MOON FACE

MOON FACE

アニソンが大好き。サッカーが大好き。ライブ参戦レポや試合分析などを中心に徒然なるままに。

Reyが、もう一度、そして今度こそ解散しました

 

5年前の再集結を経て、デビュー15周年の年に最後のライブを。

「5年前は再集結と言葉を濁したけれど、10年前に解散ライブも出来ずにお別れしてしまったので、待ってくれる同志のためにも最後にちゃんと解散ライブをしたい」と言ってくれたことが嬉しくて。解散ライブって悲しいものはずなのに不思議だね。

 

ライブ2週間前あたりからとてもとてもエンタメになってしまったけれど……まあそれはいいや笑

正直、そのエンタメがあったからこそ面白い気持ちが加速したのは否めない。

考えている時間が長くなるって言うのは絶対に効果あるよね。それにしたって酷かったが。

 

しんさんは、ソロでは随分大人のギターを弾いていたと思ったけれどReyでは全然そんなことなかったね。

とても勢いがあってカッコいいギターで、しかもめちゃくちゃコーラスしてた。

あのコーラスしながらどっしり弾く姿は10年前では見られなかったんじゃないかな。

カメラマンとしてLantisで仕事をしているの、噂では聞いていたけど本人の口から聞けてよかったです。

まさかまっつーさんからお花が来るなんてな……

 

寺ちゃんは当時よりもはるかにギターがうまくなってたと思うし、弾いている姿が単純にかっこよかった。

下手で坂本さんに隠れるように弾いてる姿はどこへやら。何度も前に出てバシッと決めていた。

コール&レスポンスでお客さんにかますなんて昔じゃ考えられなかったし、何より楽しそうだった。

「てら」って書いてあるあのギター、久しぶりだったね。

使ってたピックがFo'x時代のものなのは笑った。

 

峻洋さんはとても懐かしかった。プレイが変わっていないって意味では一番変わってなかったんじゃないか?

あの手数が多くて派手なドラムが好きで、ああこれだなあって。

隙間で変顔を入れてくるのも懐かしかったなあ。

でも少し線が太くなって大人びた姿は、もう末っ子って感じじゃなかったな。

MCの安定感はさすがでした。しかしとても公にできないものすらあった。

 

やらかしていなくなった人の話は……まあいいや笑

チャドさんは本当によくやってくれたなあと思う。

ワンマンサイズの仕込みには短い期間だったと思うし、同期も足りていない状態。

にも関わらずほぼ暗譜だったし、Hit and Breakではコーラスまで。

全体的に坂本さんのベースをとても拾ってくれていたなと思う。

6弦で3フィンガーを駆使するスタイルは、そんじょそこらの人では務まらないよなあ。

サポートに徹していながらも、終盤1曲だけ前に出てきたのはただのサポートで終わらない主張を感じてとてもよかった。

 

はらけんは、はらけんさんだったなあ。

あの歌が私は大好きだった。

衣装の「許せない!!許せない!!許せない!!」はこの日のためにあるようなTシャツだった笑

他のメンバーがMC回せるようになり、プレイ中も前に出てくるようになり、結果的にはらけんさんの輪郭も濃くなった。

はらけん姉さん、出てこないかと思ったら出てきて笑った。

詐欺禁止とおっぱいおっぱいとはやっぱり欠かせないよな!

そのあと「妻がいるんだよ」って笑っちゃった辺りに10年を感じたわ

 

・Rey LAST LIVE【最後のれっつぱーてぃ〜】

アリスブルーのキス

Road to Kingdom

冒険者

 

Hit and Break!

夢限界楼-メヴィウス-

ヒーロー候補生

 

春の向こう

THANK YOU

 

BURNING HERO

Rescue Dream!

レスキューキング

 

口だけ番長

SIGNAL

 

LEGEND of KAISER

LEGEND of KAISER(1コーラス)

 

同じ世界で

SPIN GO!

MONSUNO!

 

AXEL TRANSFORMERS

 

(En.)

