この連載も気付けば第10回。

当初の予定であれば10ヶ月が過ぎているはずだったわけだが、ふざけた思考が急カーブをかけて過ごしたのは2ヶ月ほど。楽しくて仕方がない時間と、自分で課した仕事なのだから……と思っている時間をいい感じに繰り返してはいるものの、今のところあの時の予感は当たっていると言える。



10回書いたことで気づいたことがある。文章の癖、自分の思考パターンや、気づかなかった自然のものごとのつながり。そして、最も大きな気づきは自分の中での友人という存在の大きさだ。


よく「友達多いね」と言われることがある。

確かに生まれも育ちも福岡の私は、街中で同級生や学校の先輩後輩に遭遇する率が高く、メンバーと一緒に歩いているときに頻繁に起こると驚かれることが多い。また、友人の話をファンの方の前ですることも多く、やはりそう言われることは多い。だがその実、友達が多いとはまた違う気がしている。同級生と友人はまた違うし、友人の話をするのも、なぜなのか何かを専門にしていたり特化した友人ばかりなので、仕事に関連した話で出てくる回数が多いだけで、実は友人の数が多いわけではないのだ。


それでもこの連載では友人と呼べる人の話ばかりしていることに、自分でも驚いている。そして、そんな友人たちからもらうエネルギーや、受ける影響は、自分をやわらかくしなやかにする気がして、何枚もの布や鎧で着飾っている私という人間の素地をそれぞれの目線から見えたまま教えてくれる。



一週間前、新潟。

どうと呼ぶにも難しい、けれども属性は仕事仲間より友人に限りなく近い人のひとつの巣立ちを見送った。出会った場所でひとつの関係が終わることはあまりにドラマティックで、だけど真正面からグループの中にいる姿を見るのは意外にも初めてに近く、そのあまりにも美しくて儚い姿と、同じくらいに強いエネルギーをもつ瞳、全ての瞬間から伝わるグループへの愛に改めて心からの尊敬を抱いた。

そしてそのとなりには妙な感慨があって、その正体は、肩の荷が降りたような顔で何度も「来てくれてありがとう、本当に嬉しい」と繰り返す姿や、大切にしてきた人たちと話している横で、ステージとはまた違う笑顔で「仲良い人と仲良い人が仲良くしてるの見るのうれしい〜」と言うような、そんなよく知る姿へのお疲れ様の気持ちだった。だからこそ次の日はずっと友達で、彼女の故郷を歩くその時間は、これから先もきっと友人であるのだろうと妙な確信を運んできたのだ。

その晩、仕事の前乗りで東京に行く。

何事もなく過ごせたはずが、一個目の改札で切符を取り損ね、最後の最後に特大トラブルメーカーとなった私を、くたくたのはずなのにらしいねと笑ってくれた彼女のことが大好きだと思った。


思えば、お互いがお互いを大切に想い合っていることを分かりあっている友人たちばかりだ。一見するとそれは綺麗事のような、もしくは重いような関係に見えるかもしれないが、そのような感覚や感性が共鳴しあっているからこその関係なのだろう。


一方でまったく違う友人がいる。

すこし前に、私のいちばん古い友人の連絡先が分からなくなった。いわゆる幼馴染で、いちばん古いのに未だにいちばん分からない、本当に幼馴染という縁だけで繋がっている細い糸のような、それでもいちばん古いというだけではあるけれど私にとって大切な友人だ。だけどそれがついに切れて、私は当時結構落ち込んだ。


数日前、その幼馴染から連絡が来た。

どこでどう、もう一度繋がったのか分からないが、とある報告がきた。奇しくも半年ほど前に私も抱えた感情があの子の元にも訪れたという。私も何度も遊びに連れて行ってもらった大好きな人だった。昔の写真を見返すとそこに私がいつもいて、それで連絡をしたらしい。こんな時にいうことではないのかもしれないけれど、たまらない気持ちになった。私はこの世に生まれる意味も去る意味もないと思うのだけれど、生きてる間に出会うそれらが、生きてる人間に与えるものは確かにあるのだ。

私たちはきっとこれからも、一緒に大人になっていくことはないけれど、思い返す時々にお互いがいることは、根っこのすべてのはじまりになっているのだろう。



私のだいじな友人たち。

どうかあなたたちが、これからもひなたの道を歩けることを心から願っている。

そして時々、その交差点で笑える悠久の時を心待ちに、今週もまた私のひなたの道を歩いていくのだ。