《金玉良言》 | 福縁譚

福縁譚

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(ヤフーブログから移行して来た時に漏れた記事で、サーバー整理時発見したので、再掲載します。)

 

中国玉その一:金玉良言(フィックション)

 

中国玉についての対話です。

 

中国のXさん”よい玉はありませんか?”

私”私はあまり専門的じゃないから、手が出さないね。”

 

X”日本に好い物はありますか?”

私”去年京都のオークションで一点良さそうなものを見掛けました。10万円のスタートですが、最終的600万円で落札されました。びっくりようてんですよ!”

 

X“羊脂玉なら、それぐらい行きますね。“

(注:羊脂玉:新疆産の美玉、羊の脂肪のような潤い感から名前を選った。)

私”綺麗なものでした。東京のオークションにもたまに玉製の彫刻を見かけます。新しいものも相当高いですよ。”

 

X”日本にも人気があるか?”

私”玉を買う人は海外からの客はほとんどみたいね。京都の場合は中国からの電話入札でした。”

 

X”やはりそうだ。好いものありましたら、ぜひ教えてください。”

私”あまり趣味に合っていない、玉って宝石より高いとはちょっと不思議に思っています。”

 

X”玉は宝石より気持ちがいいですから。”

私”そうだとしても、見分けの基準がないから、高いか安いか良く分からない、玉って一旦なんですか?”

 

X”玉は玉ですよ、中国伝統の宝物ですから。”

私”玉石とも言いますが、ただ綺麗な石ではないですか。”

 

X”石とは違いますよ!玉は玉、石は石。”

私”物理的には宝石も石ですから、貴石と言います。ほか、翡翠、瑪瑙など半貴石と言いますが、玉でどちらも入れないですが。ただの石ではないですか?”

 

X”そういえばそうだけど、あれは西洋人の考え、我々中国は4000年前からも玉を知っています。西洋人は分からない。”

私”私の知っていることから言えば、春秋戦国時代に玉と呼ばれるものの中、翡翠や瑪瑙も入っていました。今は呼び分けているけど、その時代に翡翠とか瑪瑙とかの名前がなかったから、綺麗な石を皆”玉”と読んでいたかと思います。有名な漢白玉は実は潔白の花岡岩でしょう。その時雲南の大理石も玉と読んでいたから、玉の本来の意味は’綺麗な石’に過ぎないと思います。”

 

X”xxさんは良く調べているね、言葉上には負けますが、ただ中国人が玉と言うものは普通の綺麗石とは違う物です。”

私”どこか違うか、そのアイデンティティを教えてもらいたいね。”

 

X”玉は玉の色をしています。脂肪のような艶で、好い物は潔白で、まるで玉だ。”

私”Xさんはなにも言っていないじゃないですか、玉は玉のようで、中国人の感覚を教えてください。”

 

X”羊脂玉を一度見ればよい、あれほど魅力的な玉質感は感動するよ。”

私”多分見たことがあります。非常に魅力的だとは認めます。石の硬さの感じがなく、まるでプリンのような感じです。・・・すみません、プリンほど軟らかくないか、ちょっと言い過ぎました。”

X”そうだよ、中国の文化ですから、中国人はこの感覚がすきです。”

 

私”しかし、新疆は清に捉えた後、新疆の羊脂玉は中国の玉と言っても過言ではありませんが。清の前に中国はなにものを玉にしているか。”

X”玉は沢山あります。ただ羊脂玉は一番綺麗だから、ナンバーワンです。昔しい色々ありましたが、墨玉とか、青玉、白玉、黄玉、緑玉…いろいろあります。”

 

私”Xさんはただ石の色を言っているじゃないですか、墨玉は知っています。あれは木の化石で、炭素ですから、石炭と同じ成分ですよ。しかし、白玉と黄玉は同じ石ですか。”

X”それは分かりません。”

 

私”御免ね、私は難しいことを聞ちった石の世界では、石は硬さで区分するから、中国玉は軟らかい玉に分類されています。半貴石より一段低いですが。”

X”西洋人は宝石を遊ぶ、我々中国人は玉を遊ぶ。別に関係ない。”

 

私”中国には宝石は人気ありますか、ダイヤとか、ルビーとか。”

X”女性には人気ですね。男は玉です。昔からの伝統で、玉は潔さの象徴です。”

 

私”Xさんから好いことを聞きましたね、つまり”潔さ”は玉のアイデンティティなんだ。しかし、”潔さ”は硬度ほど計測できないから、どうやって価格を付けるか。”

X”好いものは見れば分かる。それなりに高い。”

 

私”つまり、見た目で決まるですか?”

X”基本的にそうです。今は玉の鑑定もあります。”

 

私”なにを鑑定するか、硬さ?成分?”

X”それは分からない、やはり新疆産かどうかは鑑定してくれるそうです。”

 

私”例えば新疆産の玉はなにか特別な成分があるから、鑑定できるとしても、玉の品質とは無関係でしょう、質のよさは目測鑑定ですか?”

