しまった。土曜日だ。


何も書いていない。何も浮かばない。あと3時間半で今日が終わる。大慌ての執筆だ。

この一週間、早かった。なのに何をしていたのか、とんと思い出せない。カメラロールを見返してみると、先日書いた友人と半日大人と中学生のハイブリッドのような休日を過ごした日曜日からスタートしていた。


大人になってできた友人とのカラオケは、思った以上に緊張するイベントらしい。この歳にもなると、好きな音楽というのはほとんど自分のアイデンティティのようなもので、そこへの反応なんて余計なことを気にし出して無難なラインの選曲をしたりする。中学時代はただただ歌いたい歌を歌って、人の歌は自分の次を選びながらぼんやり聴いて、ときどき運命的な出会いをしたりしたというのに、自分の心を明け渡すのが随分と苦手になってしまった。そんな自分に嫌気が差しながらも、相手も同じようなことを思っているのを感じて、それでも扉を開けたいと思う瞬間がお互いに垣間見えて、それが妙におもしろかった。結局採点ゲームと年代メドレーという、企業努力に頼り切る形で終わった初回。隣の部屋ではずっとback numberが聴こえていた。なんだかんだ開かれそうな第2回ではそんな風になるのかもしれないと思ったりした。それが日曜日。 


月曜日、英会話にいく。

月に4回受けられる授業の1回目。いつも月末に駆け込み、全く身になっていない。みになっていない、は身か実か迷い調べて書いた。日本語だってままならないのに、まだまだ知らない世界を知りたいと思ってしまうのは強欲なのだろうか。

帰り道カフェオレを飲む。県外の人に勧められたカフェだ。踏み入れ難かった一線が彼女の名前を出すと一気に近くなった。離れた土地で出会ったものを人に語れるほど好きになれるのは、すなわち人生だと考えたりした。私の求めるのはそういう出会いで、それは人間として真っ当な欲だと飲み込む。片手でめくるページもまた、ある意味の新たな世界だった。それが月曜日。


火曜水曜はコンサートのリハーサル。自分の自堕落さと反比例して後輩は頼もしくなる一方だ。その前にも再び駆け込みで授業を受け、いつもとは違うteacherのスピード感に自分の今までの出来たという実感は優しさによって得ていたものだと気づき落ち込んだりした。


翌日の休みは片付けと授業に費やす。先月行きそびれた1回の振替も含めて2時間の授業はとても面白いものだった。teacherの方が日本の神話に詳しく、彼の語る目は真っ直ぐで芯があった。やはり3日前にカフェで飲み込んだ仮説は正しい。

片付けは終わらないどころか、物量の可視化が進んだばかりで未だげんなりするがこれが綺麗になる頃、私はなにかを捨てて何かを得ているだろうか。この間人に言われた言葉が、心の隅に棘のように刺さっているのを気づかないふりして、辛うじて綺麗になった寝床で眠りについた。


気づけば春めいた響きを持っていた金曜日。

どこか浮遊感のある一日はあっという間に過ぎていった。片付けたはずの寝室は何故かなかなか眠れない。いつも思う。強がりや言い訳ではなく、乱雑の中に漂っていたい。


そうして訪れた土曜日は慌ただしく過ぎたようで数日間を詰め込んだような一日だった。ここにいるとつい忘れてしまうが、世の中じゃまだまだ若輩者の身分らしい。まだまだ学ぶべきことが山のようにある。そしてなにより、幸福なことに若いということばかりがいいわけではないということを、自分にとって大切な何もかもが教えてくれた。いつだって今の自分を愛せるかということを一つの命題に生きている。老いていくことがいつだって楽しみだ。そう思って生きていたい、と思っている。



そんなわけで今日はあと1時間半で終わる。

推敲する時間もなく、ただただ一週間の記録を書き連ねてしまった。ただ、こう思うと思い出せなかったはずの一週間だってやはり思考の波を繰り返しながら生きているのだ。


ここからの一週間は何を思い、何を感じ、どう生きていくのだろう。そうして繰り返していった最後に人生のなまえをつけるとしたら、どんな名前をつけるのだろうか。


それを知りたいがために、

今日も生きている。