怖いとか、不安とか。
言えば一言なのだけど、
「なにが」からは、ずっとピントをずらしていた。


本番まで、あと1ヶ月。

ここ最近は幾度となくその言葉を聞く。私も言う。

あれほどまでに頭を悩ませ、自信をなくし、先の見えなかった脚本も、執筆が進むにつれ、やっと目指すものに近づき、形ができ、経過を見るたびに、あくまでも脚本という観点での話だが、書いてよかった、書けてよかった、と頷けるものになった。ここからまた稽古が進み、さらに深く頷けるものになるという自信もある。それほどまでに、信頼をおける時間をこの数ヶ月でたくさん過ごした。

だけど、自信を持てば持つほど、怖くなる。
だんだんと、怖くなる。
それはなぜなのか、今日、気づいた。
気づいたとともに、とてもうれしくなった。




私は、ずっと、
私のことを好きでいてくれる方に、イエスマンになってほしくなかった。

アイドルになった当初、「私だからなんでも許せる」とか、「なんでも好き」という言葉に、私は怯えていた。価値観を曲げてはいないかと。わたしだから、という理由は、妥協ではないのかと。

その怖さを匿えなかった私は、よくそれを伝えていたように思う。今思えば、信頼していないと伝えることと同義のように思えて、本当に申し訳ない。

けれども、それを皆さんは受け止めてくださって、なにかあるごとに、それぞれの気持ちをそれぞれのままに伝えてくださって、いつしか私は、疑わないようになっていた。



だから、いま、怖いのだ。
イエスマンじゃないと分かっているから、
素直に受け取ってもらえると分かっているから、だから怖いのだ。それは、なんと幸せなことだろうか。

いくつか繕えば、すんなり生きられたかもしれない。楽して生きられたかもしれない。

そう思う瞬間は多くあるけれど、今こうして、こんな関係を結べた私たちだからこそ、何かを表すことや作ることを諦めずに、疑わずにいられる。

本当に本当に、いつもありがとう。

素直になればなるほど、思いを詰めれば詰めるほど、受け取ってもらうことが怖くなるけれど、こんなにも怖いということは、そういうことです。

不本意アンロック。
楽しみにしていてください。


こんな気づきを忘れないように。ここに。