X”そこまではやらない、今ロシア産の白玉や人工白玉があるから、天然物かどうかを鑑定する。”

 

私”なるほど、ロシア玉はとっても潔く、潔白ですが、それはだめですか。”

X”白すぎで、冷たい。中国人の感覚に似合わない。”

 

私”難しい話ですね。私は幾ら見た目が好いとしても、ただ石は宝石より高いとは理解できない。後ね、中国翡翠と呼ばれるネパール産の軟玉も翡翠とは別ものですから、中国以外の人だと遊ばないよ。”

X”翡翠は玉と別です。”

 

私”本翡翠は硬いから、宝石の一種ですが、中国翡翠は玉じゃないですか。”

X”翡翠玉と呼ぶ人もいる。しかし、玉とは別です。”

 

私”私の理解は羊脂玉を取れる前に、中国は翡翠玉をネパールから輸入していったじゃ。だから、その時、翡翠玉も玉でしたね。”

X”そうでもない、中国自産の白玉や青玉、黄玉などいつもありますよ。”

 

私”あれはなんの石ですか?良く知っているものは岫玉と呼ばれるものですが、若い黄緑色で、半透明な石ですが、市販の玉香炉はほとんどそれです。”

X”岫玉は安徽や東北の山から発掘したもの、白玉や、黄玉、青玉とはそれぞれ産地があります。山か川か、その産地で名前と付けるね、例えば:独山玉も有名ですね。”

 

私”そうですか、良く分かりません。玉の産地がいろいろあると買う人はどうやって見分けるか?”

X”産地は第二、玉質のよさは一番重要です。後は年代もの。”

 

私”そういえば、印章彫刻用の鶏血石や、田黄石は有名ですが。この場合はやはり産地は第一ですよ。”

X”田黄は玉じゃない。”

 

私”田黄玉とも言うじゃないですか、軟らかい艶の綺麗な石ですが。”

X”そう呼ぶだけ、玉とは別物。”

 

私”印章の石は軟らかすぎたからね。”

X”硬さには関係ない、玉は玉の質があります。”

 

私”玉質は分からない、宝石の方はきらきらと綺麗です。高そうな感じです。”

X”宝石はいいけど、中国人には似合わない。玉の方は心が動く。”

 

私”伝統ですか、そう言っても、科学は進歩しているから、そもそも、玉の定義をはっきり示した方が好いじゃないですか、例えば、宝石のように、硬さや色とかはっきり基準を付けて、公平的ではないですか。”

X”そんな、なんでも西洋人のメージャーで計るじゃありません。私達中国人は自分の基準があります。”

 

私”その基準はなんですか?皆さんに知らせたほうがいいよ。”

X”見れば分かるさ・・・xxさん、この話はやめて、xxさんは玉を嫌いだ。”

 

私”嫌いでもないですが。結構綺麗な石ですよ。”

X”石じゃないって、玉なんです。”

 

私”玉はなんですか・・・”

X”羊脂玉はね・・・”

 

また話は最初に戻った感じです。終わりそうもない対話です。

 

 

中国玉その二:説玉解字

 

中国の玉文化を分かりやすい説明するため、まず、”玉”字から話します。”玉”の概念が出来る前に、綺麗な石を彫刻した飾りものはすでにあると言うまでもありません。現代中国考古学上、”一番古い古代玉飾品”とされるものは、内蒙古の旧石器時代の遺跡から出た約1万前のものです。このものは現在中国の概念上の”玉”であります。1万年前は”玉”という言葉はまたないですから、正直言いますと、原始人にとっては、綺麗な石しかほかなんでもないです。

 

商の時代(新石器時代)の中華文化圏に甲骨文が誕生しました。今の読解では、”玉”の字がありました。”玉”は三つの石を紐で繋ぐ形にしているから、石の飾りものの意味します。飾るものですから、当然特別で、綺麗な石です。

 

綺麗な石を飾りものにすることは中華文化圏だけの現象ではない。それぞれの場所の人は、それぞれ産出の硬いきれいな石を飾る。たまたま、中国大陸に生まれる人々は、近代科学から”軟玉”と分類される一種綺麗な石を見つけて、それは地元にしては、最上級の硬い石であることを分かり、それを”玉”と呼び始まった。違う場所のエジプト人は”ガーネット”を見つけた。日本人は翡翠を見つけた。皆同じことを遣っていましたが、それぞれ見つけた一番硬い一番綺麗な石を特別な名前を付けました。つまり、最高級の石(つまり宝の石)を言いますと、エジプト人はガーネット、中国人は玉を挙げます。他の山に玉以上硬い石があることはまた知られていない時代の話です。

 

ちなみに、”翡翠”や”宝石”など漢文は近代漢文造語です。”翡”とは緋色玉、”翠”とは翠色玉のこと(今や碧玉と呼ばれるカワセミです。)、別々です。この2つの字をあわせて、近代に輸入された”ジェイダイト”や”ネフライト”の代名詞になった。古代漢文の”宝石”や”美石”、”貴石”はすべて、玉を賞賛することばであります。つまり、古代漢文の玉は”宝石”と同義語でありました。明の時代になって、西洋から持ち込まれたルビーのことを”西洋紅宝石”と呼び始まった経緯があって、固有名詞化されました。中国玉はその硬度は”宝石級”以下であることが分かりましたから、中国玉は”玉”のままで、”宝石”と呼ばなくなりました。だから、漢文の”宝石”、”翡翠”、”瑪瑙”など言葉が固有名詞化されたと同時に”玉”概念も縮小されました。

