4月が終わる。
4月と5月の境目は、他の月よりもはっきり色が変わる気がする。
それは4月に結びつく桜や春のイメージと5月に結びつく鮮やかな緑のイメージのコントラストがはっきりとしているからなのだろうが、そう言い切ってしまうとどうも味気なく感じる。言葉は好きだけれど、何もかもを紐解いた言葉には情緒がない。けれど言葉にしなければ伝わらないことばかりがこの世の中には溢れている。私は何を書き残し、言い残し、あるいは何を心に留めて色を変えていくのだろうか。
最近iPadを買った。
この仕事をはじめてからずっと「あると便利だよな」と思いながらもなんだかんだと買う機会を逃し続け、10年目にしてようやく買った。中古でだいぶ安く手に入れた古い型だが、自分の判断だけでハードウェアを買うというのはなかなかに緊張するものだった。その証拠に、同じタイミングでPCも買おうとしていたのだが、あまりにも多い選択肢と決して勢いだけで買うことはできない金額に尻込みしやめた。
集めてばかりだったステッカーをいそいそと貼ってみては、やはりこういうものをバランスよく置くセンスがないと密かに肩を落とす。無造作に置こうにもセンスがいるし、貴重な一枚一枚を無駄にできるほどの勇気もない。はみ出してしまうことは年々怖くなる。
それでも少しだけ貼った。よく考えるとそうそう自分の目に入ることはないのだけれど、お気に入りのあれこれを貼った。かばんに忍ばせているとほんの少しだけ嬉しい。うそ、だいぶ嬉しい。私なりの進歩でもあるから。
PCを買う代わりにキーボードを買った。Bluetoothで繋がる可愛いキーボードだ。
入り用で買うことにしたものの、悩みに悩みわからなくなったまま選んだものを手にレジに持って行く途中で目に入った今のキーボード。当初の予算からは数千円オーバーしていたけれど、これにした。ここのところの判断基準はトキメキと直感だ。その選択は今のところ概ね合っていて、カタカタと鳴らす時間が楽しい。今もカタカタと鳴らしながらこの文章を書いている。
ついさっき今月末までの仕事を終え、さあ帰ろうとしたところで雨が強くなっている外に気づいた。
重だるい頭と抗えない眠気に、今日は雨だなと確かに思っていたのに、判断力の鈍っている頭はなぜか傘を置いていくことを決め、うっかりと足止めを喰らっているというわけだ。決定力のないまま打つ文章は取り留めないかも知れないが、雨も止みそうにないし、カタカタは楽しいし、せっかくなのでこうしてエッセイを書くことにした。そうしたわずかな面白さを優先できる心がある喜びを、どんな言葉なら伝えられるだろうか。確か一年前はこのカフェで、泣いたような気がする。あの日言われた言葉が今も強く頭に残っている。「あきちゃんが楽しくいられないとダメだよ。」
年々、ズレて行く感覚がある。
自分が自分でいられるようにと素直な生き方を心がければ心がけるほど、自分はまともな人間ではないのだと知らしめられる。昔はそれでも、がむしゃらに鳴らすその音がズレていることさえ楽しんでもらえていると思えていたし、その音色に自信もあった。ズレていることに魅力を感じてくれる人がいればそれでいいのだと、ある意味妄信的にもなれていたけれど、大人になるためには、人と生きていくためにはチューニングが必要だった。
