イメージ 2前回、不注意で通り過ごしてしまった第2トンネルと第3トンネルの間の疏水沿いを訪ねてきました。
 
京都市交地下鉄・御陵Sta.からのスタートです。
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御屋敷が並ぶ坂道をダラダラ登って、先日訪ねた第2トンネル東口。
 
 
この前に趣のある数寄屋風の家。
 
 
 
 
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トンネル区間を迂回して、第2トンネル西口。
 
 
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新山科浄水場(日ノ岡取水場)の対岸は、桜のトンネル。
 
満開の桜。
 
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疏水に流れるのは「花びらの帯」。
老朽化により補強された「日本最初のコンクリート橋」。
これを渡って右(北)の山に入れば南禅寺につづく・・・。
 
コンクリート橋の奥に第3トンネル東口。
 
これで、大津・蹴上間を完歩。 
イメージ 6京大の国際交流会館(みささぎ分館)は花びらの絨毯、
 
途中の桜を愛でながら、
前回に通った道を三条通りまで下った。
 
 
 
疏水沿いを歩いたのは、ほんの10分ほど。
きょうの約1時間の散策で、4967歩・・・少なぁ~ (^J^)
 
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イメージ 1イメージ 2インクラインを中程下ったその下にレンガ造りのトンネル「ねじりまんぽ(陽気発處)」。
上の軌道とトンネルが直交していないため、斜めに架かるアーチの重力をうまく伝達して強度を確保するためにねじれるようにレンガを積んでいる。
 
イメージ 3蹴上発電所。教会のようなゴシック風のレンガ建築。
 
送電開始は明治24年、もちろん日本初。
 
この電気を利用して電車が走るようなる、これも日本初。 
 
 
二年坂や哲学の小径など京都のアチコチで見る石畳の多くは市電軌道の石畳の転用。
 
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インクラインの最下端にある疏水記念館(往時の写真を借用)から動物園前を通って、
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風雅な趣が漂う静かな野村美術館のある北側から南禅寺の境内に入る。
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山門の前から水路閣へ。
 
 
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水路閣の上を進む。
 
 
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蹴上発電所へ水を送る2本の太い導水管。
 
 
散策は、ここまで。
きょうの歩数=19,879歩。
 
 
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山ノ谷(黒岩)橋・永興寺のすぐ西は、第2トンネル東口。
 
ここに架かるのは井上馨の扁額。
 
 
 
 
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疏水から分かれて三条通りを蹴上に向かったのですが・・・
 
    失念。
第2トンネル西口、第3トンネル東口と日本最初のコンクリート橋を観ていない!
再度、行かなければ・・・。
 
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九条山のダラダラ坂を登り切り東山ドライブウェイを過ぎると眼前に京都市水道局の蹴上浄水場が現われます。
 
 
 
 
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ここから三条通りと別れ、九条山ポンプ場に向かいます。
第3トンネル西口。
 
 
 
 
 
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第1・第2疏水の合流。
 
 
 
 
 
 
 
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設計者・田辺朔郎の銅像は、疏水を背にして立っている。
 
 
 
 
 
 
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疏水工事殉職者弔魂碑。 
 
ここから京都市街地の展望が開いている。
 
 
 
 
インクライン(複線)、左右の台車(三十石舟を積載)を水中滑車とドラム(巻上機)でケーブルカーのように昇降させる。
長さ582m、幅22m、高低差36.4m、62.5‰の急勾配。
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前回、訪ねた続き、
京阪・四ノ宮駅をスタートして蹴上界隈を目指します。
 
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まずは、駅南の三条通りをチェック。
 
 
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 一燈園から疏水に沿って諸羽トンネル東口・船溜まりに向かいます。
・・・通水を始めたのでしようか、今回は疏水に水が流れています。
 この第2トンネル区間、JR湖西線の建設に際して新たに設けられたもの。
なので旧・疏水跡は、線路直上の遊歩道となっています。
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ここに、「第2疏水トンネル試作物」があります。 
このアーチ状のコンクリート構造物は、疏水建設や維持管理に従事する作業員が技術習得するために設けたものとか・・・。
 
 
 
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諸羽トンネル西口。 
こちらの船溜まりは東口ほど広くはなかった。
 
 
 
 
 
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この辺りの疏水沿いには民家が・・・安来橋を渡り御屋敷が並ぶ道を毘沙門堂に向かいます。
 
