理性と運命のⅡブロック(?) | 矛盾SPIRAL

理性と運命のⅡブロック(?)

いつぞやは「最近は旦那さんとうまくいっている」と言い、

またいつぞやは「5月に彼に逢うかもしれない」と言い、

わたしの言うことはひどく矛盾だらけ。



理由はさておき、今は旦那さんに対して優しく素直な気持ちで接することができるし、感謝の気持ちも持てている。

一時は真剣に「離婚」の2文字を考えたけれど、今はそんな気もない。

にもかかわらず、なぜ彼に逢おうなどと思っているのか…。

結婚生活を続けるためには、彼に逢うなど絶対に止めるべきこと。

旦那さんに対して不平不満いっぱいで、「こうなったのはあなたのせいよ」と思えるならまだしも、

そうじゃないなら、罪悪感にさいなまれることも間違いなし。

現に今も罪悪感はある。

罪悪感がなければ、彼と逢うことを迷ったりしない。

逆に、罪悪感だけが彼と逢うことを迷わせている。



危機前のわたしは、彼と逢うことに対して罪悪感などほとんどなく、迷いはなかった。

正直「こうなったのはあなたのせいよ」と思っていたから。

実は居年の末にも彼と逢えるかもしれないというチャンスがあった。

でも、それは別の事情でだめになった。

今となれば、あのときの計画はだめになってよかったと思っている。

だめになるべくしてなったのだと思う。

旦那さんを恨み、粗末に扱い、罪悪感も持たず、

悩むことも迷うことも咎める気持ちもなく、彼に逢うなど、許されなかったのだろうと思う。

わたしは結構めぐり合わせというか、運命みたいなものを信じるところがある。

「だめになるべくしてなった」とか、「最初からこうなるようにできていたんだ」とかいうふうに。

わたしのように考えが浅はかで理性のない人間には、特にそういうものが強く関わってくれている気がするのだ。

年末の計画がだめになったことも、そう感じている。

わたしがいけないこと?しようとしていたから、運命の方でそれを食い止めてくれたのだと…。

じゃぁ、旦那さんを大切に思い、悩みに悩んで、迷いに迷って、

罪悪感にさいなまれながらなら、逢うことが許されるのか・・・

それは、わからない。

運命に任せるなんて他力本願で責任逃れだけれど、

多分わたしは彼に逢いたい気持ちを最後まで消すことができないと思う。

迷っていても、罪悪感があっても、わたしの答えは出ている気がする。

でも、もしもそれが本当に「いけないこと」なら、

法律や時代を越えて「罪」なら、

きっと去年のようにまただめになると思う。

だめにしてくれると思う。

運命が許してくれないと思う。

5月のことが許され、彼に逢えたとしても、後でとんでもないしっぺ返しがくるような気はしているけれど、

そう思っても、彼に逢いたい気持ちを消すことができない。

理性で自分をコントロールすることができないまま、わたしは結局そのときそのとき自分の思うように動いて、

そのわたしの行いは、然るべき許しと罰を受けていくことになるのだと思う。



*編集後記

なんか宗教臭い内容になってしまったけれど、わたし無宗教です。w