 

周の時代になりますと、青銅器に刻まれる文字の中”寶”の字がありました。”寶”とは今は”宝”と書く。字の解釈は”家の中に玉と缶と貝があります。”缶とは食料や水の儲蔵器、貝は通貨、玉は”綺麗な石の飾り物”にしても、生活必須な宝蔵であることを表しています。”玉”は宝蔵の一種になりました。後世の金貨と同じ地位でした。だから、玉は綺麗だけじゃたりない、硬くないと持ちません、珍しくないと価値がない。その時代の中華圏経済は”玉本位製の貝通貨”であることは分かります。

(この”寶”の字からもうひとつ面白いことが伺えます。三つの宝の中、貝は下支えになって、一番目立つ。新石器時代の人はもうすでに現金の重要性を認識していました。)

 

中国玉その三:古き良き時代の玉文化

 

だから、周の時代の人は玉を佩帯することは富を顕耀することです。貴族や長老がすることです。玉の概念は綺麗な石から、富と地位の象徴へ上昇した。石との分かれであります。文字記載の証拠もあります。

周の時代民間の歌を記載する≪詩経・小雅・鶴鳴≫に”他山之石、可以攻玉”一句があります。(玉を刻むものは、他の山へ探す。)

玉の概念はすでに石から分離されたであります。このほか、玉は一番硬いものだと分かります。宝石です。

 

≪詩経・秦風≫”言念君子、温如其玉”(君は玉のように優しい男だから、忘れません。)、

≪詩経・衛風≫"有匪君子,如切如磋,如琢如磨”。(謙虚な君は、まるで洗練された玉のように。)

この時期の”君子”とは青年男子のことです。また階級や道徳上の意味は持ちません。日本語の”君”と同じ意味です。こちらの記載は中国史上初めて、玉の特性を人の性格と比べることにしました。”玉”字が持つ一番重要的で、第三の喩意の萌であります。この新しい喩意は中国民間から自然的に生まれましたものですが、例え、西洋人は”君の瞳はダイヤみたいにきらきら”を言うと同じ脳味噌です。なんの中国的な特殊性も持ちません。ただ、中国人は外見より、性格のよさを重視しているように思われます。

この時期には、”玉”の言葉の概念上に微妙な意味の外延は、玉がすでに金貨銀貨が流通している西周の時代にも価値のある宝物として存続するチャンスを与えました。今の言葉で言えば、チェンジ・イーコール・チャンスであります。

 

(補:春秋時代(西周)≪尚書・胤征≫にも”火炎崑崙、玉石倶摧”一句がありました。玉はすでに石の概念から分離されました。

(崑崙山が炎に包まれたら、玉も石も灰になる。)

注:”崑崙山”は黄河文明の発源地として、中国の古籍によく登場する山です、現代中国考古学説では、陜西省と山西省の境になっている”秦嶺山脈”としています。美しい玉の産地としても知られています。なお、現在青海省と新疆自治区の境の崑崙山脈は新疆和田玉が発見された時に、決まった名前そうです。伝説の崑崙とは直接に関係がありません。

 

中国玉その四:玉文化の復辟

 

時は西周末期、春秋戦国の時代に入ります。鉄は登場する。金銀の飾りも流行し初めました。玉はその象徴地位から危まれそうな時期に、1人の救星な人物は現われました。大名鼎々の儒学始祖”孔夫子”であります。

 

孔子は儒学道徳を象徴する”君子”の概念を提出した。君子が持つべき道徳は仁、智、義、礼、楽、忠、信、天、地、人、道などがあると口説いています。孔子はこれらの道徳観念を玉が持つ特徴の各側面を喩えながら、彼の道徳概念説明することにした。長い話ですが、≪礼記・聘義≫の一節を摘要します:

”玉は珍しいだから珍重されるではありません。玉は道徳の象徴である。

一つ:玉は温潤であり、君子の恩徳の如く、仁です。

一つ:玉は堅密であり、君子の威厳の如く、智です。

一つ:玉円滑に磨き上げ、人に傷付かず、君子の気節の如く、義です。

一つ:君子は美しい形の玉を佩帯することは、礼です。

一つ:玉的叩く音は清揚なり、礼の音楽に従い、楽です。

一つ:瑕があってもその美質は損されない、玉は瑕を隠さず、忠です。

一つ:玉は純質なもので、表裏一致であり、信です。

一つ:玉の綺麗さは虹のようで、天の象徴です。

一つ:玉を見て山河の存在を感じる、地の象徴です。

一つ:玉の圭璋を持って典礼を臨ずることは礼です。

玉はいろいろ徳を持っているから、珍重される。君子とは、玉の如く。”

 

孔子は玉を借って、自分の道徳観を遊説している内に、玉の概念は”物的な財富”から”精神的な財富”へ昇華したであります。

 

儒学の広がりと共に、大陸あちこちの文人雅士は皆”君子の徳は玉の如く(礼記)”から、”君子は玉を佩帯する(礼記)”、さらに”君子は玉を離さない(礼記)”とますますエスカレートします。当時の文人雅士は玉を帯びることで、まさか”君子”になったような気分が味わえます。玉は自己の”道徳”の顕揚する象徴になりました。

