こんばんは
無性に夏野菜カレーが食べたくなり、昨晩から三食続けて夏野菜カレーを食べた豊永です。今すぐ洗ったほうがいいのはわかっているのに、いったん水につけよう、から進めないまま時が過ぎています。

今日は一日休み。
外に出ればまだまだ暑いものの段々とクーラーつけなくてもいいかもなあ、と思い始め、日中少しだけ消してみました。
元々クーラーに弱い私は、昨年までほとんどつけずに生活していたのですが、軽く熱中症になってからは学びまして、また今年の暑さには危機を感じさすがにフル稼働。といっても温度はずっと変えていないんですが、涼しさの中に冷たさを感じ始めて、夏の終わりはすぐそこにあるのだと思いました。

晩夏のさみしさが、もうすぐそこに。



なっちゃんの生誕祭から気づけば2週間が経っていました。

最後の生誕祭もなっちゃんとなっちゃんのファンのみなさんらしく、密やかであたたかな愛に満たされていました。猫じゃらしを追う子猫の兄弟のように、みんながなっちゃんの動きを追っていて、その愛をちゃんとなっちゃん自身も受け止めているその構図をどう表せばいいんだろうかと考えていたけれど、なんというか、なっちゃんはきっと愛されることに気恥ずかしさみたいなものを持ってる人だと思うんだけど、みなさんから愛は「松岡菜摘」というひとりの人間の一番側にベールのように薄く、静かに、美しさをもって存在し、それをなっちゃんの意思で纏っているように思うのです。

愛情の受け取り方や、自分の中での消化の仕方って様々だと思うし、自身では不器用だというけれど、なっちゃんのそれはとても清らかで美しい。だけどちゃんと中身に満ちている。それがみなさんとなっちゃんの11年なんだなあ。

あまりここで書いてしまうと、どうしても1週間後のことを考えてしまうから、少しにしておこうかなって思うんですけどね、最後のお手紙を代読させてもらえて、なんだかそれがすごく嬉しくてね。


強かったり怖かったり、そんな風に見られがちだと度々話していたけれど、知れば知るほど優しくて純粋で。なっちゃんが向ける優しさの形は、澱んだ空気にそっと風を入れてくれるようなそんな優しさで、あおちゃんも手紙に書いてたし、言わずもがなだと思うけど、たくさんたくさん救われて来ました。

でもなっちゃんはもしかしたら、それが優しさや救いだとは全く思っていなくて、ただ換気しただけだよ、っていうかもしれないけど、だからこそ救われたことがたくさんたくさんありました。



あと1週間でどれだけ想いを伝えられるかなあ。


伝えすぎたらなっちゃんはきっと恥ずかしがるだろうけど、なっちゃんのその先を照らすように重たくて持って出られないほどの愛を持って旅立ってほしいから、私は惜しまずに伝えようと思います!



夏の煌めきを焼き付けて。







ふざけた写真ばっかり!!!!

ではまた!