事のついでぇ~って言えば、シコブチさんにお叱りをいただくかも知れませんが、
あと3社、「志子渕神社(高島市朽木岩瀬)」、「思子渕大明神(高島市朽木宮前坊)」&「思子渕神社(高島市安曇川町中野)」の社祠をお詣りしてきました。
・・・前回と合わせて都合、8社祠をお詣りしたことになります。
さて、今回は、前回と趣向?を変えて、びわ湖岸から安曇川を遡ります。
まずは、びわ湖岸(安曇川(南川)に架かる船木大橋からの眺め)。
この北岸(写真左の建物)には「こどもの国」があります。
ちょっと気になった
安曇川町川島の「阿志都彌神社」
船を造る「六つ船魂神(島津彦命・沖津彦命・志賀神・金析命・豊玉姫・罔象女神)」の始まりである島津彦命を祀っている。
なんでも、この島津彦命が、朽ちた木に乗って安曇川を下っていく鵜を見て、筏と棹で筏舟を造ったことから「船」が始まったとか・・・。
思子渕神社(高島市安曇川町中野)
安曇川から直線距離で500m以上も離れた所に鎮座されておられます。
他の社は川のすぐ傍にあるのですが・・・これは?
「シコブチ神社」の中で最も最下流に位置しており、この辺りから山間部を抜けた安曇川の流れも緩やかになり、この下流は筏流しにとって特に危険な場所がなくなる、ということに関係しているのでは~と先日のフォーラムでの説明でした。
が、現地の地形を良く観ると中野集落は一段高くなった河岸段丘上に、神社は更にもう一段高くなったところに位置しています。
かつて安曇川は、大きく湾曲して流れていたことが分かります。
したがって、もしその時代に神社が創建されたのであれば、往時の社殿は川傍にあったことでしよう。
ここは、参道の苔がキレイだった。
なお、境内に広い空地があるのでPは可能なんですが、途中の道が狭隘なため普通車の通行は困難。県道23号の道路脇に数台Pできる場所あり。
川沿いを西進した長尾集落のはずれ、屈曲した川中には赤っぽい岩場。道路脇の絶壁中腹に小さな二つの祠。これは?
帰宅後、調べてみると、かつて川中の御霊岩(赤壁?)の上に祀られていたものを遷座したとのこと。
とすると、他方の祠は? 川下りの難所を見おろす「シコブチ神」?
思子渕大明神(高島市朽木宮前坊)
邇々杵神社に合祀されているとのことですが、摂社が多く、どの祠がそれなのかわからず・・・。
神社の北側に宮前坊集会所にP。
志子渕神社(高島市朽木岩瀬)
興聖寺Pにクルマを置き、集落内の鯖街道を北進。
北にあった社を寛文年間、洪水により流されたので現在地に遷座したとのこと。
境内からは、街道沿いの家並みに遮られて安曇川は見えない。
高台にある興聖寺の門前から安曇川を見る。
興聖寺・・・京の兵乱を避け当地に身を寄せてきた室町幕府12代将軍足利義晴のため朽木氏が作った「岩神館」の跡地に建つ。
往時の庭園(三重県美杉・北畠氏館跡庭園に類似)や土塁・薬研掘の痕跡を観ることができる。
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話題の尽きない「かっぱ」伝説です。
最初に紹介しました伝説のほかに、次のような「お話し」もあります。
※ ②の「お話し」は、前回に紹介したものと同じ出典のようですね・・・。
①新井清『久多のガワ太郎』
志古淵さんには、七人の男の子があり、時々、この子供たちを連れて、川下りをしていた。
初めのうちは、一人ずつ丸木に乗せて川を下っていたが、それでは面倒なので、そのうちに、丸木をくくり合わせて筏を作り、みんないっしょに乗れるようにした。
ある日、いつものように子供たちと筏を流していると、新畑川との合流点である川合の下流付近で、筏の先頭に乗って竿を握っていた長男の姿がフッと消えてしまった。
志古淵さんは、「これは、ガワタロ−の仕業に違いない」とにらんで、筏を解き、それで川に堰をし、下流の水を干してしまった。
すると、川の中に突き出ている大きな岩の下で、ガワタロ−が、長男の乳のあたりをしっかりと抱きかかえて、うずくまっているのが見えた。
志古淵さんが「子供を返せ」というと、ガワタロ−は「一度捕らえたものは返さない」というので、「年に三人だけ人の子をやるから、その子を返せ」というと、ガワタロ−はしぶしぶ承知した。
その時、志古淵さんは、今後、志古淵さんと同じような簑笠をつけ、ガマ(蒲)のハバキ(脚絆)を巻き、コブシの木の竿を持った筏乗りには手を出さないことをガワタロ−に約束させた。
この時、こういう取り決めがなされたので、その後も、安曇川筋では年に三人の水死人が出るが、志古淵さんと同じ姿をした筏乗りは無事だという。
なお、「志古淵神社」の古名は「思子淵神社」で、祭神は「斎部の神様」とも「筏の神様」ともいわれている。
また、志古淵さんの長男がガワタロ−に引き込まれた所にある大きな岩は「乳鋏み岩」と呼ばれている。
②上野佐太郎『筏乗りの神様、志古淵さん』
昔、久多庄に「志古淵さん」という筏乗りの名人がいた。
ある日、志古淵さんは男の子を筏に乗せて、いつものように久多川を下り、葛川の奥山という難所に差し掛かった。
ふと後ろを振り向くと、乗っているはずの子供の姿が見当たらないので、志古淵さんは筏を横にして、川をせき止め、あちこち探したところ、川下の大きな岩のウロ(穴)にガワラが脇に子供を抱えて潜んでいた。
ところが、そのガワラは、水をせき止められて大変弱っており、命乞いをしたので、志古淵さんは、今後、菅笠をかぶり、蓑をつけ、草鞋をはき、足にガマ(蒲)のハバキ(脚絆)を巻き、コブシ(辛夷)の竿を持った筏乗りには悪戯をしないことを約束させて助けてやった。
それ以後、筏乗りは晴雨にかかわらず、このような服装をするようになり、事故もなくなったので、志古淵さんは「筏乗りの神様」として敬われ、久多の氏神「志古淵神社」として祀られるようになった。
なお、ガワラが子供を抱えて潜んでいた所は「乳挟み」と呼ばれていたが、それが訛って、現在では「火挟み」という地名になっている。