その合わせた音色の方が人は普通だと、美しいという。であれば合わせた方がいいのだろう。一番はその音たちが一番美しく響く場所であるべきだ。そのキーで合奏するのがみんな楽しそうだから、例えその音を出すためにきつめに弦を張ることになったとしてもそれでいいのだと、そうこぼした時に、友人はそう言った。
私が楽しく過ごしていいのだろうか。私の楽しいはズレているのに、そんなの、許されるのだろうか。でも彼女は、そうじゃないとダメだという。私にとってそれはとても難しいことで、だけどそれは、あまりにも純粋な愛と幸せを願われた言葉だった。冷たい夜中に言われたその言葉は、小さな灯りとして私の心の中で静かに光続けている。
2026年4月。とても楽しかった。
本当に本当に楽しかった。
生誕祭で所信表明にも似た想いを伝えてからというもの、我ながら本当に元気になったと思う。住所が増えたとはいえ何が変わったわけでもないはずなのに、本来の自分とは、というものにいつも向き合いながら過ごし選んでいる今がだいぶ楽しい。少しづつだけど、はみ出してしまう自分のことが受け入れられるようになり、ちゃんと面白がれるようになってきたような感覚がある。人間というのは本来自分自身のものであるはずで、というかそもそも誰のものでもないはずで、それをたとえ他人や組織のものであると考えて生きることにしたとしても、それをわかっているのとわかっていないのでは違うのだということも知った。
わかっているつもりだったのだ。
この仕事をしている割には人間活動をしているなあ、と思う時間が多い方だから。
今月だけでも高校時代の友人とご飯を食べに行ったり、みんなで夜中にケーキを食べたり、新生児を緊張しながら抱いたり、ワンオペの夜を一緒に過ごしたり、かと思えば1人でふらっと大阪に遊びに行ったりした。あまりにも人生を謳歌している。
だけれど、そうじゃないのだなと思ったのは月末。
大雨の中のジゴロック。いつもと違う条件はテンションをいつも以上に引きずりあげた。
楽屋の隅でカタカタ鳴らしつついろんな会話を聞きながら、たまに入る。座る席は変わらないけど、景色は違う。
久々にMCの類を何も担わず、ほとんどを後輩の作る空気に身を任せ、背中や横顔を見た。それがとても頼もしくて、見ているのも楽しくて、それが嬉しくなるような世代になったのだなあとぼんやり思った。
そしてその次に自然と考えるのは、その中で自分が何をするか、自分がどう在りたいのか。
その感覚はとても懐かしかった。先輩の作る空気の中で私はどんな役割を見つけようかと考えていたあの頃にとても似ていた。
体の中でプチプチと泡が弾けるような感覚があった。
雨が境界線を溶かし、気化していくように自由な気持ちになった。体が、声が、ステージを飛び出して、飛んでいく。いつもは自分を大きくするような、例えるなら円堂守のマジンザハンドみたいな気持ちで圧を出すのだけれど、もっと軽くて、もっと自由な、不思議な体験だった。それは責任がなかったから、というわけではなくて、多分若さと同じステージに、同じ高さに在れたからなのだと思う。それはとても心地よかった。
きっと寒かっただろうに、びしょ濡れになりながら全力で楽しむ見ている人たちの顔が飛び込んでくる。踊り、歌い、手を振り、楽しいが溢れ出して、私の楽しいと溶け合う。向こう側の、たぶん私たちを知らない人たち、屋根の下で顔を動かさずにじっと見てくれている人たち、全部全部仲間になって!!
