、

元三大師が通った道は何処だろう?

って、ふと想い、比叡山探訪の強い味方の

「比叡山三塔諸堂沿革史」(武覚超)で確認・・・・

 

「2 比叡山への古道」の「C 横川への古道」に『横川道(妙見菩薩道)』。

・・・妙見菩薩道とは、母公(※)が庵を結んでいた妙見堂に至る道である。

 ※ 元三大師の母、物部憲興の娘、月子姫)

 

との記載があり、坂本・日吉大社から八王子山を経由して横川中道に至る「横川行者道」との合流地点に「元山大師御母公 妙見菩薩道」と刻まれた石標があるとのこと。

随分と以前、回峰行の道を踏査したときに、確かに「横川行者道」の尾根道で確認した覚えはあるのだが・・・さて~、「妙見菩薩道」の坂口は??

 

[仰木の棚田と比叡山]

先日、「千野」からの帰えりに通った道を逆に歩く。

 

「仰木集落」辻ヶ下地区の外れを通り、

比叡山麓の県道(47号、伊香立・浜大津線)を進む。

[3m高の矢竹の間を進む]

 

県道と別れ、林道を山上に向かって進んだが、

放し飼いされた犬3匹に行く手を阻まれて進めず・・・。

迂回路はないので、「横川」を諦めて「安楽律院」(※)に向かう。

(※)比叡山五別所の一つ。

寛和元年(985)、藤原師輔一門の僧・叡桓(飯室上人・安楽上人)など五人の僧により、念仏道場として開かれた。

その後も念仏聖たちの隠遁する別所として発展したが、

一時衰退し、

江戸時代の元禄六年(1693)、妙立慈山を師として霊空光謙が復興。

厳粛な戒律主義を標榜して僧風を刷新し、天台学の教学を一新しようとした。

境内に、歌人・藤原定家の塚がある。

 

 

[再び県道に・・・比叡山の三大魔所「飯室谷」が近い]

 

参道を通らず、車道から山門に入る。

 

紅葉と苔のキレイな無住の寺で、訪ね来る人も殆んどなかったのだが・・・、

この日も参詣人は無し。

 

近年、NHK大河ドラマ「江」や映画「るろうに剣心」などの度重なるロケで、

すっかり苔がダメになってしまった。 

そのうえ、TVや映画を視た人が足を入れ、苔にとって、更にダメージが・・・。

 

京・鹿苑寺(金閣寺)が焼失する半年ほど前、1949年師走、この安楽律院も放火によって堂宇のほとんどが無くなった。

 

10数年ほど前までは鬱蒼と木々が繁っていたが、台風で倒れ、随分と明るくなっている。

 

石垣に映える苔。

 

 

[人気のない境内は、アチコチにイノシシの足跡]

 

[切通しにある「結界」]

 

結界を出て、南の飯室谷に向かう。

 

[道の右側は安楽律院、左側はかつて酒井大阿闍梨がおられた不動堂]

 

「横川本坂」の石柱が建っているが、

先述の「沿革史」では、「中尾(飯室)坂道」となっており、

「横川本坂」は、坂本の日吉大社東本宮裏の奥護因社前を坂口としている。

 

これは、回峰行に三流派あり、

「無動寺谷明王堂」を本拠とする本流の玉泉房流と

「飯室谷不動堂」を本拠とする恵光坊流とでは、

コース(行者道)が異なっており、

「本坂」の名称付与は、それぞれの意識付けの相違、

一時廃れていた恵光坊流の復興によるものであろう。

なお、残りの一流派「西谷正教坊」を本拠とする正教坊流の

コースは不詳。

 

「飯室不動堂」に参詣せず、帰路につく。

[千野(三丁目)からの展望・・・坂本&琵琶湖]

 

[千野(三丁目)の家並み]

 

[手前に千野(三丁目)の、大正寺川を挟んで北に二丁目の棚田。奥に比叡山。]

※ 以前、散策した「千野」は、一丁目と二丁目。 

三丁目は、谷を挟んでひとつ南の尾根上に展開している。

両地区を直接結ぶ車道はなく、

草に覆われた細道が一本だけある。

 

