暑い。

あまりにも暑い。


夏を好きになる努力をする気も起こらないくらい暑い。洗濯物が早く乾くことくらいしかいいところを見つけられず、それでも洗濯物を畳む気力はごりごりに削られ、避難場所と化したカーテンレールはずっと満員。

寝苦しさからか寝ても寝ても眠く、少しの隙さえあれば寝たいというのに、生活を満たすために眠気を堪えて必死にドラマを見たり読書をしたりしている。

それもこれも全部、暑いのが悪い。

部屋が汚いのも、なかなか起き上がれないのも、何気ない一言を気にするのも、自分が途端に嫌になるのも、関係もない世の中の出来事にいちいち傷つくのも、全部全部、暑いのが悪い。

そう思ってしまうほどに暑すぎる。のに、そう思えたら楽なのに、と思うくらいには、ちゃんとそうでないと思っているのだ。



今ほどまで暑くなかった学生時代にも、そんなことを考えていたような気がする。夏休みの思い出を浮かべようとしても本当に何も浮かばず、思い出せるのは真っ青な空と、誰かが住んでいそうな入道雲、迎え火のついでに祖父に見守られながら一人でする花火。あとはONE PIECEを数日で全巻読み切ったことしか覚えていない。夏休みというものに、本当に大した記憶がないのだ。


宿題はほとんどと言っていいほど手をつけなかった。今となっては、大人たちが口酸っぱく言う早いうちに終わらせていたら楽だと言う言葉を本当にその通りだと思うのに、どうしても面倒臭さが勝ってしまっていた。その頃に鍛え上げたサボり癖は、今もこうして、磨きをかけてしまっている。仕事であればできるのに、自分で決めたことは一度崩れるとそのままなし崩しになってしまう。そんな自分にほとほと呆れるが、今はまだ、暑さのせいにさせてほしい。



最近の話をしよう。

帰省した友人と今も福岡にいる友人の3人でご飯を食べた。なにをたべようかと話している中で、普段と変わらないような焼き鳥屋や居酒屋やそんな候補を出したもののまったく決まらず、結局ファミレスへ行くことになった。

共通点があるようでないような中学時代の友人たちだが、当時と全く変わらない会話をしている。普通、大人になれば「私たちも大人になったね」なんて言いながらお酒でも飲むのだろうが、ポテトとドリンクバー、強いて言えばサラダが増えたくらいで、会話のテンポも中身もほとんど変わらないくだらない時間を過ごした。

そうだ、思い出した。夏休みにはこうして、終わらない宿題を持ち寄ってジョイフルで勉強していた。進んだ記憶は全くないが、夏休みは確かに存在したのだ。


仕事中、ふと思い至る。

いま隣にいるのはその頃の私と同じ年齢の少女なのだと。つまり彼女たちが十数年後思い出す夏休みは、私たちといる景色だということだ。


私は自分が学生生活を犠牲にしたつもりはないし、もちろん出来なかったこともたくさんあれどここでしか得られなかったもの、見られなかったことがたくさんあって、それは十分学生生活に匹敵するものだと思っているのだけれど、そんな考えとはまったく違うところで、果たしてそれでいいのだろうかと考えたりするのだ。匹敵するものももちろんたくさんあるけれど、そこでしか得られないものも確かにあるからだ。


かといって私ができることは何もなく、ただ、彼女たちの選択が正解だと言えるような場所を作るしかない。行動するのは彼女たち自身だけれど、そしてそもそもそんなことは誰にも頼まれていないのだけれど、すっかり大人になってしまった自分がするべきことはそういうことなのかもしれないと思っているのだ。


なのに、

思っているのに何もできない。

暑さが全ての気力を奪っていく。

一緒に夏休みの思い出を作らなければならないのに。


などと思っているとは露知らず、彼女たちはちゃんと自由気ままに過ごしているようだ。宿題の進捗を聞けば顔をしかめるものの、宝箱を思い出でいっぱいにする気満々で、暑がろうがなんだろうが、陽射しの下に手を引かれる勢いで楽しもうとしている。


杞憂とはまさにこのことで、私がやるべきことは、そんな彼女たちとちゃんと楽しみ尽くせるように体力をつけることだ。と同時に、童心に帰って、私の中の小さな私に、夏休みの思い出をちゃんと作ってあげることなのかもしれない。



うんざりするほど暑い夏は、ここからさらに暑くなる。唯一勝てるとするならば、きっとそれは熱さなのだ。