Generation

アリスブルーのキス

 

楽しいからってカイザーもう1回やっちゃうの笑ったな。同期がないならではだ←

ヒーロー候補生が青空のナミダに似てるとか言われるまで気が付かなかったなあ。

 

Starting Over、一心不乱、RIDE OUT、冬のヨワムシ……聞きたかった曲はたくさんある。

なんならもう一度聞きたいカバーもある。STUDY×STUDYやプリキュアのメタルアレンジ好きだったなあ。

ジンレンジャーは結局ライブでやらないまま終わっちゃった。

でも、もう本当に終わりなんだよな。

 

久しぶりに会う人もたくさんで、きっともう二度と会わないんだろなって人もいて。

だからまたライブやってほしいなって思うけれど、きっと難しいんだろうな。

それでもまあ、もう一度を願わずにはいられないよ。

 

バンドに出会って、ベースを手に取って、今の自分がある。

Reyに出会っていなかった世界線は、きっと今の自分とはかけ離れている。

本当に本当に、大好きで特別なバンドでした。

最後のライブ、やってくれてありがとうございました。

 

楽しかったなあ。

何も言えなくて、だけど何も言わないと自分の中でもぼんやりしたままだから、言葉にしたくて。

 

音楽が好きで、ライブハウスに出会って、救われて、10年近く。ただただ、好きで、楽しくて、気が付けば出る側になって、それは自分にとって簡単なことではなくて、できる限り頑張ってきたつもりだった。

 

このご時世、救われるわけがないって思っている。

 

政府だとか行政がフリーランスを救うわけが無いと思っている。そういう人たちのためにできている仕組みじゃない

最大多数の幸福のためにあるのが資本主義社会の行政で、有事の際に、何かを切り捨てなければいけないとしたらそこなんだと思う。

 

エンターテインメントは、最後に来るもの。この状況下でそこから死んでいくのは当たり前だと思うし、今行政が注力すべきはそこじゃない。

スピードが遅いだなんだって、政治がそんなスピード感を持って動くわけもない。たくさんの人間が絡んで、1億3千万のためになにかをする。1か月やそこらで何かが動くわけがない。そんな拙速で動くような仕組みでも困る。

 

しかしさて、音楽が死んでもいいなんで思えるわけもなくて。サッカーが死んでもいいなんて思えるわけもなくて。

 

何かを言いたくても、音楽で食ってるわけじゃない自分が何をいえようか。自分の周りに、本当に深刻なダメージを負っている人がいる。負おうとしている人がいる。何が言える。言えるわけもない。

 

大好きな人たちが困っていいなんて言えるわけもない、だけど困るのは当然だと思っている。

 

絶対的な不況。ノーダメージで切り抜けるなんてあるわけない。だけどお前らが苦しくなるのは当たり前だなんて言えるわけもないし、何かできることがあるならと思っているけど、そこじゃないんだとも思う。

 

何も言えなくて、何もできなくて、雁字搦め。

 

 

まだまだ続くんだろうなあ。俺だってノーダメじゃないけど、それ以上に心がすり減る。どないせえっちゅうねん。

「将来の夢」がなかった。

 

目標ならあった。目の前の試合、春の全小、夏のセレマカップ、冬のサンガップ、小6の時の受験。だけど夢だとか将来何になりたいっていうことがなかった。だから、そういう授業や卒業アルバムの類が苦痛だった。

 

当たり前のようにサッカーを始めてたけれど、サッカー選手になりたいなんて考えたことはなかった。強いて言うなら当時の夢は高校選手権に出場することと、大人になって草サッカーをやること。片方はある意味叶ったのかもしれない。

 

東口さんっていう例はあったけど、先輩たちがプロになっていく学校でも、全国に出場したことがある高校でもなかった。ただ中途半端に弱くなかったから、強く焦がれなかったんだと思う。中学の時も京都府でベスト4まで行って、高校でも1年の時にベスト4まで行った。あと2つ勝てば全国。近かったとは思わないけど遠くなかった。当たり前のように勝つことを目指していた。だけどそれは、目の前の試合をすべて勝つことを考えていたのであって、「全国」というキーワードに執着しなかった。作陽や東福岡、広島皆実みたいな強豪と普通に練習試合して負けてたからかもしれない。今思えば、全然本気で目指してなかった。一方で、勝つことには本気だった。勝った結果の全国、って感じだった。

 

「プロサッカー選手になりたいか」と聞かれれば首を横に振ったと思う。だけど、本気だったかと聞かれれば縦に振ったと思う。

 

目標がなくても必死になって、目標がなくても真剣で、それがあの頃の自分だった。今も、きっとそうだ。

 

それじゃダメなのかもしれない。大人になって、目標はもつべきなのかもしれない。

 

だけど今は、このまま突っ走ってみようと思う。目の前のことに必死になる1年にしてみようと思う。

 

できないことがたくさんある。クオリティは最上級を目指す。上にいけるチャンスがあるなら取りに行く。普段は、目の前のことに必死になる。

 

