風が心地良くて、窓を開けていても寒くも暑くもなくて、一年のうちで思ったよりも少ないその季節を取りこぼさないように掬う。

寝付きが悪いのは困る、だがその時々で努力や対処のしようがある。一方で、目覚めが早すぎるのは考えものだと思う。起きてしまうものだから。早起きは三文の徳と言うけれど、熟睡出来てないんだなぁ、と感じるばかり。起きて、生活リズムがいいのか悪いのか。ただ今日は、いい空を見れた。それならよかった。

ひんやりした風の中であたたかい布団に入るのは、なんだか、ピクニックをしながら寝るような、そんな贅沢にも感じる。

そして、ガラス一枚ないだけで街がぐんと近くなる。 というのはここでも何度か書いているけれど、今日は小学生たちが紅蓮花を集団で熱唱しながら歩いていた。このご時世、褒められたものではないのかもしれないけれど、思わずクスっと笑ってしまう微笑ましさ。
人生序盤の6年間というのは、永遠にも感じられて、成長のスピードも桁違いで、記憶は常に増えていくから、全てを覚えてはいられないけれど、風とか、においとか、温度とか、景色と結びつく記憶は、こういう何気ない一瞬だったりする。

今日のわたしのように、見知らぬ誰かの記憶の中に見知らぬ子供だったわたしもいるんだろうか。きっといるんだと思う。人生は助け合いだというけれど、それは自分の交友関係の中での話だと思っていた。だけど、知らないうちに知らない誰かに影響を及ぼしたり及ぼされたり、そうやって世界はまわっているのだな、と気づいた。


この仕事をしていると、影響というのは与えられる機会が多いけれど、世界を変えたり、誰かの人生を変えたり、っていうのは、普通に生きてたらそうそうない。つまり、わたしの日常生活においてもそう。
だけど、北京の蝶のように、自分にとっては何気ないことが、知らない場所で、知らないうちに何かを起こすかもしれないね。そしてきっと、それを知ることはない。だけどそれくらいがちょうどいい気がする。

良い影響も悪い影響も、知らないうちに受けたり与えたりするものだと思うけど、ちょっとでも良い影響の方が多い人生だといいなぁ。