 
 
 
 
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途中にある瑞光院には、浅野内匠頭長矩の墓や大石良雄ら赤穂四十六義士の遺髪が埋葬された遺髪塔があるそうです。
 
 
 
 
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毘沙門堂、訪ねたときは、未だ桜はこれから~っていう様子でした。
 
疏水に戻って西に進みます。
安祥寺橋。北岸に安祥寺、一度は境内に入ってみたいものです(非公開)。
 
 
 
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大きく蛇行する疏水は、再びJR線に最接近。
 
山科盆地の家並と東山が良く観えます。
 
天智天皇陵を過ぎ、本圀寺への赤橋を過ぎるとレンガ造りの分水路、長手積み。
 
 
 
 
 
 
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事のついでぇ~って言えば、シコブチさんにお叱りをいただくかも知れませんが、
あと3社、「志子渕神社(高島市朽木岩瀬)」、「思子渕大明神(高島市朽木宮前坊)」&「思子渕神社(高島市安曇川町中野)」の社祠をお詣りしてきました。
・・・前回と合わせて都合、8社祠をお詣りしたことになります。
 
さて、今回は、前回と趣向?を変えて、びわ湖岸から安曇川を遡ります。
まずは、びわ湖岸(安曇川(南川)に架かる船木大橋からの眺め)。
この北岸(写真左の建物)には「こどもの国」があります。 
わが家の子・孫がお世話になりました (^J^)
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ちょっと気になった
安曇川町川島の「阿志都彌神社
 
船を造る「六つ船魂神(島津彦命・沖津彦命・志賀神・金析命・豊玉姫・罔象女神)」の始まりである島津彦命を祀っている。
 
なんでも、この島津彦命が、朽ちた木に乗って安曇川を下っていく鵜を見て、筏と棹で筏舟を造ったことから「船」が始まったとか・・・。
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思子渕神社(高島市安曇川町中野)
 
安曇川から直線距離で500m以上も離れた所に鎮座されておられます。
 
他の社は川のすぐ傍にあるのですが・・・これは?
 
「シコブチ神社」の中で最も最下流に位置しており、この辺りから山間部を抜けた安曇川の流れも緩やかになり、この下流は筏流しにとって特に危険な場所がなくなる、ということに関係しているのでは~と先日のフォーラムでの説明でした。
が、現地の地形を良く観ると中野集落は一段高くなった河岸段丘上に、神社は更にもう一段高くなったところに位置しています。
かつて安曇川は、大きく湾曲して流れていたことが分かります。
したがって、もしその時代に神社が創建されたのであれば、往時の社殿は川傍にあったことでしよう。
 
ここは、参道の苔がキレイだった。
なお、境内に広い空地があるのでPは可能なんですが、途中の道が狭隘なため普通車の通行は困難。県道23号の道路脇に数台Pできる場所あり。
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川沿いを西進した長尾集落のはずれ、屈曲した川中には赤っぽい岩場。道路脇の絶壁中腹に小さな二つの祠。これは?
 
帰宅後、調べてみると、かつて川中の御霊岩(赤壁?)の上に祀られていたものを遷座したとのこと。
 
とすると、他方の祠は? 川下りの難所を見おろす「シコブチ神」?
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思子渕大明神(高島市朽木宮前坊)
 
邇々杵神社に合祀されているとのことですが、摂社が多く、どの祠がそれなのかわからず・・・。
 
神社の北側に宮前坊集会所にP。
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志子渕神社(高島市朽木岩瀬)
 
興聖寺Pにクルマを置き、集落内の鯖街道を北進。
 
北にあった社を寛文年間、洪水により流されたので現在地に遷座したとのこと。
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境内からは、街道沿いの家並みに遮られて安曇川は見えない。
高台にある興聖寺の門前から安曇川を見る。
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興聖寺・・・京の兵乱を避け当地に身を寄せてきた室町幕府12代将軍足利義晴のため朽木氏が作った「岩神館」の跡地に建つ。
 
往時の庭園(三重県美杉・北畠氏館跡庭園に類似)や土塁・薬研掘の痕跡を観ることができる。
 
 
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話題の尽きない「かっぱ」伝説です。 
最初に紹介しました伝説のほかに、次のような「お話し」もあります。
   ②の「お話し」は、前回に紹介したものと同じ出典のようですね・・・。
 