これこそが私自身の核なのだと思った。役割や肩書きを持つからそう見えているのだろうと、その矜持と共に反対にどこか自分自身を疑っていたけれど、そうではなくて、この個体のことをちゃんと信じられるようになった。そうか、元からこんな人間で、はみ出してるから、私なんだ。
そもそもこの場所だって、元からどんなはみ出し方も受け入れてもらえる場所のはずなのだ。だから10年もいられている。そしてそれは、ちゃんとその形のまま守ってこれているのかもしれない。
帰りのバスで、あまり話したことのなかったスタッフとノンストップで喋った。他にもメンバー数人がざっくばらんに話していて、こんなことしたいあんなことしたい、いろんなことを話した。それは今じゃないと叶わなかったことな気がして、こうして新たな関係が生まれ、続いていくのだなとそう思った。
数日後、久しぶりに48グループが全グループ集まった。
以前のツアーにはそれぞれがゲストで来てくれたり、私自身は歌唱力のステージで何人かずつあっていたりライブをしたりしているものの、こうしてグループとしてのイベントは2020年のリクアワ以来。本当にみんなが集まったのはもっと前で、約8年ぶりにもなるらしい。
とはいえ数人ずつの参加で、うちも8人での参加だった。こんな少数でフェス形式のライブをするのはAYAKARNIVAL以来で、そして相手取るのは姉妹グループ。グループコンサートを経験しているのは3人だけで、5人は初めての経験だったけれど、それでもみんなリハーサルから負けられないと気合が入っていた。
通常のライブと違うのはうちのファンだけではないことで、通常のフェスと違うのは48グループのファンが集まるということだった。楽曲の強さには強いイメージが付いているリスクもあるし、ライブはうちの代名詞でもあるというプライドもありセットリストから難しく、一度組まれたものからメンバーの意見も交えてああでもないこうでもないと練って作った。その話し合いの中で、もともと私がセンターをする予定だった曲を変えることになり、じゃあ何をするかと。
"博多"らしさを入れるならしぇからしか!はありだが、これはコールが難しいという点が結構ネックで。でも48のライブだからこそできるって見方もあるね、でもどうだろう、と話している中で、正直このライブの主役は後輩たちだという気持ちがずっとあったので(卑屈なものではなく)私にしては控えめに会話に参加していたつもりなのだが(多分できてないけど)その時に後輩に言われたのが、「しぇかであきさんにぶちかましてほしいですけどね。」という言葉で、心の柔い部分が揺れるような気持ちになった。そんな経緯もあり、もう一つの候補とどっちがいい?となぜか私に決定権を委ねられ(重)「じゃあしぇかにします!!」と答えた。(元のセトリも好きだったけどどこかで使うかもしれないから内緒)
当日。
タクシーの中で会見での後輩たちの健闘ぶりをみながら、いいぞいいぞと言いながら現場に向かった。
到着すると、久しぶりに見る他のグループの名前が書かれた机たち。懐かしい光景と共に、その懐かしさを共有できる人が随分と減ったことに気づく。そして参加メンバーの中ではなかなかの先輩になっていて驚いた。ご無沙汰しています、と言う相手はメンバーよりもスタッフの方々の方が多く「10年目になりました。」というと相当驚かれたし、「あ、同期はもういなくて…」というとさらに驚かれた。それもそうだ、最後のリクアワは10人で5位のステージに立ったのだ。
あれから6年、或いは8年が経って、それぞれのグループにも変化があり、様々な種類の困難を越えながら進んでいたことを知っている。もちろん私たちにもあって、そんな時わずかながらに続いている縁や絆に私自身救われたこともある。だから、この機会を本当に楽しみにしていた。後輩たちにもそんな繋がりが生まれるきっかけになればいいなと、期待していたのだ。
実はいまだに自分が48グループのメンバーだという看板を背負って生きている実感がないのだが、それでも久しぶりの親戚の集まりに少しばかりの人見知りと共に心弾む感覚はやっぱり懐かしく、私にとっての48グループとは名前に対する憧れというよりものよりももっと内側にある遺伝子みたいなものなのかもしれないと思った。
