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田舎者のブルース 〜ソン・ハローチョ“ と母なる文明

「ハラッパ」

と聞いて、メキシコを想像する人は、
あまりいないのではないだろうか。

・パキスタンのHarappa(ハラッパー)は、

  インダス文明の都市遺跡。

・スペインのJarapa(ハラパ)は、

  南部で作られるラグのこと。

・日本で「原っぱ」は、野っぱら。


「パラッパラッパー」は、PlayStation4®。


しかし!

X(エキス)で始まる“Xarapa”を「ハラッパ」と読めた方はすごい!100点 
 

ベラクルス州の都、と言えたらメキシコ通!まじかるクラウン

 

 

今回は、ベラクルス州の歴史と文化について、

つらつらと記します。

 

 

母なる文明の生まれた地 

 

ベラクルス州には、メキシコ有数の古代都市カントーナの遺跡があるが↓、

 

 

ハラッパ市内にある人類学博物館 Museo de Antropologí は、

アメリカ大陸の考古学上、メキシコシティに次いで、2番目に重要な文化財の宝庫、だそう(質量ともに)。

 

 

なぜなら、遺物が数少ないオルメカ文明はじめ、貴重な出土品が貯蔵されているから。

 

オルメカ文明とは、
アメリカ大陸で最も初期、
紀元前1200~200年頃に生まれ、
メソアメリカの母体となった文明。

ベラクルスとタバスコの州境を中心に栄え
マヤなど古代文明の基礎となったが、
突然滅亡、原因は謎に包まれている。

 

他にもここには、

15-16世紀、メキシコ中央部に栄えたアステカ文明の展示も充実している。

 

 

 

 

 

  歌い踊る“ソン・ハローチョ”の魅力

 

さて。

このハラッパから東へ車で2時間ほど、

海沿いの街ベラクルスは、

メキシコ最古の殖民都市だ。

 

1518年、スペイン船団が上陸。
ヌエバ・エスパーニャを建設後、大西洋岸側の貿易港として栄え、
アメリカの銀、アジア、アカプルコからの製品を、スペインへ送り出す経由港となった。

 

 

その頃、スペインによりアフロ・カリビアン系移民が奴隷として連れてこられ、様々なルーツが融合した“混血文化”が生まれていった。

 

 

例えば、

ベラクルス発祥の伝承音楽ソン・ハローチョ

 

メキシコ民族音楽と、

キューバの伝統音楽ソンの融合

 

と言われるが、さらに、

 

西アフリカ力強いアフロ系リズム
スペインの、激しくかき鳴らすギターの音色

力強い歌声とステップ音が、

掛け合いのようにかぶさり、

 

色々な要素がミルフィーユのように重なり合う。


ベラクルス州に連れてこられた移民、

土地を追いやられた先住民たちが
農園で従事する合間に歌い出したことから、

田舎の自然や、先住民の生活習慣をテーマにした歌が多く、

田舎者の調べ」とも言われる。

 

やるせなさや哀愁漂うものもあるが、

快活で陽気なナンバーも多く、
日本でも有名な「ラ・バンバ」は、世界的大ヒットとなったソン・ハローチョの代表格。

 

 

市内の公園では、

しばしばソン・ハローチョが披露される。

 

 

 

数組で踊るカップルダンスで、
裾の広がるレースの、華やかなドレスに身を包んだ女性が、
同じく真っ白な衣装の男性と共に、
陽気な音楽にのせて、小刻みに足を動かす。

 

 

男性の靴からは、タップダンスのような音が響き、リズムをとって、「踊る打楽器」のよう。

 

女性はくるくる回りながら、扇子を翻すように、
白いスカートをふわーっと大きく花開かせ、裾にある刺繍を見せる。

 

 

こちら↓は別の日に、橋の下で遭遇したショー。

 

 

 

 

元来、ソン・ハローチョの音楽や踊りは、

観客を魅了するエンタメでも、芸術表現でもなく、
 

18世紀頃、距離の離れた農村集落同士が、
コミュニケーションや意志疎通をとる手段
だったらしい。

 

 

「初めまして」 「あら、素敵!」

 

「さぁ踊りましょ」

※と言っているかは、分かりません..