 

崑崙の山から取ってきたものが少ないが、需要は急激に伸びたから、玉の相場は急騰し、色々地方から”玉質”の良い石も玉石とされていきます。”玉石”概念は大幅に外延されたであります。春秋戦国時代から、玉は中国儒学と共同運命になされました。玉を帯びる伝統は今まで伝えた最大な理由でもあります。

 

しかし、玉石は西洋世界の宝石と比べますと、硬さは負けるから、彫刻や研磨しやすい。もうひとつ今大いに注目されている特性は”靭性”という特性は玉の場合は明らかに宝石より高いです。つまり、玉器は沖撃に強いから、割れにくいため、実用性は優れています。鉱蔵量も大きいため、旧石器時代からも、道具製造に使う美しい材料として使われています。もし、”宝石”の基準を硬さではなく、”靭性”に変えれば、玉石は当たりまえのチャンピョンになります。

 

西周制度文献<礼記>には、玉石を”祭り用の飾り道具、あるいは典式のための身回り品”として登場しました。礼記は中国大陸王朝礼儀制度の大元であるため、”礼制”の継承傳用とともに、礼祭用品を玉製のものを正統とする概念は、近代まで伝われています。直近の例ですが、北京オリンピックのメダルに玉石を嵌め込んだことは、中国人としては、メダルのイメージに関わる重大な発想らしい。玉は高価よりも高貴であるのだ。

 

中国玉その五:玉工業化時代

 

漢の時代、玉を装飾とする人群は、貴族君子から、一般庶民へ広がるようになりました。大陸中原地帯にも、色々綺麗な石が発掘されました。例えば:花崗岩成分の漢白玉、木の化石成分の墨玉、独山産の色彩トリドリの石、奏嶺産の緑松石とかあります。玉の概念の拡大は、玉の発掘量の拡大でもあります。豊富の材料提供の背景に、玉の使い道は普通に広がりました。高級建築材、食器、装飾品、宗教用具、明器などさまざまあります。特に随葬用品として発掘された玉器は、この時代からです。玉は”永遠の財富”として人々の心から普通に認められたであります。金銀は腐らないけど、金銀よりもっと丈夫で、1万年も持つものは玉ですから、”黄金有価、玉無価(黄金は価格が分かるが、玉は価格を付けられないほどの宝です)”と言われるようになりました。

 

このような時代背景に、まさか玉産業革命を助けるように、漢の時代の文献≪説文≫には、孔子の”玉十徳説”を”五徳説”へ概括しました。人々はより玉の性質のよさについて、簡単に理解できるようになりました。≪説文≫一部を摘要します:

”玉は美しい石です、五つのよい品格があります。

温潤さは仁なり、内外一致は義なり、音声遠揚は智なり、曲げないから勇なり、煩雑な彫刻をしないのは潔です。”

 

つまり:温潤、純潔、剛強、堅実、素味 この五つの特性を持つ石は良い玉であり、玉と石の性質上の区分点でもあります。なぜか五徳であって、四徳でもない、六徳でもないとは、多分人間の五感へあわせた考えだと思います。

 

よい玉の基準、五徳は漢の時代に決められたものでしたが、これはあくまでも中華民族的な”物理”解釈で、現代科学との着眼点や、思考方法は根本的な違いがあります。しかし、推理の結論や表現としては、やはり、人類の感覚によるものですから、現代科学分析の結果の外延とはほとんど一致するのは当然であります。

(中華医学理論と西洋医学理論の比較とは同じのように感じます。同一”物理対象”を違った理論で演緝し、結果的な解釈はなんとなく一致する時は多い、このため、どちらか絶対的な正確方法とは言えず、いずれも長短があって、真理には近いですが。少しは偏向がある状態とは考えられます。)

 

中国の玉の五徳の概念を現代物理学的な表現を連携して考えますと、下記の関連性があるように思われます。

温とは、手で触ると冷たい感じはない、手触りは温い→熱伝導性は低い。

潤とは手触りは滑らかです、良い鏡面仕上げされていること。

そして光沢は優しい。→人間の皮膚の感覚としては、ちょうどよい硬さであります。半透明で、光な内部まで届く。反射と折射の複合現象があります。

純とは、純質な成分で、雑質がすくない。これにより、光の演出も感じがよいだろう。→単一成分の鉱石

潔とは表面は光潔と彫刻のシンプルさ→鏡面磨きし易い、玉はあくまでも質のよさを鑑賞する、造形彫刻は二番目の審美要素になります。

清とは、音は清亮、遠く伝えられる→密度は高い、石地は純潔で結合性はよい、ヒビがない。

強とは見た目よい、鋼性あり。刻むことも大変。(普通の石より明らかに剛性あり,中国古代の美玉の藍田玉はガラスより硬いです。だから、硬いものは好い物であるのは間違いないですから、覚えてください。)

 

この中、現代科学としては、一番理論のベースが低く、解釈しにくいものは、”潤い”であります。一部の学者は長石英石表面の分子羅列状態の偏向性で解釈しています。また基準などは定めていないようです。しかし、玉の特性の中、潤いは第一重要とされる特性でもありますから、現代科学は玉の定義について、竅途末路な状況にあると伺えます。”潤い性”について現代科学がまた解釈できないだから、存在しないとは言えません。

