夜の道は車と時々自転車と、スマホに照らされた人がせかせかと歩くばかりで、立ち止まる私たちは街の中で異様だったかもしれないなと、さっきまでの数刻を思い返しては、手のひらに残る感触を確かめています。


追いかけてくるさみしさを見ないふりしている私と、何度も捕まっては怒っているあの子とを結ぶリボンの名前は、当て書きが必要な、私たちの心に住むだけの名もない名前。



なにから書けばいいのでしょう。

私の大切がひとつ、つま先の向きを変えました。


スタートラインからのはじめの一歩が大きすぎて、歩幅にもスピードにもついてくるのに必死だったその足は、いつからか足並みを揃えて、同じスピードで隣にいました。とぼとぼと歩くときには少し引きずるような音を立てて、嬉しいことがあれば共にスキップして、足を止めてしまいそうな時にはスピードを緩め、ただ寄り添ってくれました。


いまだに信じられないような、だけど本当はちゃんと分かっているような、そんな地上から少し浮いたところで暮らしている感じ。わたしの大切は、もうすぐ姿を、かたちを変えるのだと、分かりたくないだけの反応で、本当はずっと分かっていました。




すこしまえから、ずっと、気を抜けば泣きそうな線を張りながら暮らしていました。優絵瑠も同じような顔をしていたな。


一緒に出かけて、重い荷物持ったまま街を歩いて、一人でも覚えられる振りを教えてもらって、そうやって延長戦をずっと重ねて。


の向こう側も見えない空はいつでも青いも、自分が思ってるよりもずっとその時の記憶にやられていたなあ。だって、踊れてしまうんだもん。あんなに覚えられなかったのに、泣きながらでも踊れてしまうんだもんね。サビ隣にしてくださいって頼んだんだよ〜と言ってくれた充分、しあわせも、この曲のことを一番に教えてくれた時のこととかも全部思い出して、だめだったなあ。





まさか見送られるとは思ってもみなかったけど、あの子にこんな思いをさせなくていいならいいかと思ってしまうくらい、切なくて苦しくて、どこか少し諦め混じりで、悔しくて、釣り合えなかった逆の皿を憎んだりもして、でもそれがなによりも彼女らしい選択だというのも分かっていました。

人の困った顔や悲しむ顔が苦手で、甘えられなくて、冷静で、意志が固くて。もう、決め切っていたんだもんね。


だからこそ、あかりなりの甘え方で体重を預けてくれるのが好きだった。その相手が私だと言うことが嬉しかった。あかりが笑って楽しく暮らせるためなら、いくらだって言葉を渡せたし、抱きしめる時間を使えたし、そうやって守りたい人があかりでした。だけどあかりは、そんなに弱くない。自分で決められて、自分の足で歩ける人です。




それでも寂しさに飲み込まれるとき、怒ってるのが可愛かったなあ。


公演の全部が終わって、可愛いドレスも脱いでしまって、すっかりいつもの景色になって。それがいつもと違うことも、その真ん中に自分がいることも、その理由も、全部が一気に押し寄せたんでしょう。きっと、自分で決めたことだから、と、それでもいやだに挟まれて、本当に急に泣きはじめましたね。いつものようにハグをして、泣き止んだかと思えば次は床に座り込んで私の膝に向かって泣いてたのが、本当に今まで見たことないあかりでおもしろくて、かわいくて、さみしかったなあ。

あきちゃんの歌もうステージで聴けないんだよ??と泣いたとき、泣いてるあかりには悪いけど胸がスッとしました。なんだろうなあ、報われた感じがしたんだよ。本当にあの時、HKT48になってくれて、私の後輩になってくれてありがとう。





互いの唯一になるなんて、誰が想像したでしょうね。それほどまでに私たちの共通項は、このHKT48という場所しかなかった。交わる点はここしかなかったのです。だけれど、化学反応というものは人間にもあるらしく、出逢ってしまった私たちは、まるで言語でも生み出したかのように、分かり合っていたのだと思います。

言葉にすれば、それまでな気がする。人の物差しで測られたくない私たちの関係は、私たちでしかないのです。この世界が終わる前に、仲良くなれてよかった。心からそう思います。


昨日の帰り道、ここ数日と変わらず別れをうだうだと先延ばしにしていました。駅前から少し離れたところでずっと手を繋ぎながら話して知ったのは、あかりは私が思ってるより何倍も大人になっていたこと。実はね、私たちってそんなに、真剣に深い話ってしたことないんですよね。というかたぶんふたりとも、誰ともなかなかそんな話をしないんです。

代わりに愛を伝え合うことは、ずっとずっとしてきたけれど、おとなになったあかりも、私のことを大好きでいてくれたんだなって、こんなこと書いたらずっと好きに決まってんじゃん!って怒られそうだけど、そんな単純なことに改めて気付きました。

そもそも私はたぶん人から向けられる愛にどこか懐疑的で、今の愛は本物だと信じられても、いつか終わりが来てしまうものだと思ってしまう性質があって、だからこそ、あかりの愛はやっぱり私には眩しくて、直視するには刺激が強かったけど、それでも昨日あの道端で、目が焼けたっていい気がしたんだよ。


最後の最後に、お互いのひみつをひとつずつ交換しました。その中身よりも事実が、これからの私を生かしてくれると思います。




正直ね、多分。ふたりとも生きていくんです。普通に普通に変わりなく、忙しなく暮らして、無理だと思ってても無理じゃなくなっていくし、それが普通に変わっていくんです。

それでも、わたしとあかりはわたしとあかりでいるんだろうとおもいます。きっとお互いがお互いを生かし合うんだと思います。


先輩と後輩として出会って、メンバーとして活動してきて、これからどんなふたりになっていくのかなあ、って思うと楽しみだね。


友達っていうのもなんだか違う。家族みたいな、でも姉妹とも違って。


やっぱり私たちは私たち。


だから、大丈夫。




今までずっとありがとう。

これからもよろしくね。



心から愛しい人の旅立ちに寄せて。