途中、「千野(三丁目)」(※)の段々畑を通った際に、見かけた・・・。

 

どれほどの効果があるのか・・・

あまり気分の良いものではなかった。

 

・・・散策の3日後、

並んでぶら下がっている

自分の姿を

夢に見た。

 

この日、21963歩。

 

出発時、氷が張っており、田畑は霜で真っ白。

手袋をしていなかったので手が凍えたが、

風は殆んどなかったので体は暖かく大汗をかいた。

 

大津市の南部、「大石」の里にある 叶 匠壽庵「寿長生の郷」を訪ねてきました。

里山を模した63千坪もの広い和菓子屋さんです。

これまでも年に12度訪ねていますが、目的は人形作家・早瀬さんの「土人形」。

「土人形の詩 めぐりゆく季節とともに」(早瀬仁子)

 

前回、訪ねた際、人形達の多くは傷ついて、一部は庭の隅に放置されたような状況でした。

早瀬さんにお会いしたとき、何とかならないものかと、その状況を伝えさせていただいたこともあります。

 

駐車場に着くと、いつも、親爺さんが笑顔で迎えてくれます。

散策路の入口に門松・・・正月です。

桜苑と桃畑の間を少し歩くと茅葺き屋根の古民家を移築した「郷の家(総合案内所)」があります。

 

その手前に、路の脇、背高の竹に架けられた注連縄。

「郷の家」では、いつものように、お茶のサービス。

この日の御茶うけは「柚子あも」でした。

嫌みのない甘さで美味。

 

「郷の家」を出て、木々の間を進むと長屋門。

門前に、大きな水盤。

 

門を潜ると「三徳苑」の庭。

 

目当ての土人形は・・・

はい~、以前の傷だらけの人形は姿を消し

新しい人形たちが仲間入りしていました。

 

が、同じ姿の人形が目立ちます。

以前は、ストーリーがあったのですが~・・・。

 

 

エントランス。

 

 

ホールでは、正月飾りの餅花を真ん中に

滋賀県の地産商品が並べられていました。

 

 

隣室の生菓子売場を抜けて

城州白梅1000本の中、

里道を進むと、

その先に「囲炉裏茶房」。

叶匠壽庵の甘味処です。

 

部屋の真ん中に囲炉裏。

赤く燃える炭は自家製。

郷内の炭焼き窯で作られたモノです。

 

小休止の後

再び、梅林を抜け「野の花観音径」に入りました。

 

里山に咲く花々が植えられ、

四季それぞれの花を楽しむことができます。

12月&1月に開花する野花だけでも18種あるそうです。

 

里道の所どころに祀られた石仏。

それぞれ野の花の名前を持つ35体の観音さま。

秋明菊、雪割草、吾亦紅、福寿草・・・

 

これら石仏の原画は、

延暦寺の襖絵で知れた広本画伯が描かれたとのことです。

 

坂道を登って小屋の前まで来ると

中から、女性が出迎えてくれました。

 

「+plants

5人ほどの小さな会社。

5年前に京都で立ち上げ、

自然保護(植物)のコンサルティングをしているのだと・・・。

あわせてNPOとして、

滋賀県内の里山などの保護・育成の活動をしているとのこと。

 

ココでは、1年前から

叶匠寿庵から依頼され、

各店舗を飾る

季節の寄植え(今は、梅)を

ひとりで作っているとのことでした。

 

作業台の上に並べられた小鉢も

郷内の窯で焼いたものだそうです。

暫しの間、山野草や焼きモノの話・・・。

 

蓮池の傍を通り駐車場に戻りました。

 

 

帰路、

ウッカリ運転で道を間違えてしまって・・・

 

折角なので、

間違えた道の直ぐ先にある

「浄土寺」に立寄りました。

ここは、

「赤穂浪士」で知られた大石内蔵助良雄の大石家の発祥の地。

 

良雄の五代祖・大石久右衛門良信は、

寺の裏山に居館(※)を構え、

近江八幡城主・豊臣秀次に仕え、

その嫡子・良照は本貫地の大石家本家を守り、

次男・良勝は浅野家の筆頭家老として仕えたそうです。

 

※ 複数の郭跡があり、

菩提寺跡に内蔵助祖先館並大石家菩提寺旧跡の石碑、

その奥に大石久衛門良信邸の石碑が建っています。

 

kmほど南の尾根に大石城があり、

曲輪、土塁・物見台、虎口、切岸、堀切などの遺構を

確認できます。

 

瀬田川沿いに、石山寺の門前を通って帰宅。

この日は、クルマ移動だったので、3973歩。

汗は、かかず~でした (^J^)

 

 

わたしの2017年のおみくじ結果は・・・

 

 

 

 

 

「今すぐ旅立っても大丈夫」って?

