顔はふつう所与のものであつて、遺伝やさまざまの要因によつて決定されてをり、整形手術でさへ、顔の持つ決定論的因子を破壊しつくすことはできない。しかも顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである。つまりわれわれは社会とのつながりを、自我と社会といふ図式でとらへがちであるが、作者はこの観念の不確かさを実証するために、まづ顔と社会といふ反措定を置き、しかもその顔を失はせて、自我を底なし沼へ突き落とすことからはじめるのだ。
三島由紀夫「現代小説の三方向」
その人、前と同じ顔をしていても中身はそっくり別の人になってるかもしれないね何が人をつくるのか。自我とはなんぞやさて、さて最近はすっかり病にみまわれておりました。一つ治れば今度は別の個所が、、、といった感じで痛みは止まらず。。お尻痛い、胃痛い、熱まで出しちゃって昨日は喉がバザバサでご飯食べても味があまりわからず。。泣いやはや、なんせ怒涛の10月でしたもの。早く完治して沢山沢山やらねばならぬことやります!会いたい人たくさんいるし、やりたいことも沢山あるし、遊びにもいきたいし!うし!皆様も健康管理お気をつけて(^^)