楽屋は2つに分かれ、出演時間も違うので、なかなか全員で集まる、と言う感じはなかったものの、舞台裏は写真を撮りあったり、SNSで見てました、ファンでした、好きです。のやり取りが繰り広げられており、それも懐かしいものを感じた。大握手会で「行きなよ、好きなんでしょ」「いやでもぉ」と言いながら、違うグループのエリアに行っていたことを思い出す。今でも強く繋がっている福岡聖菜ちゃんも、ゆかた祭りでナンパしたのが始まりだ。歴史は繰り返すのだなあ、と思った。
そしてその遺伝子を一番感じるのはやっぱりライブだ。
この日の客席は本当に48の現場すぎた。スタンバイすると同時に「Maxとき315号」の曲振りがあり、悲鳴のような歓声が上がった。血が沸き立つ感覚。これを後輩に聞かせられたのが嬉しかった。
overtureとともにステージへ進む。たくさんの思い出を詰め込んだ半袖天使のイントロ。それを知っていても知らなくてもすべての始まりを作るような龍頭の煽りは、龍頭自身が考えてきたものを相談してくれて、楽屋でみんなで一緒に考えた。本番、その成果以上のものを出してくれて、さらにそこに全員の熱を重ねていった。
熱狂とはこのことで、ステージと客席の垣根なくみんながただただ楽しんでいる様が、あまりにも幸せだった。ホームであれば出ないような好戦的にも思えるギラつきとアウェイであれば出ないようなのびのびさ。ホームでもありアウェイでもある、誰よりも厳しくそしてどこよりも温かい48の現場だった。
そしてついにきたしぇか。
ライブは団体戦だけど、この曲は生かすも殺すも自分次第だと実は緊張していた。
けれど、問いかけに返ってくる声と曲振りまでのわずかな間に一瞬後ろに見えた後輩たちの顔で、いける、と確信した。
だってぶちかまさないといけないのだから。
空気が一つになる。視線が集まる。
それからはとにかく無我夢中だった。正直声もよく聞こえないくらいで、心臓が速くなって、音は速くなり声も体も上擦ったような気がした。
ただただ空気の色が変わった。それだけは分かった。
話は冒頭に戻る。
私はこの数年とにかく怖さとともに生きていて、私の全力やこうありたい、こうあるべきだと思う姿は周りから見ると滑稽なのではないかと、どうしたって、どう足掻いたって面白く映ってしまったり、ひとりで突っ走っているように見えるのではないかとずっと怖かった。
だけどもそれは正しいのだと心の中ではずっと信じていた。それを好きだと言ってくれた人や、信じて託してくれた人たちのためにも、信じていたかった。けれども恐れに負けてしまって、だけど曲げたくない信念はあって、ほんとうよりも少しだけ形よく整えた熱の作り方を覚えてしまったのだ。
でも、そのリミッターみたいなものがバリバリと破られどこかへ飛んでいった。
どうだうちらが最強に決まっているだろう!HKTのライブは楽しくて仕方ないだろう!
と、ギラついた気持ちにすらなって、そしてそれは後輩の中にも感じて、何よりもそれが嬉しかった。なんなら後輩に乗せられたところもあって、この日のマジンザハンドはそれはそれはもう強かった自覚がある。
そして、それを他の誰でもなく48グループのヲタク(敬称)に見てもらえたことが本当に嬉しかった。
とにかく全部が楽しかった。
終わってからもずっと映像を見てしまう。(生粋の貴族なのでコメントも込みで見返す)
夏の前のイントロで上がる声にニヤけてしまっている顔もちゃんと映っていて恥ずかしい。くるみ(竹本くるみちゃん)はこの振り向くのアドリブでやった、ずるい。とっても頼もしくて、かっこよかった。
いぶき(石橋颯ちゃん)のお姉さんになった余裕と天性のアイドル力や、ざわ(井澤美優ちゃん)の声の良さも存分に伝わったと思うし、ここ(江口心々華ちゃん)の全く小さく見えないパワフルキュートさも、れいあ(梁瀬鈴雅ちゃん)の長い手足から生まれる迫力も、あーたん(石井彩音ちゃん)の全身で楽しんでいるキラキラのオーラも、龍頭(龍頭綺音ちゃん)の未来が明るすぎる煽りの声も、ぜーーーんぶ最高だった。
