いま、ブログ書きたくないなって思っています。
書いてしまったら終わっちゃう気がして。
だって明後日まであるし、今じゃなくてもいいかな、なんても思います。先延ばしにしたくてたまりません。
でも、今日のこの感情をちゃんと憶えておきたい。あの子がくれたものを、誰かにとっての自分に特段自信のないあの子にもちゃんと伝わるように、言葉で残しておきたい。
だからいま、ブログを書いています。
今日の楓はいつもいるところにはいなくて、ほとんどわたしの隣にいました。幕が開いたその時から、背中から立ち登る炎のような覇気。それにつられるようにわたしの底力も出ていた気がします。
それはこの3年間、ずっとそうでした。
楓がいると頑張れる。そういうのは簡単だけど、その実はもっと詰まってるんです。
楓がいると、負けたくなくて頑張れる。
楓がいると、いい背中を見せたくて頑張れる。
楓がいると、並んでもかっこよくなりたくて頑張れる。
楓がいると、ワクワクして頑張れる。
楓がいると、安心して頑張れる。
だから、楓がいると頑張れるんです。
今日はそんな調子で、やり過ぎなほどに頑張れました。気づいたら頑張ってたんですよね。いつもそう。ギアマックスで入れてたのに、勝手に限界突破させられてる感じ。楽しくて楽しくて仕方がなくて、最後ってことよりも、それが一番にあって。
歌割り一つ一つが一度きりで、全部ワクワクして楽しくて、ユニットだって、きっと一緒に過ごしたソファーの記憶を思い出すんだろうななんて思ってたのに、楽しかって愛おしくって、なんで今3人で歌ってるのか、って理由なんてものをすっ飛ばして楽しくて。
だけど、そんな思考の一番下では、本当はわかってて。最後だってことも、最後だからだってこともわかってて。ふと、言いようのない不安というか喪失感に襲われました。この人がいなくなるんだって。もう隣で歌って踊ることはないんだって。
それはどこか絶望にも似た、さみしいなんて言葉じゃ済ませられない、でも悲しいという言葉が似合わないほど眩しくて眩しくて、その反動のようなもの。これをさみしいというのなら、さみしいんだろうけど、さみしいだけじゃなかったんだ。ちゃんと伝わるかな。
だからこそ、これからもちゃんとわたしが、楓の前にいたわたしと同じわたしでいられるように、楓の姿を五感に、脳に、記憶に焼き付けたくて必死でした。だから、ずっと楽しかった。
でもね、君どこが始まって。
軌跡を追う中で泣いてはいたけれども、あんなに泣くつもりはなかったんです。だけど、目の前にはるたんさんと楓がいて。隣を見たらゆきちゃんがいて。それがもう、たまらなくなっちゃって。
というのも、言ったことがあるか分からないけど、わたしの中に勝手に、本当に勝手に、4人で選抜に入りたいという思いがずっとずっとあって。
そのためには自分もそこに居続けられるような自分でいなきゃと頑張れたし、楓が来てからは尚更そういう思いが膨らんでいて。
でも、それはもう叶わないんだなっていう苦しさと、いまここで楓のこんな大事な日に、二人を囲めてる幸せと、目の前にいる二人がもうすぐいなくなるという現実に押し潰されそうで。さみしさとかじゃないですね。もうこれは多分、自分のために泣いてしまってたんだと思います。だって、それほどまでに楓の存在、3人の存在が大きかったから。
しかも君どこは楓が言っていたように、ポジションのこととかもあって、いろんな話をした時の曲でもあるから。聞くだけでいろんなことを思い出す曲だから、尚更。
そのあとの引っ越しましたはもう反則でした。立て直そう立て直そう思っても、歌詞が追い討ちをかけてくるんですもん。
リハーサルでもそうでした。全然大丈夫だと思ってたのに、「もしもそれでも分からなければ僕が立っているよ」って聞いた瞬間、脳が理解するよりも先に涙が出てきて、嗚咽の出るほど泣いて。
楓の家に初めて届け物をしに行った日、ご飯に行く時の待ち合わせ、わたしの家に来る時、そんなたくさんの思い出が全部全部リンクするんです。
この先楓が引っ越すことになったら、わたしはいつ教えてもらうのかなとか、その時はどうやって行くんだろうとか、でもきっとわたしは迷うから、楓が立って待ってるるんだろうなとか、そんなことを思い浮かべてしまってからはもうだめでした。
主役に慰められるほど、涙が次々と、止めようとしても次々と。情けない限りです。でも、隣には笑顔の主役。
いつもそう。見送られる人は美しく、眩しく、笑顔なんだよ。
今になって思うんです。もっとわたしにできたことはなかったかなって。
楓のこの強く大きな決断が変わらないことだとしても、それまでの時間をもっともっと楽しいものにできてたんじゃないかって、思ったりするんです。輪の中に強引にでも連れて行ってたら、とか、思ってしまうんです。そしたらもっと早く、楓のあるがままで過ごせてたんじゃないかって。楓に向けられるたくさんの愛に、楓自身がもっと早くに気づけてたんじゃないかって。
だけどそんなのはわたしのエゴで。
きっとそのスピードで、その真っ直ぐさで、少しずつにでも作り上げてきた関係だからこそ、先輩も後輩も関係なくあんなにたくさんの人が泣いて笑って、さみしいよって言いたくなるような、卒業公演になったんだろうなと、今はそう思います。
なにより、楓が愛されてたと気づいてくれたことが本当に本当に嬉しかった。
そんな楓を見ていて、ここから過ごせるかもしれなかった時間は絶対とっても面白くて、楽しくて、もうすこし、もうすこしそんな日々を過ごしたかったと、やっぱり今日も思ってしまったよ。
だけどきっと、どこでだって楓が楓らしくいれる場所があるのなら、楽しくに生きられるのなら、これで良かったなと思える未来が来ると思うから。どうかわたしにそう思わせる人生をこれから歩んでいってください。
ちなみに補足するとね、このグループにある大きな愛の一部がおまけとしてあるんじゃなくて、楓に向けられる愛は間違いなく、楓だけの特別な愛だということ。それは鏡のように、あなたが誰かに向けた愛でもあって、その愛で生きられた人がたくさんたくさんいると思うよ。
私はそれが、このグループにあなたがいた証だと思う。それをずっと忘れないでいてね。
まあでも数時間後会うんですけどね、
くらい言ってきそうな楓。
あきさん、どうせ私がいなくなっても他の子と仲良くするんでしょ。
っていう、中身まではるたんさんによく似た楓。
私がいなくても大丈夫でしょ、なんて言わないで。
全然大丈夫じゃないんだって、今日見て分かったでしょ?
全然、全然大丈夫じゃない。
でも、大丈夫じゃないから、頑張るよ。
大丈夫じゃなくなったわたしでは、楓の横に立たないから。
私はここで、楓がわくわくするようなHKT48をつくる一員をもう少し続けます。
そう思わせてくれて、本当にありがとう。
大好きです。ずっと。
いつでもどこでも、繋がってるから。
いつでもどこでも、会えない時でも、
心でいつでも会いましょうね。
まあでも数時間後会うんですけどね!!!!!!
先に言ってやったぜ!!!!!!!
ではまた!