                           

・・・・・もう十分に生きましたので

    いつ逝ってもいいよ~

    って、ことかな ・・・・・

    「終活」急がなきゃ (笑)

 

 

 

 

                                  

 

 

 

新年になって4日目。 

きょうも穏やかな日和になりそうだったので、前回(二日前)よりも薄着で漫歩。

 

晴ときどき霧雨。 冬季、このエリア特有の天気。

青空が広がっているのだけれど、時々、北から雪雲が流れてきて、霧状の雨が降るが、すぐに止む。「キツネの嫁入り」

 

花の少ないこの季節に咲く街路樹。

 

 

 

寺の門ではありません。 拙宅のある住宅街の入口です。

 

2000歩ほどで「千野」の棚田に出る。

狭い谷間を比叡山に向かって段々に連なる田。

防獣柵に囲まれた農道。 

閉塞感・・・以前の開放的な里山の景色は、ここにない。

 

かつて映画「のぼうの城」のロケ(田植えのシーン)が行われたところ。 

今は、すっかり柵で囲まれてしまっている。 

もう、ロケで使われることもないだろう・・・。

 

「Wn・・・?」

少し気になって、農道脇の西斜面を這い上がる。

削平地、一段、二段、三段・・・その次(比叡山側)に、尾根を削り残した土塁状の高まり。

その向こうは、絶壁。

何だろう?

「放棄田畑かな?」とも思ったが、歩いてきた棚田とは向きの異なる削平地。

耕作されたような形跡はない。

※ 帰宅後、大津市教委「遺跡分布地図」で確認したが、特段の記載なし。

(圃場整備事業で棚田の向きが変わったのかも・・・。)

って、アレコレ考えているうちに、「千野」の集落の西端に到着。

 

集落内にある若宮神社の由緒書よると、長保3年(1001)に仰木の辻ヶ下から移住してきたとのこと。

まだ千年ほどの新しい集落。

 

辻ごとに祀られている地蔵。

算木積のような石垣。

 

ここは、谷崎潤一郎の小説「乳野物語」の舞台。

 

※「乳野物語」 

       比叡山延暦寺中興の祖・第18代天台座主・良源(慈恵大師・元三大師)とその母・月子姫をめぐっての作品。

「千野(乳野)」の「安養院」に、尼となった月子姫が住んでいたとされ、出家した息子の大師がしばしば山を下りて会いに通ったとされる。

元三大師に因む諸事・・・「箸豆」(手先の器用な人)、「定心房」(大根漬)の発明、「魔除けの護符」・「おみくじ」の創始など

 

集落内にある「安養院妙見堂」に向かう。

本堂の裏に月子姫の墓石。

 

寺を出て、集落の東端へ向かう。 

「千野」の集落は、小丘の上にあり、四周の大部分は崖状の急斜面。 

周囲は樹木で囲まれており、他所からここに集落があるとは分かり難い「隠れ里」のようなところ。 

この集落で唯一、開かれているのが東側。

絶壁の上から~ 眼下に雄琴温泉街があり、その先は琵琶湖。 

生憎、霧のため、対岸の近江富士(三上山)は見えず・・・。

 

比叡山(横川?)の鐘の音を聴きつつ、集落内の別ルートを通り、帰路につく。

 

 

集落の西端に残る廃屋。

 

南側、棚田の先に比叡山。 

その山麓、木々の間に天台宗真盛派の本山「西教寺」の屋根が見える。

明智一族の菩提寺。

「天王山の戦い」で敗れた光秀は、琵琶湖岸にあった坂本城を目指して落ちてきたのだが、途中、京・山科の小栗栖で討たれた。

 