新井清『久多のガワ太郎』
志古淵さんには、七人の男の子があり、時々、この子供たちを連れて、川下りをしていた。
初めのうちは、一人ずつ丸木に乗せて川を下っていたが、それでは面倒なので、そのうちに、丸木をくくり合わせて筏を作り、みんないっしょに乗れるようにした。
ある日、いつものように子供たちと筏を流していると、新畑川との合流点である川合の下流付近で、筏の先頭に乗って竿を握っていた長男の姿がフッと消えてしまった。
志古淵さんは、「これは、ガワタロの仕業に違いない」とにらんで、筏を解き、それで川に堰をし、下流の水を干してしまった。
すると、川の中に突き出ている大きな岩の下で、ガワタロが、長男の乳のあたりをしっかりと抱きかかえて、うずくまっているのが見えた。
志古淵さんが「子供を返せ」というと、ガワタロは「一度捕らえたものは返さない」というので、「年に三人だけ人の子をやるから、その子を返せ」というと、ガワタロはしぶしぶ承知した。
その時、志古淵さんは、今後、志古淵さんと同じような簑笠をつけ、ガマ(蒲)のハバキ(脚絆)を巻き、コブシの木の竿を持った筏乗りには手を出さないことをガワタロに約束させた。
この時、こういう取り決めがなされたので、その後も、安曇川筋では年に三人の水死人が出るが、志古淵さんと同じ姿をした筏乗りは無事だという。
なお、「志古淵神社」の古名は「思子淵神社」で、祭神は「斎部の神様」とも「筏の神様」ともいわれている。
また、志古淵さんの長男がガワタロに引き込まれた所にある大きな岩は「乳鋏み岩」と呼ばれている。
 
上野佐太郎『筏乗りの神様、志古淵さん』
昔、久多庄に「志古淵さん」という筏乗りの名人がいた。
ある日、志古淵さんは男の子を筏に乗せて、いつものように久多川を下り、葛川の奥山という難所に差し掛かった。
ふと後ろを振り向くと、乗っているはずの子供の姿が見当たらないので、志古淵さんは筏を横にして、川をせき止め、あちこち探したところ、川下の大きな岩のウロ(穴)にガワラが脇に子供を抱えて潜んでいた。
ところが、そのガワラは、水をせき止められて大変弱っており、命乞いをしたので、志古淵さんは、今後、菅笠をかぶり、蓑をつけ、草鞋をはき、足にガマ(蒲)のハバキ(脚絆)を巻き、コブシ(辛夷)の竿を持った筏乗りには悪戯をしないことを約束させて助けてやった。
それ以後、筏乗りは晴雨にかかわらず、このような服装をするようになり、事故もなくなったので、志古淵さんは「筏乗りの神様」として敬われ、久多の氏神「志古淵神社」として祀られるようになった。
なお、ガワラが子供を抱えて潜んでいた所は「乳挟み」と呼ばれていたが、それが訛って、現在では「火挟み」という地名になっている。
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志子渕神社(大津市葛川梅ノ木)
 
梅の木休憩所にP。
 
少し北行し右(東)の広場に歩を進めると林の中に10m四方の空地。
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側にある山道を登ると西向きの鳥居が現われ、東に本殿(覆屋)への石段を登る。
 
榎大明神、水神と合祀。西面。
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シコブチ神社(大津市葛川細川)
 
細川休憩所にP。
少し南に戻って川の北岸を東に進む。川の周囲は階段状の耕作地跡?
南面して建つ八幡神社本殿。
その境内、本殿の右手前、道路側に山の神と並んで鎮座。西面。
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きょうは、
シコブチ5社祠をお詣りできた。
 
坂下と坊村のシコブチ神社を除く3社の周囲は、植林された木々で川面が見難くなっている。
 
最後に、
細川カッパ村にあるカッパの棲家を覘いて、きょうの探訪は終了。
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訪ねてきました。 
当初は1~2ヶ所を訪ねることが出来ればいい、と思っていたのですが・・・あまりに気候が良かったので「鯖街道」を南から北へ、
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思子渕大明神(大津市葛川坂下)
 
大きく蛇行した川沿いの集落の真ん中、安曇川に突き出すかのような岩の上の覆屋の中に愛宕さん、山の神さんと並んで南面して鎮座。神社の横、路側にP。
安曇川に釣り人ふたり。
ここは、比良山系蓬莱山への登山口。
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志古淵神社(大津市葛川坊村)
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比良山荘の東奥、安曇川から少し離れた地主神社、本殿は西面。
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その境内、本殿の北東側に鎮座。
境内にP。
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川を挟んで北側に明王院。
ここは、比良山系武奈ヶ岳への登山口でもある。
 
