あっという間に時間が経ってしまって、慌ただしい日常はまたあっさりと戻ってきました。一呼吸置けると思いながらも、深呼吸して落ち着けばあの時のあれもこれもが泡になって消えてしまいそうな気がして、無理な現像をしないことを言い訳に寝かせておいたわけだけれど。


一週間ぶりの横浜に辿り着く前に、そろそろちゃんと記しておきたいと思う。

あの日飛び立った小さな背中と、私たちの元にひらりと残った羽根のこと。




全然実感できなかったのに、ボリュームアップした衣装と、円陣の言葉で最後なんだとインクが染み込むようにじわじわと実感して。泣きそうな時に出る「奈子ちゃん」らしいあの顔がまた愛おしく、そして苦しく、きっと素敵に送りたいと心に決めたその時でもありました。




幼い頃から加入したイメージが強くて、子供から大人になった印象がどうしても強くあるけれど、入った頃からなこちゃんは頼もしい先輩で、しっかりしすぎなくらいしっかりしていて、無邪気なんだけどどこか奥まで入っていけないような、そんな、少しだけ遠い先輩でした。でも、いつもグループの輪の真ん中にいて、可愛がる先輩たちと、いろんなことを任せても大丈夫と信頼する周りのスタッフと、その背中を見ている後輩と、そんなバランスの真ん中にいつもなこちゃんがいて。どうしてもそれが、HKT48だなあ、といまだに思ってしまいますよね。どうしても。


でもね、私が育ったHKT48と、作っているHKT48があると思うのだけれど、それはなこちゃんを見てきた時間と、なこちゃんと分け合えた時間とも言い換えられるのではないかと思うのです。それはとても誇らしい価値があって。特に後者は、引っ張ってくれたなこちゃんに追いつこうとか、支えようとか、並べるようになろうとか、入った頃では夢でも言えないような気持ちが自然と湧き出ていて、その時間が作ってくれた自分は今でも大きなもので。

きっと間の2年があったからこそ、メンバーそれぞれ、同じように感じているものがあったと思います。




それを追体験するようなセットリストは、たくさんのものを背負ってきたなこちゃんにしかできないものでした。センター曲メドレー、「みんなの思い出」の中ある曲でブロックが作れるって本当に、本当にすごいです。


輪っかになる3期さん可愛かったなあ〜〜


この時のツアーのイメージが強いからか、なこちゃん!!!!!って感じがする。


永遠………




なこちゃんの想いが至る所に詰まっていて、映像もそうだったけど、首をほぼ真上に傾けながら見ていた画面でまさか自分の名前が出てくるなんて思わなかった。前の日のリハで初めて見たんですけど、それまで大丈夫だった何かが超えてしまった瞬間でした。



なこちゃんが言っていたように、たくさんの時間ではないにしても濃い、2人で話す時間もあったりして。思えばキャプテンになって最初の最初はそこだった気がするな。狭い部屋で、ふたりで。私はなこちゃんにたくさんのものをもらって、学んで、助けてもらって、刺激を受けてきたけれど、私はなこちゃんに何か少しでも返せていたのかな、あの時間は、なこちゃんにとってどんな時間だったのかな、って考えることがよくあったから。そんなことを思ってくれてたんだなって、時を超えた答え合わせをいまでも思い出してぎゅっとなります。


そこからチームHで歌ったわけだけど、チームの中のなこちゃんの顔って、なんだか少し他とは違う気がして、自惚れかもしれないけどそれもとっても嬉しかったなあ。本当に本当に、一緒につくることができて、本当に嬉しかった。


お昼のだけど。お写真お借りしました!



そして、大切な人たちとの歌たち。

いろんな形の愛情は、なこちゃんが歩んできた道の結晶でした。

なこちゃんっていろんな色になれる人だけれど、そのどの色も透明度が高くて、空に手を伸ばすように、その純度の高さにみんな引き寄せられるのだと気づきました。


だからあの時間は宝石箱みたいだった。形も色も違う、どれも特別なきらきらでした。











その眩しさは懐かしくて、あたたかくて。見てきた、育ててもらったものが蘇る瞬間に、高揚する心に、その余地に苦しくなる気持ちもあるけれど、一方で私は、輪の真ん中ではなく先頭に立ったなこちゃんと作ってこれた今のHKT48もやっぱりやっぱり大好きだと思います。これまでの全部、欠けたり、逆になにか混ざっていたら、その純度はきっと守られなかった、そう思うんです。


だからこそ、できることは全部、いまは伝わらなくても伝わる時まで諦めずにやっていくしかない。いつだってその連続なんだと思うし、私はそんな心をなこちゃんと分けあったことがあるから。信じてやっていくのです。


最高かよ、目の前にさしなこが並んでて、泣きそうだったな〜〜〜私にとっても、きっと永遠の青春。


最後のスピーチ、なこちゃんらしい言葉で、語り方で、それがなんだかすごくすごく、さみしかった。美しいドレープときらめくビーズを隙間からなんとか眺めながら、でもなこちゃんのずっと変わらない喋り方が大好きで、それも最後なんだなってさみしかった。でも何よりもなこちゃんがさみしそうにするから、大丈夫だよと包み込みたくなってしまいました。




なこちゃんと私のスタイルは正反対と言ってもいいほどに違って、大切にすることだって違うから、きっと、もどかしい時もあったと思うし、これからもたぶん同じやり方は出来ません。でも、根っこの部分はずっと同じだった気がします。言葉にできることも、なんて言えばわからないけど、なことも。


だからね、想いはずっと残ります。私が、私たちがちゃんと残していきます。


なこちゃんはきっと心配せずとも翼を広げて飛び立っているけれど、疲れも甘えもあまり見せないなこちゃんだから、羽根を動かすことに疲れた時は私たちがの元で休んでください。そういえるような、深く根を張り、真っ直ぐそびえ立つ大木のようなグループでいられるように、私たちも頑張ります。




その翼が傷つくことのないように。

そしていつか、遠い何処かでの邂逅を願って。


いってらっしゃい、なこちゃん。