山並みの東端(左側)の後ろに、僅かに尖った山が観える。

壺笠山。

その頂上は、「元亀の争乱」のとき、朝倉・浅井軍の砦があったところ。

また、滋賀県内で最高所にある古墳でもある。

 

 

中部北陸自然歩道を経由して、「仰木」の棚田。

中央から左にある木の茂った丘の中に「千野」の集落がある。

先刻の「千野」とは違って、開けた集落。

京・大原や比叡山三塔・横川に至る「仰木道」の南斜面、階段状に建ち並ぶ家々。

 

 

この日、16552歩、すこし張り切り過ぎた。 

久し振りの1万歩超えで、足腰に疲労感。

所々、谷間を吹き抜ける風があったが、薄着にもかかわらず汗をかいた。

朔日に続いて、風もなく暖かい穏やかな日和となった二日の午後、久し振りに「仰木」の集落を漫ろ歩いた。

 

琵琶湖畔の浮御堂から西に、比叡山三塔の最北・横川に続く緩やかな登り道がある。

ここは、かつて信長の比叡山焼打ちの際、秀吉が攻め上った道でもある。

 

坂本本堂から攻め上がった光秀は、「霊仏・霊社、僧坊・経巻一宇も残さず、一時に雲霞の如く焼払い・・・僧俗・児童・智者・上人一々に首を切」(「信長公記」)ったが、秀吉は、殺生せず全て逃がしたそうだ。

比叡山に残る寺宝の多くは、この時、この道から持ち出されたモノとのこと。

 

その道沿いにある集落が「仰木」。

軒を連ねる古家も風情があり良いのだが、ここを歩く楽しみは、辻ごとにある地蔵祠と家々を支える石垣。 そう、所々に残る算木積の石垣。 庭師さんの手によるものであろう重箱積に比べて、石工さん(穴太衆?)の仕事であろうソレは安定感があり美しい。

 

歩き始めて30分、龍光寺の門前で、この日、初めて出逢った女性に会釈されたが、はて? ・・・他所から来て、初詣の様子。

 

集落を抜け天神川を渡ると棚田、そして彼方に冠雪した比良連峰が望める雄大な景色。 山頂は、雲がかかっていて、冬季はなかなかスッキリした姿を見ることができない。

 

以前は、棚田の中を歩くことができたのだが・・・今は、防獣柵や電気柵、あるいはその両方が設置されて、通ることができるのはごくごく限られた道だけになった。 

 

滋賀県では、山奥の一部を除いてすっかり柵に取り囲まれてしまった。

害獣(?)から田畑を守るために設置したそうだが・・・結果、柵内に人家・田畑が閉じ込められた感がする。 

人は、まるで檻の中にいる動物のように限られた空間だけにしか自由に移動できない。

 

TVや写真集などで紹介されたこともあり、柵が設置されるまでは訪ね来る人も多かったのだが、設置により景観を損ねたので、近時は人に遇うことも少なくなり、従前の静かさが戻っている。

 

檻に囲まれた狭い空間=道を歩いて、お気に入りの「馬蹄形の棚田」に着いた。

ここまでで約5000歩。 

その外れに、落葉した「一本桜」。

ここで「ヒト」発見、棚田の撮影中 ~ ではなく、野焼きを撮ってる?? 大阪ナンバー。

 

また、クルマが一台。 京都ナンバー。 カップル。 女性がカメラを構えて、琵琶湖側を観て「すてき~」、パシャ、パシャ・・・。

大きなお世話と思いつつ、比叡山側を指さして一言「向こう側に写真集に載っている棚田が見えますよ。・・・」

 

 

 

途中、(里山などの)写真家Iさんのアトリエを望みながら、檻の中を進んで帰宅。

 

この日の歩数:8739歩。 陽射しが有り、風がなかったので、小汗をかいた。



久し振りにブログUP。

いろいろあってUPに慎重です。





天候不順で秋雨の日が続いた9月。

珍しく「お泊り」なしだった。



県外に出たのも、

わたしが考古学の師と仰ぐ(15歳ほど年少ですが・・・(笑))K氏が発掘調査の指導されてる「久津川車塚古墳」


修復壁画の一部が公開された飛鳥「キトラ古墳」の見学と帰路に散策した高取の町【写真】

だけの僅か2ヶ所。


     

