下山後、高瀬山城跡を訪ねたあと出雲探訪の〆として、曽枳能夜神社(そきのやじんじゃ。『出雲国風土記』記載の「曽伎乃夜社」)へ。
仏経山を背後に控えるように社殿が鎮座。祭神は、伎比佐加美高日子命。古事記「垂仁記」には、
故、到於出雲、拜訖大神、還上之時、肥河之中、作黑巢橋、仕奉假宮而坐。爾出雲國造之祖、名岐比佐都美、餝青葉山而、立其河下、將獻大御食之時、其御子詔言、是於河下、如青葉山者、見山非山。若坐出雲之石𥑎之曾宮、葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷乎問賜也。
と出雲国造の祖である伎比佐都美が皇子牟和氣命に供御を奉った旨の記載があり、
また、当該社の由緒畧記には、
当社は、延喜式内社で、出雲風土記に「神名火山(中略)曾枳能夜社に坐す伎比佐加美高日子命社、即ちこの山の嶺 に在り。故れ神名火山と云ふ」と記されてあります。 御祭神はこの地方(キヒサの里)一帯を守ります首長神 であり、出雲大神の祭り主でありました。 古事記垂仁天皇の条に見られます「出雲国造の祖、伎比佐都美」は当社の御祭神であり、同条「石硐の曾の宮」とは 当社であると考えられます。
とのこと。

境内に岩神(祭神:神魂伊能知奴志命)や宮谷から遷座した韓國伊太氐奉神社(『出雲風土記』に記載の「審伎乃夜社」)などが祀られている。
このあと、真新しい松江自動車道を経由して帰宅。
本線上にSA・PAはなく、ICに隣接して道の駅を設置している。無料通行区間における自動車専用道を活用した地域振興の一形態。
総走行キロ:1144.9km。
滞在4日間の総歩数69150歩
(1日目:6402歩、2日目:18729歩、3日目:20438歩、4日目:23581歩)
【カンナビ4山(野)を踏査して・・・】
「カン(神)ナビ(隠れる)」山 = 神が鎮座した山
磐座の確認・・・
山城普請により大きく改変された茶臼山を除き、仏経山、大船山、朝日山、それぞれにそれらしい岩があることを知ったが、「これだ!」と確信を持てる岩を現認するに至らなかった。
『出雲国風土記』と『古事記』を再読してみると、
①神名樋野(茶臼山)
~神降臨の依代としての松
②神名火山(朝日山)・佐太大神(誕生地は加賀の潜戸)
~里に恒常的な社(山全体を御神体として意識)
③神名樋山(大船山)・石神(多伎都比古命。多久村)
~山上に御託としての石神
④神名火山(仏経山)・曽支能夜社(伎比佐加美高日子命)
~山上に社、里にも社
となっており、山上の岩や松を依代(①・③)⇒山上・山麓の双方に社(④)⇒山麓に社(②)といった変遷を想定できる。
【おまけ】
今回の出雲探訪は、移動の利便と雨天時の対応を考慮して、米子駅前のホテルに連泊。
駅前広場に「米子ッ子合掌像」をはじめ山陰鉄道発祥地の記念碑やモニュメント(C57型蒸気機関車の動輪と客車車輪、「山陰鉄道発祥の地」と宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」をかけ合せた「空を駆ける鉄道」)がある。「日本ブログ村」に参加しています。
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竹林の中に朽ちて倒れた表示杭「大船山登山口」を見つけ、立て直したあと登山開始。 


として『出雲国風土記』に出てくる烏帽子岩を確認したくて歩を進めたものの倒木が酷く、径もハッキリしない。
下山後、久し振りに「風土記の丘」の西側にある神魂神社(かもす)を訪ねた。
「ひもろぎ」。 


バラック小屋.

尾根続きの西端に、こちらより高い峰があったので、
・・・拝殿に置かれた鏡に写る怪しい人影~、

気を取り直して、神名樋野(茶臼山。高さ171m)へ向かう。 
頂上付近に「磐座」らしきモノの確認は出来ず。
南口ルートを下山。 









