明代花鳥絵 その三 (浙派の具象絵風格) | 福縁譚

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明戴進 葵石図
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戴進は明宣徳年文人で、早年に宮廷画院に勤め、宋院体を習得した。
後に、元明文人絵画の没骨設色技法を院画に取り入れ、山水や花鳥とも独特な風格を形成した。
そのゆえに、同僚画師たちに垢病され、明宣宗に画院から追放。
引退後に、自分の風格を更なる発揮し、南画淅派(淅江省)の鼻祖と後世に尊崇される。
 
上の絵は故宮にある戴進の花鳥画一幅ですが、染めや部分的小写意などの技法を駆使して、風格厳慎な院画の風に仕上げた。
当時の宮廷画の基準から見ると異端でありますが、
平坦の外表に崢嶸を隠し、南画技の巧みを院画派に示した
 
戴進が創出した画風が、明正徳年の画家徐霖の手により発揚光大されました。
下図は徐霖の菊石野兔図は、明らかに具象風格が露頭した。
 
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(具象風格とは自然の部品を美術に組み立てる構造ですが、部品の一つ一つは自然その物だが、全体構図は憶想性があります。)
 
徐霖の菊石野兔図は清末の巨匠呉昌石の花鳥と風格似っていないか?!
戴進→徐霖→呉昌石=院画風南画→淅派→海派
の発展ですから、一脈である。
(呉昌石の海派については今後に紹介あると思う。)
 
徐霖の菊石野兔図は具象風花鳥絵を完成し、南画の一派にして、院画の枠から完全に脱出した。この画風は明清文人の間で旋風を引き起こした。
そのゆえに、徐霖も同年の沈周と並びに”二人の高士”との世評があります。
 
清後期に、具象風花鳥絵は上海で集まる文人たちの手により、技法の応用の自由度が高め、より渲染、抽象へ発揮した結果は”海派”を形成した。
 
呉昌碩 牡丹水仙図
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(続き)

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