「私は◯◯建設の会長をしております◯◯と申します」
突然、誰もが知る大会社の会長様からの電話に驚いた私は、一瞬のうちに、ありったけのお詫びの言葉を探していた。関の戸に何か不都合があったのかも・・・
「実は、今朝の朝刊に掲載されていた御社の庵看板の記事を読んでお電話差し上げた次第です。」

創業当時から深川屋の象徴「庵看板」。天明3年(1783)の関宿大火の折も、隣の旅籠萩屋からの類焼を案じて、何より優先して、丁稚たちが屋根に上がり、看板を外し守った程と、その大切さは語り継がれている。唐破風の屋根を乗せ、専用に焼いた小さな瓦を葺き、左右には阿吽の獅子が飾られている。中央に吊るされた木板には金文字で施された「関の戸」の文字。旅人が遠くからでもその存在に気付くように、街道に垂直に掲げられている。現在では、東海道五十参次の宿場町で現存している庵看板は殆ど無くなり、その看板の持つ隠された意味に共感した新聞社が、全国紙に掲載した日の電話だった。
「庵看板の決まり事を、私たちは今も、受け継いでいることに気が付きました。発祥は東海道だったんですね。」




2へ続く