街が動き出すくらいの朝が好きだ。


高校生の頃、本当にたまに早く起きてしまうと、いつもよりもうんと早く登校した。音も匂いも空気も、使い古された言葉にはなるが、世界がいつもと違う顔をしたように見えた。車は少なく、空だけが明るい。


誰もいない教室に入ると、我が物顔で過ごしているこの場所もひとときだけのものだということを痛感した。机に突っ伏し、目を閉じる。足音が聞こえ扉が開く。私がいる驚きと、寝ていると思ったであろうちいさな声におはよー、と声だけで返事をする。人が増えてくる。音も増えてくる。それを頼りに瞼の中で想像する。あの子があそこにいて、あの子たちはあそこにいる。そんな予想は次第に夢の世界とつながり、とんでもない人や場所に居たりする。そうこうしているうちにチャイムが鳴り、瞼を開けると、少しずつ知っているいつもが始まる。そんな時間が好きだった。


体も気持ちも慌ただしく過ごすと分かっているのに、冷え込んだ朝は静かに進む。陽の光が当たる場所は低く、街の色は違う。流れる街のビルの隙間からちかっと真っ直ぐ目に入る。好きでいられる時とそうでない時とがあるけれど、やっぱり太陽の力は偉大だ。

どこかへ行く日の朝は、窓際に座るため少しだけ早く家を出る。一番最初につくことは滅多にないけれど、まだ少ない車内で冷たい窓にもたれかかり瞼を閉じる。朝特有の声のあいさつを聴きながら誰がきたかを頭の中で想像しながら待つ。人が増え、ちいさな会話が増え、次第に空気が動き出す。少しずつ賑やかになって行くその時間が好きだ。


あの教室にはもう戻れない。あの空気はあの場所にしかなく、あの頃の私にも戻れない。

だけど、いまにはいましか踏み入れられない場所や空気がある。そんなことを思う別れの朝だった。


長い一日が終わり夜に沈み込むと、あんなに近くにあったはずの朝が遠い昔のことのように思う。続いている時間という気すらせず、このままもう二度とあんな朝を迎えることだってないような気持ちになる。

それでも朝は来るのだ。終わりの見えない夜にも、いつまでも続いてほしい夜にだって等しく朝は来る。繰り返しのようで積み重なりのその朝は実は少しずつ表情を変え、もう教室に行けないように、いつかまた、いまの好きな朝だって手放す時が来る。変わってしまう。


それでもいつかその先で出会う朝を、

できるだけ好きだと思える自分でいたいと思う。