元宣教師→映画監督のストーリー
ミゲルと、オトミ族の集落→大衆酒場を訪ねた夜、
彼の家で、ミゲル製作のドキュメンタリー作品を数種、見させてもらった。
オトミ・コミュニティの環境問題、
‟死者の日”の伝統行事、
コーヒー生産者の現実を扱ったもの・・など。
その後、彼が人生について話してくれた。
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興味深いことに、ミゲルは10年以上前、Missionary=宣教師だったという。
「なぜ、カソリックの教えを広めたいのか」
というインタビューに延々と答え、師団の一員となり、
カトリシズムをメキシコ各地の村や町に広めるため、グループで移動しながら、暮らしていたという。
他の宣教師と共に働き、食べ、飲み、
家族のようにシェアする暮らしが当たり前だった日々。
「すべてをシェアするって素晴らしいよ。
皆がFamilyで、愛に満ちている。
でも特別なことは何ひとつなく、
ただそれが、当たり前なんだ」
皆がFamilyで、愛に満ちている。
でも特別なことは何ひとつなく、
ただそれが、当たり前なんだ」
彼は常に、「シェア」、「与える姿勢」が強く、
その背景を聞いて、なるほどと納得した。
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さて、彼はなぜ宣教師をやめて、今の活動に入ったのか??
宣教師キャリアとして、学術論文を書き終えた頃、映像製作に興味を持ち始めたという。
師団を先に辞めた同僚/友人の影響もあり、
ミッショナリー人生に終止符を打つことにし、
映像製作の学校へ入学。
作品を作り、アーティストになることを目指している中で、
第三世界との支え合い、Solidality Economy(連帯経済)と、映像を融合させる活動を開始し、
先住民オトミ族を支持するプロジェクトに関わって、10年が経つ。
「今でも生活の安定を得ることは目標だし、
そのためにコマーシャル仕事もしなきゃならない。
でも、こうして動き回っていることでネットワークはできてきたし、いつかはアート作品を監督したいから、その土台ができているんだ」。
彼の瞳は、くもりがなく、まっすぐだ。
やりたいことへの情熱、損得勘定抜きに、動き回れるフットワークの軽さはすごいと思う。
この前夜、彼の家でアカデミー受賞式をライブで見たのも、面白いタイミングだなぁと思う。
そんなミゲルの軌跡、現活動のおかげで、
オトミ族の存在、現状、
文化の継承や交流活動を知ることができた上、
翌日は、タバスコ州でカカオのフェアトレード・プロジェクトに携わる男性を紹介してくれ、
それが、後の旅に繋がることになった。
(そしてその地で、ミゲルと、再会する展開になるとは、まだ知らず・・)
他にも、
オトミコミュニティで、インターンとして働くスペイン人女子3名、
アルゼンチン人も交えて飲み、
それぞれのスペイン語の違いに驚きつつ、ケレタロの夜は更けていった。
「オトミの集落、Instituto Intercultural Ñöñhoでの体験は、どうだった?」
どこまでも取材魂がすごいミゲル
※オトミ族関連(英文記事)
世界を広げてくれる出会いに感謝!
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最後までお読みいただき、有難うございました!