    [高取の人頭石]

あとは、琵琶湖周辺をウロウロ。

余呉湖(天女伝説)、マキノ(メタセコイヤ並木【写真】)、安曇川(国学者の中江藤樹、線刻の古代文字、継体大王)、竹生島、磐座「太郎坊宮」などなど殆んどが再訪、再々訪・・・。

        

[雨に頭を垂れてるメタセコイヤ]


琵琶湖に面した茶店を見つける楽しみが出来ました。

・・・テラスにわずか2卓だけの小さなお店【写真】、

この日は他に客もいなくて

静かなひと時を過ごすことができました (^J^)


 
  [海津大崎・・・竹生島も観えるよ]


今月(10月)も、上旬の予定は天候が良くなくて延期・・・

いつまで待てば、秋空の続く日が来るのでしようかね ~ ・・・。


 


 


 




        


 


 


 

毎年の恒例行事

今年度の発掘調査成果の報告会が、

京阪・石場駅近くでありました。



主な現場10ヶ所について
それぞれの担当者から説明。


朝9時半から終日あるのだけれど

怠惰なわたしは、

午後イチの

「塩津港」、「佐和山城」と「大溝城」だけに出席。


会場前で、Yさんに声をかけられて・・・。

この方に、上御殿遺跡の発掘調査の際に

いろいろ教えていただいた。
偶に、NHKなどの
歴史番組に出ておられる(「信長の船」模型製作など)。
ここ数年、塩津港の発掘調査に従事されておられた。
「琵琶湖に大津波があった」などの話題提供者でもある、

今回も、出土遺構・遺物から
往時の舟の模型をつくり
港町の風景画を提示された。




ご自身の住んでおられる和風の家
(本職の大工さんが弟子を連れて見学に来たこともある秀作です。)
を日曜大工で建てられた、とても器用で才能ある方。

で、談笑していると
宇佐山古墳群の発掘調査でお世話になった
Aさんも話題に入ってこられて~
この方、安土城考古博物館の学芸員さんで
「(甲賀)忍者?」などの研究をされておられる・・・。




渡り鳥が群れる琵琶湖岸を

散歩して帰路につきました。5,454歩。



肝心の報告「内容」ですが・・・塩津港については、

12世紀における港造成の工法

・構造船の初現が、14世紀から12世紀に遡る可能性

・「京風の生活」と「港町の《遊び》」など

佐和山城は、大手口付近の

・内堀・土塁の規模と構造の確認

・城内の侍屋敷地の確認、

大溝城は、本丸の

・北端部石垣、船着場の確認

・西端部石垣の確認



などでした。








福井駅の近くで開催された

県教委の出前講座の前後に

駅西周辺をテクテク・・・。



先ずは、

駅の西南西方向にある

「北の城跡(柴田神社)」で、

勝家・市・三姉妹の像にアイサツ。








足下に

発掘調査で出土した城の石垣。

500年ほど前、

秀吉に攻められた勝家・市は

炎の中、ここで亡くなったのですね~。




二人は、

南の足羽川を渡った先、

勝家の菩提寺「西光寺」に

祀られていました。


駅の北西にある「福井城」。



御廊下橋の先、

「山里口御門」は復元工事中。



城内の

北西隅に天守台と控天守台。

ツウィンで建っていたようですね・・・。




控天守台石垣は

昭和の福井地震で、

ご覧のありさま。




その近くに名の由来となった

大井戸「福の井」がありました。



この日の歩数15,555歩。

風邪は冷たいけれど、歩くと小汗をかく暖かい日でした。



・・・おまけ~


福井駅には、

ティラノザウルスなどの

恐竜がいますので、

食べられないように

気をつけて~ (^J^)

























暖かくなっていたのに

冬に逆戻り・・・


比良山から

吹き落ちる風は冷たくて


葦に囲まれた

小さな入り江の


湖岸近く

エリ魚網の周りに


北へ帰るタイミングを

待っているのでしようか


百羽を超えるカモが

群れていました