『続日本紀』によると1300年ほど前の和銅6年(713)5月、諸国に
 ①郡郷名
 ②群内の物産の品目リスト
 ③土地の肥え具合
 ④山川原野の名前の由来
 ⑤老人の伝える古い伝説
などを書き記して提出せよ、といった官命が下された。 この官命に応じて提出した報告書(※「解文」)が、のちに『風土記』と呼ばれるようになったとのこと。
諸国から提出された『風土記』だが、完本として唯一伝えられているのが『出雲国風土記』
 
ところで、この『出雲国風土記』の構成は、「総記」、「各郡」、「巻末記」の三部となっている。
「総記」には、出雲国の概要として、東西・南北の里程、出雲の名の由来「八束水臣津野命、詔、八雲立、詔之。故云八雲立出雲。(八束水臣津野命がおっしゃったことには、八雲立つとおっしゃった。だから八雲立つ出雲という。)」、神社が399社、9郡62郷181里・・・といったようなことが述べられている。
また、「各郡」には、郡ごとに若干の相違はあるものの、郡総記、郷・駅・神戸、寺・社、山野・河川・坡(陂・つつみ)・池、渡・水海(湖)・浜・埼・島などの地勢と群境路程(文末に郡司以下の官職と首・造・臣名)が、
さらに、「巻末記」には、主要道、駅、軍事施設(軍団・烽・戍(まもり))の所在地が書かれている。
 
 
今回、現地を訪ねた目的は、この『出雲国風土記』に記載されたカンナビ(神名樋・神名火)4山・野を訪ねること(& 尼子氏関係諸城を訪ねること・・・これについては、以下に詳述  ⇒  http://akidream.shiga-saku.net/e1036641.html
 
探訪のスタートは、中国自動車道・三次IC(広島県)。
R54利用で、赤穴瀬戸山城(島根県・飯南町)、三刀屋尾崎城(同・雲南市)及び三沢城(同・奥出雲町)に立ち寄った後、R432を走行中に偶々、目に飛び込んできた「砂の器記念碑」。
イメージ 1湯野神社の鳥居横にある大きな石碑。ここがロケ地だそうだ。近くの「道の駅・酒蔵奥出雲交流館」で、その時のセットや写真などを観ることが出来る。この道の駅、食事を摂るために立寄ったのだが・・・食事はできず、専ら目に付いたのは酒瓶~。
 
 
さて、湯野神社、『出雲国風土記』を紐解くと「仁多郡」に湯野社として掲載されている。
由緒書きによると、詳らかではないものの湯野小川(亀嵩温泉)に湧く薬湯の守護神として創建されたとのこと。
参道口には樹齢450年、径2m超、樹高30mの大ケヤキが立っている。
石段を上がると杉林の参道・・・期待を裏切らない静寂の境内には、「雲伯」出世相撲の地としての相撲道場などがある。
 
さらに、境内社として湯野神社よりも歴史のある「玉作神社」がある。
3世紀、勾玉が用いられていた頃の創建。 玉を産する東玉峰山の山上で江戸時代の中頃まで大杉を神木として祀っていたそうだ。
 
 
イメージ 2安来に向かう途中、白椿ハウスの駐車場にクルマを停め、布部ダムの白つばき湖に架かる吊り橋(白椿大橋、128m長)を往復する。
駐車場の隅に鉧(けら)を展示している。
 
イメージ 3
 
 
 
対岸から仰ぎ見ると駐車場の山上に開けているところが見えるのだが・・・何だろう~?
 
月山冨田城のある広瀬の街並みを過ぎて飯梨川の堤防上を北進すると、左岸に渡ってすぐに右手(東)の田圃の中に杜が見えてくる。
 
イメージ 4
出雲の国・四大神(※)の一つ能義神社(野城大神。祭神は、天照大神の第二子・天穂日命。無住?、安来市)。風土記には、野城社とある。
石段を上って最初に目に入ってきたのが、四角い縄囲いの中に小さな砂山が二つ・・・これは?
さらに2ヶ所。本殿イメージ 5を取囲むかのように三方、藁で作った龍蛇神を祀っている?
旧社地は現社地の南側、一段と高くなった林の中とのことなので入ってみたが・・・、ブッシュが酷くて遺構の確認はできなかった。
この境内地は、弥生~古墳時代の住居跡が出土した能義神社遺跡でもある。
 
また、境内に、垂仁天皇の御代に當麻の蹶速との天覧試合に勝ち、相撲の神様として力士の崇敬が厚い野美宿禰命を祀る野美社もある。
 
これまで幾度も近くを通っていながら、それとは知らず未参拝であった能義神社を訪ねることができた。 これで出雲の国・四大神をすべて参拝。
 
※ 出雲国風土記で大神と呼ばれているのは、「野城大神」のほか「所造天下大神、大穴持命(出雲大社)」・「熊野加武呂乃命(熊野大神)」・「佐太御子(佐太大神)」
 
出雲滞在二日目は、宍道湖東側のカンナビ山(野)の探訪。
 
イメージ 6
松江市に入る前に揖夜神社へ~、『日本書紀』斉明天皇5年(659年)に
 
「是、命出雲國造闕名修嚴神之宮。狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去、又狗嚙置死人手臂於言屋社。言屋、此云伊浮。天子崩兆。」
 