とにかく出し切って袖に捌けると、客席から興奮したような感想が聞こえてきて、それがとっても楽しそうで、飾られていない生の声に触れられる機会って実はほとんどないから、すごくすごく嬉しかった。
終わってからも興奮冷めやらぬという感じで、みんな達成感に満ちた顔をしながら、これを忘れないようにしようと心に決めているような覚悟もそれぞれに感じましたし、みんなで反省会というか振り返りもして、この空気を博多に持って帰れるのがとても楽しみで堪らなかった。
終わってから時間が間に合ったSKEさん、AKBさんのステージも見せていただいて、それぞれに色が全然違って、進化もらしさも感じてとっても刺激をもらい、そしてやっぱり曲が鳴ると踊ってしまう自分に、すっかり10年ここで育ててもらったんだなあと妙な感慨のようなものを抱いた。
それからこれは職業病だと思うのだけれど、こういう時にはいつも客席の皆さんの顔を見てしまう。どんなふうに楽しんでいるのか、自分が応援しているグループではなさそうな人の見方とか、ノリ方を近くで見て、その自由さに愛おしさを感じた。全力で叫ぶ人、踊っている人、静かに見惚れる人、初めて聴いているのだろうけど見よう見まねで乗っている人。こうあっていいんだよなあ、こうある現場が健全で、その自由さが熱を生むのだ。そう改めて思った。かと思えばみんな一斉に反射のように出してしまうコールや、振りに、やっぱりみんな同じ血が流れているんだ、と思ってほくほくしたりした。
やっぱりやっぱり、やっぱり、48グループが好きだ。みんなで集まるライブが好きだ。
いつかまた、今度こそは、みんなで集まりたい。この空気は、48グループにしかつくれないものだと思うから。
そうして全てが終わってSNSを開くと、本当に本当に、本当にたくさんの感想が届いていた。そしてそのほとんどがしぇからしか!について言及されていて、本当に泣きそうになった。てか泣いた。
私がこの10年ここで学んできたこと、受け継ごうと必死にもがいたこと、守ろうと思ったこと、信じてきたこと、手放さなかったこと、その全てが間違ってなかったのだとそう言ってもらえたようで、本当に本当に嬉しかった。
もちろん私のファンの皆さんや、私たちのファンの皆さんはいつもちゃんと言ってくれていたけれど、HKT48を久しぶりに見たであろう方々にそう言っていただけたことに、本当に、救われたのだ。
そしてもう一つ、最近よく言われることがある。
「いてくれてありがとう。」
という言葉だ。
様々な理由でグループのファンを離れ、もしくは距離が遠くなり、けれどもう一度見てみようかな、と思った時に、あきちゃんがいてくれた、変わらずにいてくれた。そう言ってくださる方がこの1年本当に多い。今回も私の名前や顔を覚えてくださっていた方も多かった。本当にありがたい言葉だ。
私がここにいるのは紛れもなく自分の意思だけれど、その一方で私はずっと置いて行かれる側の人生なのだ、という悲しさをこころに飼っている。あまりにも自分勝手な名前をつけているけれど、そうでもしなければ耐え難いほど、私は寂しさを感じやすいらしい。
けれど、そんな私に「まだいてくれてありがとう」と言ってくれる人がいる。知っててくれる人がいる。だから今、やっててよかったな、と心から思えている。
HKT48は15周年を迎える。
7月から11月まで広島、大阪、東京、愛知、福岡でツアーがあり、現在も変わらずドームの横の劇場で目撃者公演、ここにだって天使はいる公演、逆上がり公演をやっている。それに加えて、11月の15周年までの期間限定で、各チームのメンバーがセットリストや演出を考えたオリジナルの公演(チームH 一年後の僕たちはどんな恋をしているのだろう公演:通称 いち恋/チームK4 僕だけの天使を見つけた公演:通称 僕天)も上演中だ。もっともっとたくさんの魅力が劇場で待っている。
48グループは、HKT48は、ここからがおもしろい。
そんな予感がする4月だった。
さて、そうこうしているうちに日付は間も無く5月になる。
5月はどんな楽しいことが待っているのだろう。
リミッターを外した軽い身体で、緑の季節も駆け抜けたいと思う。