こんばんは


夕暮れ前に街に出ると小学生が遊んでいました。明日を疑うことのない軽い別れの横で吹く、さらりと涼しい風。もうすぐ夏が終わります。




昨日はじーちゃんの卒業公演でした。

あんなに綺麗な姿を見たのに、あんなにぴったりな歌を歌ったのに、なぜでしょう。いまだに実感が湧いていません。


そのくらいいつもと変わらないじーちゃんだったな。いつも目があわないところで目も合うし、普段しないようなこともするし、いつもと絶対に違うはずなのに、なんにも変わらないじーちゃんだった。


最後、晴れの日にふさわしい純白のドレスに身を包んで、飛ばしながらもじーちゃん自身の言葉で言葉を紡いで。門出としてこれ以上ない綺麗な終わり方。だと思ったのに、最後の最後にじーな節が全開で。狙うことなく爆笑を掻っ攫って終わるなんて、前代未聞の卒業公演。だけどそれが、とってもじーちゃんらしい終わり方で、なんだかすっごくさみしかったや。




じーちゃんのことをまだじーなさんと呼んでいた頃。

無駄のない丁寧なパフォーマンスも、美術館が家でもおかしくない整った容姿も、気品のある仕草も、全てが美しく、常に薔薇が舞っているような、そんな先輩だと思って見ていました。


それが少しずつじーちゃんに近づくにつれ、緊張しいで真っ赤になる耳や、MCでイジられて笑いながらも少し不服そうな顔や、生粋の福岡育ちなのに何故か似非に聞こえる博多弁や、実は面白いことが好きなところや、いろんな姿を見て、こんなにも少女らしい一面をたくさん持った人なんだなと思ったことを覚えています。


嘘がつけなくて、不器用で、少し抜けてて、でもそんな自分のことがきっと嫌で、だけど取り繕うのも苦手で、繊細で完璧主義なじーちゃんだからいっぱいいっぱい悩んだり考え込むこともきっと多かったんだろうけど、だからこそ人に向ける優しさは大きく深く、いつだってじーちゃんは慈愛に満ちていました。


その場凌ぎの優しさって時に人を傷つけるものだけど、じーちゃんはいつだって真剣で、時に話してる本人よりも考えてたりして、そういうところにたくさん救われ、たまらなく愛おしかったです。私たちはそういうじーちゃんが大好きで、だけど、たまに心配でした。


だからこそ、じーちゃんの歌う「焦ることないよ」も、スピーチの中の「たまには逃げながら」という言葉も、重さが全然違って。

あぁ、じーちゃんはいくつもの夜をそう唱えながら越えてきたんだなと、10年に思いを馳せると、涙が止まりませんでした。

たくさんの夜に残る涙を一粒一粒拭うようなスピーチでしたね。




昨日も言ったけど、わたしはじーちゃんのお芝居が大好きだから。自信を持った時の神志那結衣は最高なんですよ。わたしはそれを、ロミオとジュリエットのオーディションで思い知りました。じーちゃんの演技を見た瞬間、あ、これは勝てないと、打ちのめされたことを昨日のように思い出せます。打ちのめされたと同時に、惚れ抜いた瞬間でもありました。


だからこれから先のじーちゃんのことがとってもとっても楽しみ。じーちゃんが言っていたように傷つくことや、挫折しそうになることもきっとあるけれど、それはじーちゃんが真剣な証であり、そこから立ち直ったじーちゃんの表現は、もっともっと洗練されているのだろうと想像するだけでわくわくします。





美しくて、気高くて、かっこよくて、品があって、優しくて、柔らかくて、強い人。どんな姿にもなれる、どんな顔も見せられるじーちゃんが大好きだけど、等身大のじーちゃんが一番。そのままで十分すぎるほどの魅力を持っています。

だから、大丈夫。じーちゃんはそのままで、愛されるべき人だから。


これからじーちゃんが目指すその夢を、誰よりも私たちが応援しています。


そしてその先で、きっとまた、いつか会おう!!!



だから待っててね。

ここで、たまには逃げながら頑張ります。


ではまた。