そこにあったのは、螺鈿細工の朱塗り箱だった。縦横が二尺程の大きさで、壁際の床の間にいくつも積み上げられ、ずらりと並んでいた。勿論、その時の私は、螺鈿細工の言葉も知らない。ただその美しく見事に光る立派な箱に驚き、幼心にも「宝物」として捉えていただけだった。
祖母が話し出した。
「このお箱はなぁ 担い箱ゆうて むかぁし 天皇様に関の戸をお届けした時に つこうとったお箱なんよ。ほれ ここに菊の御紋が施してあるやろう この御紋は天皇様の 御印でなぁ この中に関の戸をいっぱい入れて 京都まで担いでお届けしたんやに」
そう言うと、祖母は担い箱の一つから、四段重ねの器を取り出した。それは、総螺鈿細工の そのまた上を行くような、言わば総々螺鈿細工の菓子器だった。
「光っているのはな 蝶貝や青貝でな 真珠の貝みたいに光るんよ それを一枚一枚朱塗りの箱に貼って作った菓子器なんよ 天皇様の御印があるお品やから 人目に触れてはあかんから この部屋にしもうてあるんやに」
江戸時代、上皇の御所であった、京都の御室御所へ、この担い箱でお届 けをしていた関の戸。特別誂えの道中着を纏い、二体の箱を天秤棒で肩に担い、多い時は、十日に一度の頻度で、十九里半の東海道を、鈴鹿峠を越えてお運びしていたと、祖母はわかりやすい言葉で私に教えてくれた。その部屋に並んでいた十二体の担い箱は、所々が傷つき、いくつかは壊れ、旅の工程の過酷さを物語っていた。
5へ続く