 

玉の定義はできました。

玉の”潤性”は人間の複数な感官より取り入れた複合感覚でありますから、単一の指標で測定出来ないわけ、人間の感覚はただの生理現象ではなく、人が育つ文化的な要素に左右されることになります。玉文化を賞賛する文化の中で育った人間は、玉の”潤性”について敏感に感じるようになります。異文化に育てられた人たちは、玉を目の前にしても、まったくの”潤い性”を感じないこともないと思いますが。ただし、自分の文化背景上、この種の感覚をどうのように表現すれば、或いはどこまで重視すればいいか迷う状態に陥るだけであります。”なんでも玉”と言うなら、玉は存在しないではなく、ただ看る人はその種の文化への感触がないとしか言えません。

 

そして、良い玉を見分けるには、この五つの特性から着手する。硬さを試したり、手でさわたり、玉同士を叩いたり、艶を観測したり、強い光線を当てて内部の石質を確認したりしてください。玉とは”玉質”な石である。玉質とは五徳であります。普通の石は”玉質”を持ちません。硬さではなく、玉質を基準とすれば、玉は石とはっきりと区分ができるようになります。現代鉱物学とまったく違う次元の話しです。玉を理解するため、頭にあるメージャーを切り替えないとだめです。私はよく”玉”を漢方の一味の薬を喩えます。例えば:その薬が効く原理は”陰陽五行”であり、現代科学から看れば、まったく出鱈目のように見えるとしても、その効果は明らかにあると認めなければなります。では、その効果があるから、漢方の原理には一理があると、ただ、現代科学の世界では解釈できないから、異次元てきな理論で解釈されています。この異次元的な理論は、現代科学との結びつきについては、今までほとんど進んでいませんが、人類としては、解決しないといけない課題でもあります。

 

中国玉その六:通俗的な玉文化の始まり

 

漢の時代の漢字辞典≪説文解字≫には”玉、石之美者也”と説明している。玉文化の普及から、玉の概念は”財産”や”道徳”から、もう一度原点へ戻ろうとしています。大陸の超大国の漢は”匈奴”と戦いながら、西方へ冒険の旅が始まりました。後、シルクロードと呼ばれる西方との通商の道をディスカバリーしながら、周辺民族との間の異なる美石文化の交流もできました。”和田玉(現新疆、当時は外域)”と”トロゴ石”は、少しずつ中国人から”美玉”として認識されるようになりました。しかし、輸入品の玉石は中国人にとしては”文化上の意味が薄い”ため、ただの装飾品、つまり”貴石”として扱われるのであります。

 

ここまでの読むと、中国の玉文化はどうやら男の文化らしく、玉は男性の世界の魔石であるように感じます。玉は女性の化身として、中国史上初めて登場したのは三国時代劉備の物語にあります。

 

三国誌にこのような記載があります:

”劉備は兵を起こして、河南省に居た時、三尺高い玉製美人を得た。当時、劉備の夫人は肌白い美人の甘夫人でしたから、それから、劉備はよく甘夫人の素肌は玉人のように白いと褒めながら、玉人も寝床に寝かせた。”玉は徳の物、美人の形にして、さらによいです。”と遊ぶようになりました。そして、”私の帳中には玉人2人がいる”と部下へも自慢話をするようになりました。この光景を見た甘夫人は妬きして、劉備に進言しました:”主公は昔から玉を玩ぶ趣味はなかったですが、今や乱世の真最中なのに、玉を夢中して、玩物喪志に成るではないかと心配します。”それから、劉備は覚悟して、玉人を帳から撤去しました。”

この物語があったから、後に史書には”甘夫人は玉質な柔らかい肌の持ち主である、しかも賢明な夫人です”と書くようになりました。餅肌の美人を”玉人”と喩えるようになりました。乙女のことを”氷清玉潔”、若い女性のことを”玉女”、”玉児”といろいろ喩えができました。

 

儒教道徳のシンプル的な存在の玉を、等身大ドルの材料として扱われたことは、三国時代乱世中で発生したことで、時代の反判者達の反抗精神にぴったりと息会いました。正統への睨視であると同時に、新しいリーダー立ちは骨から儒教を嫌いだと分かります。この玉美人文化は中国の歴史上”人性の抬頭”として、広く民間に受けられました。露骨な表現はありませんでしたが、延綿と絶さなく、近代まで伝えてきました。そこには、通俗的な人性的な玉文化の大爆発が待っています。

 

漢の時代に西域に於いて、漢民族と匈奴の戦いは”往”としますと、西域諸民族は中国大陸への侵入の五胡十六国の時代は”来”と表現すべきであります。この”一往一来”の成果の1つとしては、東西貿易の道、シルクロードが成立したのであります。

 

 

ちょっと話が挟みますが、”和田玉”ってどんなもの?