全てを賭けるなんて思わない。見てる側としてもそういう生き方は好きじゃなかった。音楽は、そもそも生活必需品じゃない。それがなくたって生きていける。だから提供する側も、それがなくなって大丈夫であってほしい。フリーターでバイトしながら音楽やって、辞めたら何も残らない奴なんて応援できなかった。

 

譜面を読んで理解できて、時間をかけずに仕込めるようになる。曲を作れるようになる。ほかの楽器のことを知ってバンマス的な振る舞いができるようになる。これが当面の目標。

 

プロアマ論争は、ひとまずいいや。聞かれたら、振る側の人には正直に答えよう。そうでない人から聞かれる分にはもういいや。それを気にするような人なら別にいいや。自分の中ではどうでもいい価値観だもの。立場と演奏は関係ない。自分の腕をしっかり磨く。セッション会じゃなくライブをする以上、お金をいただける演奏をするのは当たり前だ。

 

変わったような変わらないような、きっとまた悩むだろうけど今はこれで。東京戻ります。

バンドマンになりました。

 

ベースを始めたのが26歳の時。今でもよく覚えている。

 

スノボで肋骨をやってレントゲンを撮って、脊椎側弯症の程度が深いことが発覚したあの日。

とてもショックを受けて、ライブを楽しめなくなって、数か月悩んで、悩むことをやめた。「いつかやろうと思ってたこと、いつかが来なくなるかもしれないなら今やろう」と思うようになった。半ばやけっぱちだったと思う。

 

フットサルに限界を感じていたのも無関係ではなかったと思う。チームが少しづつ強くなって、高校の時にサッカーで全国行ったような奴も入ってきた。現状維持が精いっぱいで、これ以上強くなれる気がしなくて。2時間で悲鳴を上げ始める俺の足には、一日に何試合もこなすような社会人リーグのスケジュールが厳しくて、いつもヒヤヒヤだった。リーグ参戦したころにはDFとしての俺の戦力は間違いなく必要とされていたと思うけど、その頃にはもう必須戦力ではなかったと思う。

 

毎週のようにライブを見に行く中で芽生えていた「いつかベースを弾いてみたい」という思いを現実にして、イケベ楽器で初心者セットを買った。習い始めて、1年くらいでナオトとスタジオでセッションした。1年半くらいで、セッションイベントに参加した。楽しかった。

 

その年の年末に「3月にライブするんだけどサポートしてくれませんか」とGraniから話をもらった。めっちゃ悩んだ。

 

音楽が好きで、ライブが好きで、救われてきた。大学でサッカーを辞めたあの時期に、ライブハウスに足を運んでいなかったら気持ちは沈んだままだったと思う。そんな俺にとって、ステージはとても特別で、大切で、おいそれと上がっていいものではなかった。

 

人によっては「ライブをするなんて大したことじゃない。ちょっとした勇気で踏み出せば誰にだってできる」という。それは、自分には決して肯定できない考えだった。ライブをする、ステージにあがるっていうことは絶対特別で、誰にでもできることじゃなくて、あれからいつだってライブをするときにはしっかりと準備をして、気持ちを作って臨んできた。軽率に上がれる場所ではなかった。

 

「手伝ってくれと望んでくれるなら」---そう思って、話を受けた。

 

Graniがプロ志望なのかどうかってぶっちゃけはっきりしないところがあるし、今でも彼らの目指すところはよくわからない。ただ、彼らと音楽をやるっていうことは、プロ志望、プロ、アマが混在するあの界隈に足を踏み入れることで、それはやっぱり自分にとって簡単なことではなくて。ベーシストであろうと努めてきた。俺とやっていたことがマイナスにならないように。いつか彼らが1つ上のステージに行った時、枷にならないように。

 

プロになるつもりなんてなかった。会社員をしながら、できる限りの力を注ぐ。フットサルは辞めた。アマチュアであることといい加減にやることはイコールではないと思うし、ライブをする以上はお客様に届けるステージをしなきゃと思っていた。アマだから好きなことだけやっていればいいなんてことはない。そう思って、ライブ活動を始めた。

 

その中で出会ったじぇれすすとバンドを組もうぜって話になって、「望まれて手伝う」から「自分のやりたいこと」を考えるようになった。こういうのが好きでやりたいんだ!ってものと、オリジナル曲を作りたいって思いが芽生えた。もっともっと音楽に時間を費やしたいと思うようになった。キーボードを置けるスペースが欲しくて引っ越した。時間を生み出したくて転職した。

