将棋の駒に、水無瀬(みなせ)と言う由緒正しい書体がある。
初代将棋名人と言えば「大橋宗桂」、囲碁名人は「本因坊算砂」(さんさ)である。
信長より、武士の200石同等とのお墨付きを貰ったことに始まる。
将棋の駒と言えど、この頃には許可されないと生産できなかったらしい。
庶民的なものはともかく、「水無瀬駒」は言わば公認の駒であったのだ。
その水無瀬駒のルーツは、大阪にある水無瀬神宮である。
約420年前と言うことに成ります。
元々、駒の形は神社の絵馬に由来し、7面体の形は日本独特のものです。
詳しくは、京都在住の「熊澤良尊」さんが居られます。
駒師であるばかりでなく、将棋駒研究の第一人者ですからブログ等を訪ねられる
ことをお勧めします。
そのオリジナル水無瀬にすっかり魅せられてしまいました。
大和地方の黄楊に、黒漆で一筆の見事な書体。堂々とした風格に圧倒されます。
勿論、復元されているようなのですが手の届く価格では有りません。
仕方無しに入手可能な駒を見つけました。
有名な駒師「大竹竹風作」(ちくふう)です。銘に「水無瀬兼俊書」とあります。
初代が「水無瀬兼成」(かねなり)ですから、二代目の書体と言うことになります。
御蔵島産(伊豆七島)の柾目の彫駒です。
銀座の丸八碁盤店に何年も通っていますが、兼俊書はこれしか見たことが有りません。
将棋駒自体が、手工芸品ですから同じ書体名でも全て異なります。
当然、同じものは2つと無いのです。でも、珍しい書体です。
大振りでやや薄い竹風の駒。一般の棋士には、使い難いと言われています。
故塚田九段だけは、非常に指し易いと好まれたそうです。
現代的で都会っぽいこの駒、結構好きです。
初代将棋名人と言えば「大橋宗桂」、囲碁名人は「本因坊算砂」(さんさ)である。
信長より、武士の200石同等とのお墨付きを貰ったことに始まる。
将棋の駒と言えど、この頃には許可されないと生産できなかったらしい。
庶民的なものはともかく、「水無瀬駒」は言わば公認の駒であったのだ。
その水無瀬駒のルーツは、大阪にある水無瀬神宮である。
約420年前と言うことに成ります。
元々、駒の形は神社の絵馬に由来し、7面体の形は日本独特のものです。
詳しくは、京都在住の「熊澤良尊」さんが居られます。
駒師であるばかりでなく、将棋駒研究の第一人者ですからブログ等を訪ねられる
ことをお勧めします。
そのオリジナル水無瀬にすっかり魅せられてしまいました。
大和地方の黄楊に、黒漆で一筆の見事な書体。堂々とした風格に圧倒されます。
勿論、復元されているようなのですが手の届く価格では有りません。
仕方無しに入手可能な駒を見つけました。
有名な駒師「大竹竹風作」(ちくふう)です。銘に「水無瀬兼俊書」とあります。
初代が「水無瀬兼成」(かねなり)ですから、二代目の書体と言うことになります。
御蔵島産(伊豆七島)の柾目の彫駒です。
銀座の丸八碁盤店に何年も通っていますが、兼俊書はこれしか見たことが有りません。
将棋駒自体が、手工芸品ですから同じ書体名でも全て異なります。
当然、同じものは2つと無いのです。でも、珍しい書体です。
大振りでやや薄い竹風の駒。一般の棋士には、使い難いと言われています。
故塚田九段だけは、非常に指し易いと好まれたそうです。
現代的で都会っぽいこの駒、結構好きです。