元々歌舞伎看板として登場した庵看板は、上方からの下り役者を表していた。その上下を用いて、幕府は東海道全ての宿場の庵看板表記を、ひらがなを見て歩く方向は上り「京へと続く」、漢字ばかりが見えていれば下り「江戸への道」と定めていた。当時の旅人の多くは地図の概念など全くなく、それどころか、文字も読めない人々が往来していた東海道。しかし、ひらがなと漢字の区別は容易にできた事を利用し、誰もが判りやすい決まり事を定めたのだ。旅籠玉屋から早朝、旅人が出発する時、深川屋の庵看板の文字「關能戸」を見て江戸へと下り、「関の戸」のひらがなを確認して京へ歩き始めたのだろう。




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