馬鹿になった涙腺を無理矢理締めるように息を止めて、酔うに酔えない夜を酔わせてやり過ごしました。



なっちゃんが楽しみにしてるなんていうからこうして書いてるけど、いくつもいくつも言葉が浮かんでは涙に変わっていくよ。卒業発表を聞いてこんな風になるなんて、少し前のお互いなら思ってなかったな。きっとなっちゃんもそうですよね。


こんなに涙が止まらない理由となっちゃんが言った「あきが泣いてくれたのが嬉しい」の意味をずっと考えてみたのだけれど、あるひとつのことに気づいた途端、全てが腑に落ちました。これはあくまで私の勝手な推測だけど、そう大きく外れてないんじゃないかなあって思うこと。





私たち4期生の初めての円陣は、サンパレスでの「なっぷ」の初仕事でした。私がHKT48でいる時間の全てはキャプテンのなっちゃんと同じ。そしてそのなっちゃん率いるチームHに入ったのは、私が初めてだったんですね。


私はなっちゃんのチームHしか知らないから今まで気づいてなかったけど、もしかしたらなっちゃんからしたらずっと、自分のチームとして初めて迎えた後輩として見てくれてたのかな、だから私に泣いてほしかったのかな、ってそういう答えになりました。違うかもしれないけど、そうだったら納得いくなって思って。


そうはいっても初めの頃の私は緊張と人見知りとで、チームには馴染めてもなっちゃんと一対一での関係を築くことはあまり出来てなくて、いつになってもなつさんとしか呼べなかったし、いつになっても緊張してた。


でもなんでかな、ある時からこんな風になりたい先輩はなっちゃんだった。こんな風にならないといけないと思うのもなっちゃんだった。後輩は少なからずそういう目で見てると思うけど、特別そう思ってると自負してる。


いつからだろう?って考えてみたけど、そっか、2019年のツアーか。


さくちゃんとなこちゃんが韓国に行って、さしさんが卒業したHKT48のツアー。一身に背負いすぎてるなっちゃんをみて、どうにか力になりたかった。それがきっかけだったんだと思います。し、それが伝わったのかな、少しずつ少しずつ、荷物を分けさせてくれてるような気がしてた。あのツアーのことを何度も思い出すのは、なっちゃんとそんな距離にいられるようになったからなのもあると思う。


もう一つ思い出すのは君どこの選抜発表の配信。つばめからなっちゃん、みずほから私が出て司会したことをすっごくすっごく覚えてる。嬉しかったけど何にも出来なくて、便りっぱなしで、なっちゃんってすごいなって痛感した。


でも同じ曲で同じ位置にいられることが、人としての立ち位置も近づけてるのかな、ってそう思えたのがすごく嬉しかったのを今でも覚えてるし、合わさった時になっちゃんとペアのが本当に嬉しかった。あそこくらいから頼ってもらえる場面や末っ子のなっちゃんを見せてくれる時間もぐんっと増えた気がします。



時折言ってくれるあきの前だとふざけちゃうとか、自然体でいられるとか、そういう言葉が何より嬉しかった。歌のこと聞いてくれるのも、ツアーで一緒に歌えてるのも、なっちゃんが手を上げて撮った動画を公開前に送ってくれたのも全部全部嬉しかった。なっちゃんは私のことを眩しいって言ったけど、だとしたらそれはなっちゃんたちを、なっちゃんを見てたからだよ。


そんな風にいつも見てたからかなあ。なんだか今日ある気がするって、昨日は本当に思ってた。


その前の日に、昔の、入ったばかりの頃のグループラインを見返して、さしさんが言ってくれていたようなことをなっちゃんが言ってくれてるのを見て、今なっちゃんがいなくなったらどうしようって思ってた。


でも10年を超えてグループを真ん中で支えてくれたなっちゃんに、行かないでなんて無責任なこと言えないし、そんな日が来るのも分かってたから、ポストとかポジションとか役職とか、そんなこと関係なく、なっちゃんを目指して見てきた後輩として、そこは受け継いでいかなきゃなって思ったりしてた。まさか次の日に発表するなんて思ってもみなかったけど、それも含めて運命なのかなあ。


私にとってのなっちゃんはなっちゃんだけで、なっちゃんにとっての私も多分私だけで、入ったあの頃は、昇格したあの頃は、思ってもみなかった未来にいます。

それが、なっちゃんと私が過ごした時間の結晶。そして、あと2か月もある。


やっぱり私は未来を背負うというよりも、今までのHKTと未来のHKTの架け橋でありたいから、なっちゃんのすぐそばで夏を過ごして次の季節へと引き継いでいきたいです。


といってもやっぱり追いつかなくて、変わりゆく形を思い浮かべて、まだまだ涙に暮れる日も多いと思うけど、夏から秋になる頃にはしっかりとなっちゃんにもらったものをいっぱい吸い込めてるように。頑張るから、見ててね。



でも、もう少しだけ甘えててもいい?