和田玉と呼ばれる西域(現新疆自治区)産の白玉は現在中国ナンバーワンの美玉とされています。美玉としての性質は、今やこれを勝てるものはない。現代中国では、和田玉は玉の代名詞にもなっているほど、人々に馴染まれる存在ですが。

 

唐の時代には、和田玉は駱駝が遠い西域から運んできた珍しい外国の美石でした。時にも、中国産の美玉の新発見は少なくなっています。変わりに安徽省の山から、硬度や玉質の弱い岫玉は発見されました。和田玉の到着は、なんと昔のような美玉のようなものであるため、もうしかし、和田と言う地方は古人が言う美玉の産地の”崑崙”ではないかと皆思うようになり、そして、朝廷に認められ、正式に和田のあたりの山を”崑崙”と名けった。今中国地図上の崑崙山脈であります。しかし、中国考古学の定義は”崑崙山脈は中華民族の揺藍である黄河文明と遥かに遠さかれているから、中華民族古代美玉の産地とは考えにくい”と結論を付けています。

 

しかし、中国古典に書かれた”崑崙”は実は黄河の麓の秦嶺山脈であります。唐の時代には、秦嶺は緑松石の鉱山になっていますから、だれにも、それは”崑崙”だと思わなかったであります。

始皇帝の国の近くにある秦嶺は古代には美玉を産出しています。その証明とは、始皇帝印の材料として知られている”和氏璧”であります。和氏璧は名前通し、戦国時代楚人の和氏が発見した美玉であり、最後は始皇帝に継承され、印にした経緯がありました。戦国時代の楚国は今の湖北省であり、秦嶺を挟んで、上は河南省(秦国)であります。つまり和氏璧は新疆の和田とまったく関係のないものでした。

 

唐より前、中国古代の玉製品はほとんど内陸産の玉石であります。偶然に中国へ持ち込まれた和田産の玉もあるかと思いますが、非常にすくなく、名前も余り知られていない状況であります。唐の時代なりますと、初めて貿易品として輸入されていたため、和田玉の名声は広がりました。

 

ちなみに、これからの話を分かりやすくするため、2つ玉の専用語を紹介します:

”河料”:卵形の原石、表は石質の皮があり(皮子)、中は純質な美玉とされる状態です。玉の産地の山の麓にある川や、泥沼から発見されます。形は丸い、サイズは小さいものがほとんどから、装飾品の彫刻の原材料として使われます。玉質は山から発掘したものより良いため、”天地の精化”とされている最高級の玉材です。

”山料”:山の岩の塊を刻んだ玉石材料です。河料より、品質は若干悪い、産出量は多く、価格は安いです。など、好きなサイズを切り出すことできますから、いろいろ用途があります。和田の場合は、山料の発掘は清の時代からであります。現代の和田玉はほとんど山料であります。清より前の和田玉はほとんど、河から拾った”河料”であります。

 

なお、中国古代の美玉はほとんど”?料”であります、山から発掘することは明清以来のことになります。

 

そして、上の説明から分かることは、現代和田玉は山料がほとんどですから、最上級のものも瑞々しく感じがします。その硬さや、清さ、潤いは、昔しいの”?料”に負けます。ほか、古代美玉の藍田玉(秦嶺産)は純度や透明感、白さ上は和田玉に負けますが、硬さ、靭度、温潤の深さ、艶の魅力は和田玉を勝っていると思います。古代帝王の印はすべて藍田玉で作られたものでした。明清以来はお墓からしか発見されず、現代の人は博物館からしか見ることは出来ず、一般市民の玉概念上から疎遠したのであります。だから、現在中国の若い人が話す”美玉”とはすべて和田山料のことであると思えたほうが相手の話を理解しやすくなります。

 

中国玉その七:玉の商品化時代が来た

 

唐の時代は、玉器の製作は材料の多様化とテーマの多様化が注目されます。その背景は金銀器が盛行により、玉製品は競争のため、彫刻にたより、装飾性を豊富にした。玉製品の市場は一般に平民の愛好により拡大しました。特に注目すべき物は、玉以外の器を装飾するため、玉の根付が発明されました。玉は初めで”次従”の地位に落ち着いたのであります。唐の時代多彩な文化と政治の背景により、玉が持つ儒教文化的な意味は淡化された上、2度と元の地位へ戻ることはありませんでした。

 

宋元金の玉文化現象は、基本的に唐の時代の玉文化基調そのものである。ほか、実用品、装飾品としての玉彫製品は多く作られました。より一層民俗的、現実的な彫刻手法が見られます。生き生きとした生活感があります。庶民生活の一部として溶け込んだのであります。

 

明の文化は”漢民族の宋の文化へ復古する”現象があります。玉器の風格もそれなりの傾向があります。明の時代には、中国大陸南方への進出や、大航海により、東南アジア産のネッパル翡翠や、紅珊瑚、中東からルビーなどの宝石も輸入されました。これらの輸入品は最初中国人としては、外国の”玉”つまり”宝石”として認識しています。しかし、輸入ものはいくら高価なものにしても、文化的な背景はないため、受け方上本土の玉とは違います。玉とは違う名前を付けられ、装飾品として応用されています。

 

清早期紀?《?微草堂筆記》には”記余幼時,…雲南翡翠玉,當時不以玉視之,不過如藍田、乾黄,『強名以玉耳』,今則以為珍玩,價遠出真玉上矣。」

”私幼い時・・・当時皆は、雲南産の翡翠玉を玉として扱わない。商売人は無理やり玉の名前を付けて、藍田と乾黄と同じぐらいの価格で売っていました。しかし、今や翡翠は珍宝とし、価格は本物の玉より高い。”

