いつか行こうと思ってきた場所がたくさんある。国内にも国外にも、近所にも、誰かのもとにも、行きたいところがたくさんある。正直に言えばそれは、半日でも時間があれば叶えられるものも多い。なのに後回しにしてしまうのは、やはりこれも、いつまででもあるものだと信じきっているからだ。



ところで私は、アウトドアやフットワークが軽い人間だと思われることが多い。どうやら趣味が多いことや"陽キャ顔"がそうさせるらしい。たしかに、一度外に出た日は一日中動き回るし、遠征先で散歩したり朝の喫茶店に行くのも好きだ。だがそれは効率主義というか節約術みたいなもので、休みという休みは誘われなければ外には出ないし、ベッドの上で何もせずに一日を過ごしても何の罪悪感も抱かずに有意義な休日だったと再び寝付けるタイプだ。旅行はしてみたいけれど、と思いながら夢へと旅立つ。


そもそもこの仕事は、旅行という旅行がしにくい。急に仕事が入ったり、今から来れるかという連絡を受けることもままある。プランにもよるが、基本的にホテルも交通機関も直前は高く、リスクも高い。そうなるとどうしてもオフを溶かすように使ってしまう。


そんな中先月、ひょんなことからスケジュールがぽっかり空いた。4連休。

後回しにし続けた歯医者の定期検診や、美容室、映画鑑賞に使い、残りの時間のほとんどをベッドの上で過ごした。謎に土鍋ご飯にハマったりもしてみたが、食事自体は面倒くさく、久しぶりの公演はびっくりするほど体力がなかった。


それから1週間も経たないうちに今度はもっと長い休みがやってきた。6連休だ。

さすがに6日間を溶かすのは、背徳感よりも罪悪感が勝る。なにより、寝るのにも体力を使うのだ。

急な仕事も入りそうな感じはなく、旅行にはうってつけだった。4連休中すっかりサイクルになってしまった就寝直前の朝4時ごろ、ホテルと新幹線を取った。念には念を持って直前キャンセルが効くプランだった。


翌朝、起き抜けになんだか嫌な予感が頭の中でチカチカひかった。不思議な話だが、この手の予感の的中率はなかなか高い。急回転する頭で検索すると、案の定、一番の目的だった施設は臨時休業中だった。やっぱり私の勘は当たる。(そもそもの詰めが甘いと言われて仕舞えばそれまでなのだが)

他にも魅力はたくさんある街だけれど、どうせ行くならちゃんと全てを見たいと、すべてをキャンセルし、スケジュールは再び白紙になった。


本当にぽっかりと空いた1月。

一度旅モードになったらもうそれしか考えられなくなった。だが、明確な場所はない。遠くに行きたい。海が見たい。どうせなら潜りたい。でも休み。でもどこか行きたい。

こんな調子で、いろんな候補を浮かべながら調べては振り出しに戻り、さてどうしようかと思っていたところにある人から連絡が来た。

どうやら彼女も4連休らしい。どう過ごすのかという話をするなかで、何気なく言った一言からトントン拍子に私たちの予定は決まった。


23日の小旅行。行き先は宮崎。

私の同期の地元だ。


共に過ごしたこの8年くらいで何度か行こうとしていたけれど、途中で頓挫していた計画。いつか行きたかったその場所に行くのはこんなにも不意のタイミングだとは思いもしなかった。



楽しみな予定が楽しみであればあるほど、本当に行けるのだろうか、旅程に間違いはないだろうか、急に仕事が入ったりしないだろうか、そもそもなにが連絡を見落としていたりしないだろうか、などと忙しなく不安になりだす。子どもの頃に母と出かける約束をした前の日となにも変わらない自分に、童心に返ってわくわくしていることを自覚する。



福岡空港で待ち合わせ、プロペラ機でたどり着いた宮崎ブーゲンビリア空港には大きなポケモンと車を運転してくれるという彼女の友人が待っていた。私と同い年のその子は溌剌としていて、親しみやすく、初めて会ったような気がしなかった。


念願のおぐらのチキン南蛮で腹をみちみちに満たし、動物園へ連れて行ってもらう。車内では、初対面ながらたべっ子どうぶつが好きという共通点でひとしきり盛り上がったが、その直後、園の正門にたべっ子どうぶつのパネルを見つけ6連休の使い方として最高の答えを出したことを確信した。想像以上に楽しみ尽くし、小雨も気にせず遊園地でも遊び、涙が出るほど笑った。その後もゲーセンでUFOキャッチャーやガチャガチャを見ながら駄弁ったりする中で昔からの友人と話す同期は、8年のほとんどを一緒に過ごしていても知らない顔をしていた。このタイミングで来られてよかったなと、そこでも思った。