 

いい大人のスケジュールなんてそうそう合わない。無理やりにでも動き出さなきゃ始まらない。松山と出会って、ドラムがなかなか見つからなくて、「サポートでもいいから入れて、活動を始めよう」。言い出したのは俺だった。そういう意味で、二人を巻き込んだ責任があると思ってる。そもそも人に連絡先を聞いたりするのが苦手な俺が、じぇれには自分からLINEを聞いた。大事にしたい縁だった。

 

色んな事情があって、想定してたサポートメンバーにはならなかった。で、お願いすることになった二人はそりゃもうガチガチの実力者だった。手前みそだけど、いいライブができたと思っている。

 

そのメンバーとバンドを組むっていうのが、本当に俺でいいのかって悩んでいた。

 

手を抜くつもりなんてさらさらない。だけど、所詮ベースを初めて3年、ライブを初めて2年のヒヨッコだ。ここにいるのが俺でいいのか。

 

「ベーシスト」を名乗ることに抵抗があった。別にこれは職業だとは思っていない。だけどプロだろうがアマだろうが、会社員だろうが学生だろうが、ベースを弾くのであればベーシストだと思っている。社会人チームのDFがDFじゃないかと言ったらそうじゃない。職業がプロサッカー選手ではなくたって、サッカーをしていればそれはサッカー選手だ。ここも人によっては賛否あるけど、自分はベーシストなんだと思っていた。だけど名乗れなかった。ベースを弾く人、なんて言っていた。プロ志向ではない、ということが引け目になっていた。

 

だけどその時期、自分を認めてくれる声に出会った。

 

「真面目に音楽と向き合っているかくらいマヨ見てれば分かる」「色々考えてるの知ってるし、ちゃんと活動していると思うし、プロ志向だって適当な奴はたくさんいる」「専業である必要はなくて、マヨはもうベーシストだよ」---嬉しかった。

 

有償で依頼してくれる人もいて、そう言ってくれる人がいるのなら胸を張って活動しようと、Twitterのプロフィールにベーシストの文字を加えた。無償サポも原則NGにした。松山やサポメンが有償でサポートを受けている人間で、そもそもサポートって有償が当たり前だと思うから、一緒にやる俺が、しかも有償で依頼しておいて自分は無償で受けるのは筋が通らないしじぇれと松山に申し訳がたたない。調子乗ってると思われようが、そう決めた。

 

そう決めて活動していても、プロだアマだを気にする人の多いこと。

 

確かに、案件を振る側からしたらプロ志向の人に振りたくなると思う。それはわかる。だけど同じような立ち位置のアマチュア勢、プロ志向勢がそれを言ってくるのはなんなんだと。

 

プロってなんだ。それで生計を立てていることか。だとしたら、プロだと思われているような人でもプロじゃないことになってしまう人はたくさんいる。じゃあなんだ。有償で活動している人か。逆にプロになる人がたくさんいるぞ。メジャーデビューしていればプロか。あほか。

 

分からなくなった。自分がどこを目指しているのか、何がしたいのか。

 

ずっと音楽がしたいと思った。楽しいだけの音楽じゃなく、よりよいものを求めていくステージがしたい。それだけは確かだった。

 

ある声優シンガー志望と話していて思ったのは、彼女は「盤に残ること」が価値だと感じているようだった。それは自分にはなかった。タイアップだとか主題歌よりも、大きな会場でのライブを成功させる方がすごいと思った。そこは、アニソンシンガー志望との価値観の相違だ。自分にての音楽は、何よりライブだった。オンラインでの活動も音源化も、すべてはライブのためであってほしい。

 

はてさて、「ずっと音楽をしたい」といっても、きっとこの先「本気で」音楽をやる人間は減ってくる。年を重ねるにつれてきっとそうなる。金銭的な理由だったり結婚したりでみんな生活が変わっていく。それは当たり前のことだ。

 

その中でやっていこうと思ったら、もしかしてプロにならなきゃ難しいんじゃないかと思い始めた。

だけど、なれたらいいななんて甘い気持ちでなれるわけもない。

そして、なれるとも思えない。

 

例えば、もし25からサッカーを始めてプロになろうと言うやつがいたらどうだろう。絶対無理だと思う。俺は少しも負ける気がしない。

学生時代から当たり前のようにプロを目指してきた奴らとわたりあっていく。そんなことができるのか。

 

音楽をする環境を作るためになにをすればいいのか。プロを目指す?どうやって?どの口がほざく?そのためにすべてを捨てる覚悟あるか?