 

しかし、外国産の”宝石”は中国玉文化への沖撃効果も大きく、人々の頭脳の中の神聖なる”玉”の概念は淡化していきます。結果的には、明清両代の玉彫刻はほとんど装飾品で、自由奔放豊富多彩になりました。

 

中国玉その八:玉製品の年代区分について

 

玉は美しい石ですから、石の年代はなんでも数十万年以上があります。だから、玉製品の年代測定は意味がない、製作年代については、その工芸と石質の特徴から推測しかできません。だから、玉製品の年代定義も大まかなものに成ります。造形上はこの時代の特徴があり、大抵そういう用途の器で、このような彫刻手法なら、この時期のものであるという推論方法になります。

 

しかし、写しの場合は、昔の彫刻造形をまねるから、鑑識上石の質と状態から判断することは多い、年代ものだと表に弱酸化層(包将)ができます。この石の様子だとどの参考品と似ていると・・・そんな話しになります。現代鉱物学は、石の産地と製作年代を確定する手法はないから、人間の感覚のみ頼りになる、推測にすぎません。

だから・・・このような理由があるから、玉の評価上には産地と製作年代は第一の要因に成りえないです。今の状態は一番の条件になります。つまり、”玉質感”はどれほど気持ちがよいかの話になります。

 

また、年代の話を戻ります。大低玉製品の年代区分はその風格や用途で定義する。

 

旧石器時代(道具、見回り品)平面彫刻:形取りだけ、刻むなし。

新石器時代(見回り品、祭器、道具、財産)平面彫刻:陰線刻文あり

春秋戦国(祭器、道具、財産、身回り品)平面彫刻:陰線、陽線、穿孔、乳突

秦漢(祭器、道具、見回品、装飾品、明器)立体円彫:造形刻線粗礦、シンプル、力強い。俗言う”漢八刀” 平面彫刻:遊糸毛彫、極細線。

三国両晋南北朝(祭器、仏像が多い)立体仏像、玉如意出現

唐(祭器、道具、見回り品、明器)立体円彫:透し彫り、繊細 玉帯板、佛具出現 園彫に透し彫り出現、金銀相嵌

盤状円彫:(根付)大脚板、胡人眼、双勾線のシンプルな表現、密集並線彫りで毛髪を表現

宋金(道具、民芸品、装飾品、明器)民俗風格装飾品彫刻出現、文房用具、仏具 ?出雕法。 円彫の仕上げは丁寧

元(道具、民芸品、装飾品、明器)写実的な円彫、”管鏤空法”による層次の表現。”花下圧花” 玉製祭器用品の減少

明(道具、工芸品、美術品、明器)彫刻工芸化、美術化。写実化。”粗大明”:器具厚手大型、細部表現貧しい。全体の風格の表現力が抜群、曲線流暢。

清(道具、工芸品、美術品、明器)規則有り、丁寧な彫刻、細部まで豊富的な表現。古玉写し出現

現代(工芸品、美術品)

 

”古玉新作”から見た玉鑑定の困境

古い玉材料を更に加工して、古美術品価値としてのレベルアップに計るケースがあります。”古玉新作”と言います。例えば、装飾品の古玉器を宮殿風の祭器へ作り直すとか、明の玉器を漢の風格の彫刻を施すなどです。玉石の場合は新しい古いという概念はあくまでも製作年代の話しですから、玉石自身は年代がない、例えば、同じ山で、今拾った石と千年前で拾った石は、どこか明らかに違うとは、鑑定できないものですから。上手に彫れば、もはやいつ作ったものは完全に分からなくなります。

 

だから、玉の年代判定は製作手法からの判定もあくまでも推測にすぎません。要するに証明性のある傍証が必要です。例えば:宗寺の傳世品、古墓の発掘品など。この傍証要素は、一般の市民や収集家とはまったく関係ない事実です。

 

例えば、玉の専門家にも、このような”古玉新作”の品を出会いましたら、もし、彫刻上問題が見つからなければ、玉質も昔どこの産出石に違いないから、手上げするしかありません。このような困境を打破するため、私の提案では、玉器の評価は3つに分かることにします:

 

評価額=玉質の材質値+工芸価値X製造年代確率

 

観測上の製造年代を証明する傍証がなければ、確率は50%にします。これでよいです。近似品(ほとんど年代確定不能なものですから)の取引価格相場は不確実なものの相場だと理解すればいい。

 

中国玉(後記):玉の鉱物学鑑定

 

玉は珍しいものですから、どこの山でも出るもんじゃありません。だから、”なんでも玉"とからかわれる中国人は怒る。ほんと”玉質”基準以上の玉石は上記の産地しかありません。だから、わざわざ外国からも輸入するなんです。

 

しかし、玉の産地に石の玉質もばらばらですから、基準線満たさないものも、玉質や色を出すための化学処理をして販売することは今の中国玉市場では、相当多いです。そして、人工合成玉石もあります。これらの人工ものや、化学処理したものを排除するために、鉱物学検査は非常に助かると思います。

 

