イメージ 1

イメージ 2

ニコンで初めて出た自動露光カメラは、ニコマートELである。
その後、短期間であるがワインダーの付くEL-Wが出た。
更に、レンズマウントに一部変更が加わりニコンEL2と改名された。
EL2は短命に終わり、小型化の時代におされることとなった。

このニコンFEは、どれを取っても性能的に見るべき点が無かった。
小型軽量なら、オリンパスOM-2、ペンタックスMEとの差は歴然。
機能とコストパフォーマンスならキャノンAE-1に敵う訳も無かった。
折角NIKONを名乗っても、フラッグシップにF3があり恐れ多い。
国内のニコンファンにも不評で、ニコンも落ちたの風評が囁かれたのだ。

ある時、香港に旅行して、更に中国へ足を伸ばした。中山県である。
革命の祖「孫文」の軌跡を旅しての昼食後の一時であった。
何やら、一緒のツアーで来た広東人たちが大騒ぎしている。
カメラを持ち、血相を変えて焦っているのだ。
日本人を見つけては身振り手振りで聞いている。
しかし、4~5人が代わる代わるいじっても上手く行かない。
すると、すごい勢いで私を目指し飛んでくるではないか。
しまった、首にオリンパスの一眼レフをぶら下げているからだ。
逃げる訳にも行かず、日本の代表として毅然たる態度をとることにした。

通訳の人が言うには、写真を撮り切り巻き戻したが、カメラの蓋が開けられない。
確かに巻き戻しノブを引いても開かないようだ。
別の日本人は壊れていると言っているが、日本製はそんな簡単に壊れるのか。
待てよ!ニコンには必ず安全装置がある筈だ。シメタこれだ!
小さな黒いレバーを少し滑らせ、巻き戻しノブを引くとパカァと開いたのだ。
いつの間にか周囲には人垣が出来、一斉に拍手が起こった。

持ち主にやらせて、本人も納得。ニコニコ顔で握手した。
最後に、これはニコン。
簡単に壊れないし、高いカメラだから大切にしなさいと言った。
その後、何年もしてから思い出の「ニコンFE」を入手することとなった。