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思子渕神社(大津市葛川町居)
町居の集落を抜けて安曇川沿いに左岸を北行、行き止まりの観音寺にP。
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境内の裏山、中腹に山神さんと並んで南面して鎮座。
周りは転石がいっぱいの危険な急斜面。
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門前に2軒の民家があり88歳という婆さんと立ち話。
住職は入院中で不在とか。
シコブチ神のことを「水神さん」と言っていた。
安曇川側は絶壁、川により山麓が抉られている。
川中には大きな岩をはじめ流されてきた堆積岩。
 
 
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「かっぱ」って言えば、有名な岩手県・遠野市をはじめ熊本県・人吉球磨地域などでは近年、観光資源としておおいに活躍?しているようですが・・・、
 
この「かっぱ」全国各地に伝説があるそうですね~。
 
近江の国(滋賀県)にも、こんな「お話し」があります。 
 
以下、滋賀県小学校教育研究会『読みがたり滋賀のむかし話-「しこぶちさん」のむかしばなし』の要約
 
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むかしむかし・・・朽木村の筏師「しこぶちさん」が、山から切り出した木を筏に組んで息子と川を下っていると、続が原の日ばさみというところで、岩のかどにあたって立ち往生してしまいます。
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「これは困った・・・」、ふと気づくと、乗っていた息子の姿が見当たりません。
 
川に眼をやると、一匹のカッパが息子を小脇に抱えて川底に引入れようとしているではありませんか。
 
「おまえは誰や!」
「わしは、人の生き血を吸うて生きてるカッパの川太郎や」
「しこぶちさん」は息子を救おうと竿でカッパの川太郎を懲らしめ、大事な頭の皿を割ってしまいます。
「これからは、もうしません」 カッパの川太郎は、すごすごと退散します。
 
いったんは、しおらしく誤ったカッパの川太郎でしたが、「しこぶちさん」が中野の赤壁というところへ下ってきたとき、ふたたび川底から筏をおさえて航行を邪魔します。
かんかんに怒った「しこぶちさん」は、カッパの川太郎を完膚なきまでに打ちのめします。
「堪忍してください。これからは菅笠にガマの脚絆をはいて辛夷(こぶし)の竿を持っている筏師さんには手を出しません。」その誓いのしるしに持っていた杉の枝を逆さに突き出します。「しこぶちさん」は哀れに思って、カッパの川太郎を許してあげます。
 
その逆さに立てた杉の木から枝が出て、安曇川町中野の大きな「逆さ杉」になったそうです。そして「しこぶちさん」は川のワルモノを退治してくれる強い神様として、川沿いのお宮さんに祀られるようになったということです。
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ということなのですが、湖西の安曇川水系(安曇川本流、本流に流れ込む北川・針畑川など)には、この「しこぶちさん(志古淵・思子淵・信興淵など)」を祀っている社殿・祠が17(現存15)もあるそうです。
これら社殿・祠のほとんどが、屈曲部の岩場や合流地点など筏航行の難所に祀られているそうです。いずれ気候が良くなれば、社祠の1、2ヶ所を訪ねてみようと思っています。
 
ところで、この近江の国の「かっぱ」は愛嬌者で、夜這いに出かけたガワタロウが捕まり、許してもらうために毎日川魚を届けたそうですよ(^J^)
 
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滋賀県長浜市生まれの西田天香が創始した一燈園(皆倶成就大円覚 将来世界真平和)。
 
倉田百三は、ここでの修行体験を元に『出家とその弟子』を書き残した。
 
 
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諸羽トンネル入口の東側にある船溜まり。
 
 
 
 
 
 
今回はここまでにして、京阪・京津線の四ノ宮駅に向かった。
途中、一燈園入口の坂は、早咲きの桜並木。
 
小関越えの山中に入ってから出逢った人は、サイクリストの人と藤尾から登ってきた人の2人だけ。
 
桜の季節にはまだまだなので、大津市側・京都市側も人は少なくて静かな散策を楽しむことが出来た。 この続きは、桜の花が咲く頃に・・・。
 
きょうの歩数=15,227歩
 
 
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