と「言屋社(いやのやしろ)」について記述がある。 今風に訳すと、
「この年、出雲の国造に命じられて熊野大社を修造させられた。 そのときキツネが意宇郡の役夫の採ってきた社造りの用材である葛を嚙みちぎって去った。 また、犬が死人の腕を噛って言屋社に置いていた。 言屋、これを伊浮という。 これらは、天子が亡くなる前兆である。
と謂ったところかな~。 『出雲国風土記』にも「伊布夜社」として記述あり。
イメージ 7久し振りの境内・・・大きな大社造りの本殿・拝殿に対峙するかのように、その前面に藁で作った龍蛇が2体。ここのは、ご丁寧に竹製の「目」まで作ってある。
 
 
 
 
 
 
木に捲きつけられた「尾」、これは杵築神社(奈良県田原本町)で見た「蛇巻」と同じ姿・・・。
 
 
※今回の出雲探訪「古墳&山城」編は、以下のブログをご覧願います。
 
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先週に続いて奈良市北部


きょうは、佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群などを

歩いてきました[21,177歩]


陽射しが強かったものの

涼風のお蔭で汗もかかずに

心地良い散策を楽しみました (^J^)







と言っても仕事です。


ほぼ週一。

きょうは午後に1時間ほどTV会議、その後30分ほど打合せ。


往復5時間弱、ちょっときついですが、

ほとんど座っての移動なので

老人には、認知症予防にちょうど良いかも・・・ (^J^)


さて、明日は古墳巡り

奈良の佐紀盾列古墳群+α


天気が良すぎるかな~ (^J^)

天気の良くない日は、体調もイマイチ・・・

雨が降る前に、

気分転換を兼ねてクルマで買い物に・・・


午後は、この前に行った出雲の備忘録つくりを少し

「カンナビ山&神社仏閣」編

・・・ほぼ完、あとは印刷して確認すれば良し


「山城&古墳」編も

ボチボチかかろうと思ってはいるけれど

・・・天気の良くない日は、きまって頭痛のためゴロリ~ン


さて、さて・・・・・そろそろ起きて、

きょう2度目のNYにでも行きますか~


「佐保路」って言っても知ってる人は少ないかも~

奈良市の北部を歩いてきたよ・・・23000歩


JR奈良駅から、大仏鉄道の記念公園へ


多聞城(若草中学校)&聖武天皇・皇后陵を一周。

・・・今、大河ドラマで黒田勘兵衛をやっているけれど、同じ時代に生きた松永久秀の本城。 信長に反旗を翻したヒト。


一条通りから転害門、そして奈良坂。

般若寺、奈良豆比古神社・・・大きな楠木


元明天皇・元正天皇の陵墓をみて

畑の間をあるいてJR平城山駅


計画なしの行き当たりばったり

若草公民館や転害門ガイダンスで情報入手しながら・・・


碧空の下、涼しい風が流れて

ご機嫌のひとり散策でした~(^v^)


ハンドルを握ったものの

ほんの5分ほど走っただけで

自宅に逆戻り・・・・・。


Simon & Garfunkel  を聴きながら

「出雲風土記」&「古事記」を再読(再々読?)しています (笑)

ここのところ

いい天気が続いている・・・。


きのうは、BBQレンガ・ブロックの解体と

少しだけ、夏野菜を植える準備

&増えすぎたシバザクラのカット・・・。


きょうは、奈良へでも行こうかな~あし

大仏鉄道遺構の残り、多聞城跡&佐紀楯列古墳群の3本立て

ちょっと欲張り・・・(^v^)


昨夜、出雲から帰ってきました。


疲れは然程ないものの

探訪記をブログにUPする気も起らず


ゴロンと横になったり

FBを眺めて終日過ごしました。


・・・気怠い日々の始まりです。



【ブログ】


・神社仏閣などの民俗学系、近代化遺産などの近代史関係は、

  http://blogs.yahoo.co.jp/takedream2


・古墳などの古代史、山城などの中世史関係は、

  ​htt​p:/​/ak​idr​eam​.sh​iga​-sa​ku.​net​/

イメージ 2京阪電鉄・坂本駅
 
駅舎の反り返る屋根
・・・比叡山の大きさを
   具現化したその姿で
   「近畿の駅百選」
   に選ばれた?
 
 
 
 
イメージ 3駅広の琵琶湖側にある
小さな「日吉茶園
・・・最澄が中国の唐から
   持ち帰ったお茶の種を
   植えたとされる茶園。
   815年、嵯峨天皇が
   唐崎に行幸された際、
   梵釈寺で大僧都・永忠が
   茶を献じたとか・・・。
   その時の茶葉は、日吉の産だったのでしようか?
 
イメージ 1
日吉馬場(日吉神社参道)を
比叡山の方に向かうと、
左手、作り道との角に
司馬一行が間違って入ったという日吉そば
 
 
 
 
その作り道南側に一行が訪ねる予定だった「鶴喜そば」。
・・・300年ほど前、享保の初年よりそばの店を開いたとか。
   奥の座敷にあがって、庭を眺めながらいただくのも趣があります
 
イメージ 4
 
日吉馬場の右手、
日吉そばの向かいに
最澄の誕生地である「生源寺」。
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
生源寺と鳥居の間の道
北側に大きな枝垂桜。
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
 
鳥居の下から
日吉神社方面の日吉馬場を観ると
200余本の桜並木。
 
 
 
 
 
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