 

そんなことを考えた。だけどそれを考えたしまったら動けなくなりそうだった。止まるわけにはいかない。ライブも決まっている。もっともっとうまくなりたい。止まっている場合じゃない。

 

振り払うように練習して、年末。実家にはベースはないから、ここで向き合おうと思った。

 

さて来年30歳になる俺よ。この先どうする。

Noah'z Lark

Anima

ZIGRIGHT

ins’Clade

ORANGE BANK LEAD

オズ

B×A×G

Femttocell

ELSRAST

SONG ORDER

ココニカカル

 

当たり前のように「大切なお知らせ」が飛び交う世界で、いつかそんな日が来るんじゃないかって思ってた。

だけどそれが自分の中で現実味を帯びていなかったのは、きっと好きなバンドに対するただの過大評価。

 

Fo'xTailsが解散しました。

 

セッションバンドとしての始動ライブが2013/8/1。Reyの解散が8/31、正式結成が11/25。それから5年、メジャーデビューから3年半。きつねの魔法が解けて、祭が終わった。対バンしていたバンドが次々解散したり形を変えていく中で、それは対岸の火事じゃなかったんだって、知ってから改めて思った。

 

今でも鮮明に覚えている、2013年の年末。はらけんさんが再始動して、やっぱりこっちも見ておかなきゃって、椎名さんのバースデーに合わせて初めてFo'xを見に行った渋谷RUIDOK2。正直、曲なんてちっとも頭に入ってこなくて、どこか現実感がなくて、でもそこにいたのは峻洋さんで、テラちゃんで、坂本さんだった。あのベースに、ドラムに、魅せられてしまった人間だから、無視できなかった。Reyが解散してFo'xを敵視する人が多い中、そっちにはいけそうもなかった。だって、好きなものは好きだった。

 

サッカーを辞めたとき、苦しかった。後悔した。好きなものが嫌いになりそうだとしても、きっといつかを信じて離れるべきじゃないって思ってた。だからFo'xも最初全然受け入れられなかったけど、なんとなくライブハウスには足を運んでた。最初の1年は仕事に慣れないなんて口実もあっていかなくて、メジャーデビューをきっかけに戻ってきた都合のいい男。あの時はやっぱり直接おめでとうを言いたくて、そしたらやっぱり目が離せなくなってしまった。

 

ほんっとに楽しくなかった当初。コンコンタイムとか絶対参加しなかった。いつだって後ろのほうで1人でしかめっつらで、何してんだと思う。それでも、それでよかったんだと思う。

 

GLITTER DAYSのリリースイベント@MARS、いいバンドだなって思えた。初めてtakaoさんと鳴さんを含めた「バンド」として認識できた。2回目のワンマンライブ、ちょっとだけ素直になれる未来が来る予感がした。後ろからずっと見てたもんだからノリ方なんかは分かってて、2016年の4月、平日のMilkyway、最前が埋まらなくて入ったんだ。だって最前埋まらないバンドってくっそダサいじゃん。そこで、初めてわだかまりが解けた気がしたんだ。そしたらその3週間後、峻洋さんが脱退してなんでやねーんって思った。ちょっと遅すぎたなあ、俺。

 

そこからは、ドラムの寂しさは少しあったけど、なんだかんだで楽しかったし、Fo'xTailsを好きでいられたんだ。知り合いもたくさんできた。楽しい日々だったけど、少しずつライブは少なくなって、不穏な気配は感じてた。バンドとしてもアニソンタイアップとしても順調には見えなくて、鳴さんと坂本さんは個人での活動が目立ってきて---そして、発表があった。

 

Reyの時にはなかった解散ライブ。きっと大丈夫って思ってたけど、自信は無かった。翌日は仕事できるテンションじゃないんじゃないかと、2日も休みとった。

 

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2018.8.1@代官山UNIT
Fo'xTails LAST LIVE「Make One's Last Day」

RULLER GAME
蛍火
SHOW TIME!!