天然無処理なものを確定した上で、上記産地と鉱石成分、石の特徴やサンプルと照合して、大低産地が分かります。つまり、玉鑑定のベースが作ることができます。相場の方ですが、玉質や、人気度、彫刻のよさ、芸術性などより総合的な判断になりますから、石とは言え、1つ芸術作品あるいは工芸品として、看て見る目線が必要だと思います。

 

玉の鉱物学鑑定どこまで可能か、私は今日都内のxx宝石研究所へわざわざ相談に行きました。

 

私”この前お世話になりました。お掛け様で、水晶珠は売れました。”

xx宝石研究所窓口職員X”そうですか、おめでとう。”

 

私”今日御持ちの品はちょっと特別、中国玉です、宝石ではないですが、お宅はこういうものについて何か鑑識上できることはないでしょうか。”

X"一応色石という部門があります。とりあえずそちらの担当と話して見てください。少々お待ちください。"

 

私”よろしくお願いします”

…しばらくしてから、”xxさん・・”と奥の部屋から、声が聞こえました。

私”はい、昨日電話で予約したxxです。”

色石部分の担当Yが見えましたから、私は玉石を一点机に置きました。”この玉ですが、中国の玉先生3人へ写真を送りましたが、

一人はロシア玉を着色したものと、

もう1人は新疆産の蛇紋石を化学処理して玉質感をだしたものと言ってくれました。

最後の1人は、年代物の和田玉に違いないよと。私はどう見ても、この文様は天然石の色と思っていますから、玉質を考えると中国古代秦嶺産の墨玉と思って降ります。結局十人十意見で、どちらも自分の感覚で物を言っているだけですから、お客は納得しにくいです。貴所の技術でどこまで鑑識できるか教えてほしい。”

Y”当社は石質の分析は行われています。例えば、蛇紋石かどうかは分析して結果はでます。”

 

私”中国の人はこれを玉と呼びますが、”

Y”なんでも玉じゃないですか、内が行われている鉱石分析ですから・・・”

 

私”ごめんなさい、難しい話しちゃいました。わかりました。では、天然物かどうかは分かりますか。”

Y”分かります。分析行った上で、結果を検定書に書きます。”

 

私”そうですか、着色しているかどうかも知りたいですが?”

Y”中国玉の工芸品の場合は着色されているものが多いです。着色の場合は石の内部には行かないケースは多い。この石の表面の色の部分を少し削ります、ほんの少し取るだけで、あまり気にするひつようはない。石粉の化学分析を行いますから、顔料や化学薬品など石にないものが検出すれば、結果書に書きます。化学処理が認められない場合は、鑑定書に鉱石の名前以外、特に何も書きません。”

 

私”そうですか、それはありがたいです。・・・石の年代測定はできますか?”

Y”天然の石はどれも数十万年前のものですから、測定しても意味はないでしょう。”

 

私”なるほど、そういえば、製作年代も測定はできないですね・・・では、石の産地が分かるでしょう。”

Y”同じ種類の鉱石も産地が違ってくる、確定は無理だと思います。産出地の違いで多少特徴が違いますが、鑑定書には書けません。”

 

私”そうですか、ほか天然石を確定のため、なにかできることはありませんか?”

Y”天然鉱石特有な光物理現象や、分子化学現象などいろいろ手法がありますが、追加料金になりますが、”

 

私”追加料金はお幾らですか”

Y”1つ項目はうん千円です。”

 

私”構いません。どうぞできるところまでやってください。天然無処理のものであると証明ができれば、お客さまへお薦めしやすくなります。

助かると思います。よろしく頼む。・・・・・・ちょっとすみません、ひとつ聞くのを忘れましたが、石の硬さを測定してくれるか?玉と言ってもやはり硬いものがよいものであるとは代わりがないようです。”

Y"基本的に宝石として扱うですから、傷つけることできませんから、硬さの測定はしません。けれども、鉱石の成分が分かれば、その種の鉱石の硬度のデータがありますから、測定する必要がありません。"

私”成分で硬さが分かるか?なるほど、では、石の種類の結果が出ましたら、硬さも教えてください。”

Y”え、大丈夫です。結果を受け取る時に聞いてください。”

私”ありがとうございます。”

 

中国玉について、今国内鑑定できる項目はこれです。石は皆古物ですから、同じ石であれば、いつ発掘されているかどうかは関係ないと私もそう思うようになりました。言わば玉の専門家の感覚を頼りにするより、鉱石鑑定所を利用して、軟玉成分と天然無処理であることを証明ができれば、後、感覚より判断の誤差範囲は小さくなりますから、安心して、品質の評価ができます。その艶、発色、温潤感、純度、彫刻の上手さ、造形上の技術性などを肉眼、経験と好みによって判断する。産地はあくまでも推測です。大きな評価の理由にはなりません。

 

 

追伸:台湾故宮博物院玉石研究員が発表した論文を見ました。彼が電子顕微鏡で玉石を観察した結果として、”玉質感”の物理的な根拠は長英石の表面分子の羅列状態は一定の傾向を表しますと説しっています。また研究中のテーマです。

 

注:中国玉とされている石の大部分は鉱物学上”長石英石”と分類される石であります。

 

福縁堂主人