夕食は2人と、2人のお母さんと地元のご飯屋さんで食べた。実は同期といえどお母さんにはちゃんと会ったことがなかったので、3人が初対面という異様な会。それでもなんだかずっと楽しかった。お互いの家族にはあまり会わないけれど、家族の話はたくさん話し聞いてきたからこそ、全てが実像を持って腑に落ちた。あたたかくて優しい目のお母さんだ。

半日一緒にいた彼女の友人には、「初めて会った気がしない」と半日私が思っていたことを言われ、友人が増えたようなような気持ちになり、子供の頃のように別れるのが寂しかった。2食目のチキン南蛮は酸っぱめで、ほっともっとのチキン南蛮が大好きな私にそれはチキン南蛮ではないと言い続けた彼女の本意を知った。(それでも好きだが)




大抵の人がそうだと思うが、大人になってからというもの、誰かの実家にお邪魔する機会はあまりない。あるとしても幼馴染くらいだ。ドキドキしながらもソファーの端に座り、家族と話す。私ひとり緊張しながらも、やっぱり隣にいる人の家族なんだなあと思うあたたかさが今でもぽわっと胸に残っている。


翌日は、お父さんにいろんなところに連れて行ってもらった。一日中雨予報で、傘を買うことになったのだけれど、「傘を買ったら降らない(買わなかったら土砂降り)のが私たち2人だよ」なんて笑っていたら、結果的に本当に傘を開くことは一度もなかった。


ちなみにお父さんとは何度か会ったこともある。なんなら3人で焼肉にも行ったことがある。5年くらい前のことだ。

お父さんが「この人の面白さはこんなもんじゃない」と言ったことを鮮明に覚えている。あの頃は面白いとはイメージが結び付かなかったけれど、そういうことかと納得する日々だ。

5年ぶりに3人でご飯を食べた。乾杯する飲み物はコーラとジンジャエールから焼酎に変わり、3食目のチキン南蛮は甘めだった。



最後の日は、起きるのを二人で愚図りながらなんとか起き出し、妹に連れ出してもらった。それまではすっかり馴染んでしまったソファーの端でぐでんぐでんに溶けていた。居心地がよくなってしまっていた。


私の同期は双子の妹を持つ3人姉妹だ。妹たちは年末には福岡で一緒にご飯を食べたり、クリスマスマーケットに行ったり、そして何より私の同期は妹たちを溺愛しているので、私も勝手に親戚の子くらいの近さを感じている。中学生の頃から知る子の運転は少々時の流れに慄くが、また福岡に来た時にはお礼にぜひお姉ちゃん面をさせてほしい。


最後の日には、数年前にロケで行ったご飯屋さんに行った。あの時感動したごま油をかけた塩バニラアイスに、もう一度しっかりと感動した。もうすでにまた食べたくなっている。



転生したような3日間だった。

もしもここで生まれていたら、とか、出会っていたら、みたいなことを考えたりした。なにより、数日前の思いつきを迷惑がらずに一緒に過ごしてくれた彼女のご家族には感謝しかない。移動の記録を見たらものすごいルートになっていた。

ここに書いた他にも、町の人や親戚の方々にもお会いして、あたたかくてやさしくて、そのどこにも私のよく知る彼女の片鱗があったし、知らない一面を見た。


いつかいつかと延ばした先が一番長い付き合いになることが決まった今だったのは、それがタイミングだったからなのかもしれない。

だからといって畏まった話はたったのひとつもせず、どこにいたってするような話しかしてないけれど、あの場所での私たちはなんだか友達だった気がする。


帰りのバスは見慣れない道から見慣れた景色に紛れだす。すっかり日常の中に止まり、言葉を交わすこともなく緩やかに手を振って別れた。

あれから彼女はもう少し休みを延ばすことになったが、寝食を共にしていた私はなぜか元気に働いて、久しぶりに会った時にもいつもの、どんな名前もしっくり来ない、ただ、私たちの姿だった。


こんな日々にもいつか終わりはくる。

それでも名前を変えた私たちがそこにある。

私たちにいつまでもはないけれど、

いつまでも続けばいいと思っている。