なかなか顔を見せない太陽のせいか、時の流れを鈍くした3月。

人々は装いを変えたり、また戻したり。忙しなく過ごしては過ぎた日々を昨日のように思ったりして、数えればあの日からあっという間に、両手が塞がるだけの日付を重ねていることに驚きます。

 


まだここにはいるけど、もう一人で歩く準備をしっかりとしきっためるちゃんは、もうどこか知らない人のようで、それだけのものを背負って旅立ったんだなと、どこか他人事のように思う毎日です。


わたしとめるちゃん。

どんなふたりに見えてたんだろう。

わたしたちは、どんなふたりだったんだろう。




以前、陽の中の陰と陰の中の陽だと表した方がいました。それがすとんと胸に溶け込んだことを覚えています。


闘い方でも、向き合い方も似てないけど、抗い方がきっと似ている。

明るいだけじゃいられないめるちゃんと、暗さをどうにかしまい込もうとする私の合流地点が、たぶん、いろんな人の言う"似ているところ"なんでしょう。


だからなのか、入った当初からめるちゃんはずっと気にかけてくれていました。

研究生で選挙に入った時、その後の初めての選抜、初めての選抜としての歌番組、初めてのイベント。どの記憶もそこには、めるちゃんの存在と、めるちゃんの言葉が私の中に残っています。


今思うと、周囲からのイメージのギャップとか、急にいろんな現場に赴くことになったところとか、少し境遇が近いと感じてくれていたのかな。(めるちゃんとは比べ物にはならないけれど)

それがとっても嬉しかった。



そこから私も少し成長して、未来を見据えるようになって。二人を繋ぐものに、演技の道という共通の将来が加わりました。


めるちゃんもメールに書いてくれていたけど、お互い、求められる場所が近いことが分かっていたから、声にはせずとも意識し合っていたのをずっと感じていました。1を出されたら2を出そうと思うわけではなく、どうやったら違う場所で違う1を出せるのか、そんなことを考えて過ごした日々だった気がします。


だからこそ、仕事の部類は問わず同じ仕事になると、一緒に協力してというわけではなかったな。それは、悪い意味ではなく、同じ壁を手を取り合って壊すわけじゃなくて、「そっち壊すなら私こっち行こうかな!」みたいな、そんな関係だった気がするんです。それが結果として一つの壁だった、みたいな感触がきっとお互いにありました。


隣にいると心強くて、力強くて、でも羨ましいより悔しいが先に来る、来るけどだから頑張れる、明け透けに言えば、尊敬しながらもかっこ悪い嫉妬さえしあえる、そのバランスが私たちを生かしていたと思います。ずっと自惚れと思っていたけど、めるちゃんも多分そうだったのかもなって、メールを見て思いました。



ついにアイドルの肩書きをはずすめるちゃん。


真っ赤なドレスの後ろから見るリボン。

刻まれた11つの名前はHKT48の歴史を辿るようで、その時々のめるちゃんを想うと胸が熱くなったり、苦しくなったりしました。


そんな卒業公演で改めて思ったことは、そんなめるちゃんは紛れもなく太陽だったということ。


センターだからという理由だけじゃなくて、めるちゃんの光を浴びてようやく見える色、育つ花、気付ける感動がたくさんあったから。その光を浴びて頑張れた人が、内にも外にもたくさんたくさんいました。


誰にでも出来ることじゃなくて、めるちゃんの生き方はめるちゃんしかできなかった。本当に、特別な人です。



鏡合わせのようによく似た正反対だから、もしくはさながら太陽と月のような関係だから、口に出さずとも理解しあえる部分と、全く分かり合えないところがあったけど、だからこそわたしたちはわたしたちでいられたんだと思います。


だから私は、変わらずわたしは違う道を歩きます。だってたぶん、場所が変わっても立場が変わっても変わらず、めるちゃんは太陽であり続けるから。わたしもそうでないといけないから。


その途中でまた同じ世界に生きられることが出来たら、きっと刺激的な日々になるんだろうな。




この間めるちゃんが帰ってきた時。海へ行きました。ずっと撮らせてほしかった写真を撮ってきました。本当に陽の光が似合う人。昔もよく似た写真を撮った気がします。


途中からは友人が来てくれて、私たちふたりを撮ってくれました。



そんな2人でこれからも。

私はその光を浴びながら、いつかは照らせるようにそれぞれの道を。



行ってらっしゃい。またね。