ウロボロス
Contrast
FEST

Innocent Graffiti
Rainy
花びら
EVER

ONE TIME
ジリジリスパーク
 

Lost Tonight
The LiBERTY
最低で最愛のヒカリ
MONSTERS

Faraway
アトリア

(En.)
flow
GLITTER DAYS

Vocal takao
Bass 坂本尭之
Guiter 鳴風
Guiter&Programming テラ
 

Support Drum 鎌田紘輔

ex:Drum 峻洋

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大丈夫だと思ってたよ。花びらやRainy、Farawayで少ししんみりしたけど大丈夫だったから。テラちゃんがウンコ踏んだ話しとか、ソロで前に出てきたと思ったらボリュームペダル上げ忘れてたとか、鳴さんのMCをシンバルで邪魔するテラちゃんとか、あれテラちゃんばっかだな。

 

ウロボロスで、Noah's企画のサウンドがすごく好きだったことを思い出した。Contrastを歌いきれたことに安心した。FESTでコンコンタイムに躊躇いのなくなった自分がなんだか嬉しかった。鳴さんとの立ち位置チェンジも久しぶりだったなあ。でもあのベースソロ、ずいぶんシンプルになったもので。

 

花びら。「慣れすぎた関係 忘れていたよ」---忘れていたのは歌詞でした。EVERの、言い聞かせるような歌詞にぐっと色んなもんを飲み込んで、久しぶりのONE TIMEに一抹の寂しさとたくさんの盛り上がりを。ジリジリスパークの左右向いたりするの、あれ絶対忘れてたろ最初w

 

Farawayが大丈夫だったから、大丈夫だと思ったけど、アトリアで前に出てきたテラちゃんの鼻が真っ赤だった。「後戻りは出来ないゼロの原点 未来に少し夢を見る」。そりゃ、ダメだって。前髪が長くてあまり見えないテラちゃんの目が、霞がかって見えなくなった。

 

アンコールや本編でのMCでのコメント。鳴さんは解散コメントが全てだって。坂本さんは綺麗にまとめやがって、でも「こんなに気持ちを入れてやれたのはFo'xが初めてだったから」っててめえこのやろう本気のアニソンバンドはry( takaoさんは、いつも通りのまっすぐすぎるコメントで。テラちゃんがあまりに予想外だった。解散コメントもそうだったけど、そんなにReyやFo'xに思い入れがあったんだって。いつもよくも悪くも薄いテラちゃんの口から、あんな強い思いが出てくるとは思わなかった。

 

全部テラちゃんにもっていかれて、最後のGLITTER DAYS。落ちサビ、歌えなんていわれてもちっとも声が出なかった。

 

果てしないこの道の途中で ただ1つだけ約束しよう

僕らは足を止めたりはしない 君の手を引くよ 1人じゃないよ

可能性なんてものはなかった だけど出会えた夢を信じたい

 

みんなひっどい顔してた。多分、俺も。

 

それでも最後は、楽しく、いいワンマンライブだったねって言えるライブだったと思う。ちゃんと解散できたと思う。だからきっと、しばらくまた辛いだろうけど、5年前ほどじゃあない。2バンド分のものをテラちゃんがくれた気がした。

 

1人でK2やeggmanの最後尾から眺めていたころには、こんな気持ちになるとは思わなかった。Fo'xに初めて行ったときなんか、二度とこないかもしれないなんて思ってたくらいで、しばらく複雑だったから全力でバリア張ってるつもりだったし。でもあの時期に峻洋さんやまいさんがちょうどいい距離感でいてくれたから、やがてほぐれていったんだと思う。ぐいぐいこられたら俺のことだから意固地になってただろうし、それでも現場に知っててちょうどいい距離感の人がいるのは楽だったと思う。いつの間にか知ってる人がずいぶん増えて、ライブ前後に飯行くようになったり……懐かしかったね。そういうの、しばらく疎遠だったから。

 

楽しかった、解散するのが残念だ、なんて。俺が思っているのがお笑いじゃないの。

 

この5年で、自分を取り巻く状況も随分変わった。大学を卒業して、埼玉に引っ越して、千代田区のサッカー協会でプレーするようになって、ベースを始めて、ピッチを諦めて、ライブに出るようになった。解散の時に自分がこんな立ち位置にいるなんて思いもしなかった。気がつけば30手前だもの、色々あるさ。

 

峻洋さんが結婚して、takaoさんは25歳、坂本さん達は33歳。確実に時間は経過してる。この先の人生で、きっとこの5年間を、この7年間を何度も思い出す。いい人生だったと、その先で笑えるように。皆の未来が輝かしい日々でありますように。

 

それでも少し寂しくなったら、それはそれでいいんだと思う。枝分かれした道がもう二度と交わることがなくても、自分にウソがつけなくても、見えない未来に思う全てが意味のないことなんて思わないから。

 

狐に化かされて、楽しかったなあ。コンコン、コン。