自分が何者なのか、うっかり忘れてしまいそうな一週間だった。


稽古漬けの毎日で、玄関を開けて鍵を閉め、荷物を置いたと同時にそのままベッドに倒れ込む。せっかく東京にいるのだから、昼からなのだから、朝起きて色々しようと思っていたのだけれど、そんな考えはとうの昔に消え去り、物理的に起き上がれない疲労と引き換えに、どうにか追いついてきたように思う。


初めてミュージカルに出演したのは3年前になる。今回と同じACTMENT PARKでの作品だ。エンタメの業界というのはルールも文化も細分化している。スカートでレッスンなんていうのはありえないと育ってきたが、ミュージカルの現場では本番でワンピースやドレスを着る場合、どうして着てないの?と言われることもあるのだ。

ただでさえ楽譜も読めない、音楽用語もバレエの基礎もわからない、カルチャーショックの毎日。必死で着いていくことで精一杯だった。グループが恋しく、泣きそうになり、帰れた時には安心し、それでも年齢的にも経験的にも一番の若手で、たくさんのことを教えてもらいながら可愛がっていただいた。


3回目となる今回は、年齢的にも歳下が増え、主演という立場もあり感じるもの、見えるものというのが違っている。相変わらず経験は足りないものの、こんな私にも教えられることがあったり、逆に想定外のところで学びがあったり、それを超えていけたりするのは今までの応用問題のようで面白い。とはいえやはり1ヶ月の遅れに追いつこうとするのはキャパの限界への挑戦であり自分のことで精一杯。つまり、正直なところ昔みたいに寂しがるような時間はなかったのだ。


あんなに名残惜しかったはずの直前の舞台のことさえ思い出せる余裕もない中で、この8年で初めてグループのことを考えない時間を過ごしていた。ひと段落つき、ようやく余裕が生まれた頃、気づいたその事実に衝撃を受けた。会えるはずなのに会えないという寂しさではなく、どこか遠くの祭りを眺めているような寂しさは初めての感覚だった。


と同時に、いつか自分の肩書きが変わる時にはこうなるのかと思い至る。それはきっとすごく寂しいのだろう。毎日の喧騒は時にうんざりすることはあれど、たとえば頑張ることがない時間、私はその静けさになにを思うのだろうか。単身赴任だと思っていた今回は、もしかすると疑似体験なのかもしれない。


私はたぶん大丈夫な人間で、

大丈夫になるように生きてきた。

そこに苦はなく、むしろ楽しいとさえ思うある種拗れた回路を持っている。

眠らない街は慣れない喧しさを持ち、その中のちいさな箱で寝ては半端に起きている。

それも、大丈夫なのだ。


だけど何も入っていない冷蔵庫の上に立てかけた薄い板の中で、見慣れたうるささがこちらを向いた時、帰る場所がある幸福に震えた。遠くに見えていたあのぬくもりは、私が頑張れるように見守ってくれている遠さなのだ。


次に会うまであとすこし。

相応な自分であたたかさに包まれるため、あの四角い部屋の中を、乗り越えていこう。