友人の49日に呼ばれず頭に来て個人的に動いてしまいました。亡くなりましたのが9月6日ですから10月24日です。亡くなった日を1とカウントします。家族が排他的でロクデナシですから話しても分ってもらえないでしょう。57年も友人でしたから並みの友人では有りません。人生を共に歩んだと自負して居ます。

 

それが善行寺と言うのは50年以上前に車で連れて行ってもらっただけでお墓の位置も半世紀前で様変わり。JR山手駅から友人と一緒した微かな記憶で導かれるままでお寺迄行きつきました。何処も迷いなく最短で一発です。流石に墓石が立ち並び彼の家のお墓は見付かりません。

 

でも、気の向くまま導かれるままで何とピタリと見付けました。偶然ではないですね。明らかに何かに導かれている感じです。最悪見付からなければお寺で聞くしかないのですがそれは大丈夫でした。供え花は生花は駄目で造花の方が優れ物です。お線香は、お墓参り用の火の付き易い物を1束。墓石に水を掛け備え付けのタオルで水気を拭き取ります。墓石に刻まれた6人の戒名と俗名。彼のお父さんが2度結婚していることが分かり意外でした。

 

行ったのは一昨日で本当の49日は昨日だった。遺品と貰ったカメラバッグにお墓から魂入れを念じた。通じるかどうかは分からないがどうしても親友をそのまま厄介払いする家族では無く我が家で供養したかった。彼は我々夫婦と懐きの良い猫の居る私の家に来るのが好きだった。位牌の大きさは標準が4寸だが、3.5寸の紫檀にした。現状仏壇には前妻・祖母・友人の3つを収めている。

 

私が亡くなったらその前妻と二人分の位牌を作って欲しい。中には複数を収める回生位牌と言うのもある。それでも収めきれないと過去帳と言うリストに収めるようになる。浄土真宗は過去帳のみで位牌は無く仏壇の飾りつけも宗派により異なる。彼の紫檀の位牌は我が家の仏壇に収まり平穏無事である。遺族に対し申し訳ないが個人的に手厚く供養して居るだけである。それ位大事な人だった。

 

これで後は友人の職場の同僚とお墓参りをすれば一通りの供養は終わる。日々仏壇に焼香して手を合わせるようにしよう。それが生前の彼との約束である。