 

 

幅の広く、長~い赤リボンを地面に張り、
一人の踊り手が、快活な足ぶみを交えて、リボンに結び目を作る。

 

 

そのまま、足のみで蝶結びが出来たら、
めでたく結ばれました~!

 

 

カップル誕生を意味する。クラッカー

 

今や日本では、農家さんとの出会いや婚活アプリなどある時代ですが、
当時ここでは、出会いと交流のツール、でもあったんですね。

 

 

 歌って踊って蝶結び!健康的な合コン!?

 

 

舞台には、カリブアフリカン系移民を表現した大きな人形が乱入。

中に踊り手さんが入っている。

 

 

農村の男女と、陽気に戯れショーは続く。

 

異国に連れて来られ、重労働に従事した移民。

人懐っこいメキシカンと仲良くしてた、、

よね?

 

 

 

客席にも降りてきて、大フィーバー。

 

ハラッパには、キューバ人コミュニティもあり、

後日出会うことが出来た。

 


 

 

ちなみに1821年、メキシコ独立後も、ベラクルスはアメリカやフランスから攻撃、侵攻を受ける歴史を持つ。

 

 

その後、このショーは、ベラクルス大学生によるモダンダンスへ・・

 

※謎の2部構成(笑)

 

 

このような、伝統舞踊ショーだけで終わらないのが、ハラッパラッパー!

 

  カラフルなフュージョン!
西アフリカ+ソン・ハローチョ+JAZZ

 

ある夜、老舗レストラン“Tierra Luna”では、
ソン・ハローチョと、西アフリカ音楽、さらにはJAZZを、ダイナミックにフュージョンさせたライブイベントが開催された。
 

 

ベラクルスの移民のルーツをたどると、

キューバ、さらには西アフリカとなる。


まずは、西アフリカチームによる、

伝統太鼓ジャンベと弦楽器コラ

 

トーキングドラムの演奏の始まり、

 

 

続くメキシコチームは、

ソン・ハローチョに欠かせない小型伴奏ギター、ハラナを奏で、

 

 

踊り手は、木の箱台・タリマの上で、
サパテアード(足を踏み鳴らしリズムをとる)を披露する。


とてもキュートな紅一点だがステップは力強い。

 

 

続いて、西アフリカの踊りへ。

 

さすがDNAにアフリカンあり?
オールマイティなプロ・ダンサー。
躍動感あふれる動きで観客を魅了する。

 

 

 

そしてついに、

西アフリカ+ハローチョの、コラボ・ダンス!

 

 

 最後は、JAZZチーム、

トロンボーン、サックス、ペットが加わり、

ジャジーなアレンジが入る。

 

 

ブラボー!!!!

 

 

目にも耳にも心にも、素晴らしい夕べだった!

 

 

ベラクルスはカリブ海諸国とのつながりも強く7月に、アフロカリベーニョ(Afrocaribeño)と呼ばれる祭りも開催される。

そういえば、ハロッチョ音楽をベースに、レゲエ、スカを織り混ぜたミュージシャンもいるが・・ううう、名前を失念!

 

 

 

そしてそして!

 

JAZZといえば!

XalapaはJAZZの街でもある!

のだが、長くなりすぎたのでまた今度・・看板持ち
 

 


 

特別展「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカン」

 

タイムリーにも、東京国立博物館にて開催中!

2023年9月3日までですが

福岡→大阪でも行なわれますニコニコ

 

 

 

 

 

 


最後までお読み頂き、有難うございました!

 

古代都市でCSミーティング

数日で魅力に取りつかれ、滞在延長を決めたハラッパ。
 

導入のエドアルドの出会いも大きい。

 

 

次にお世話になったSol

 

市内の移動先は、

元フレンチシェフ、現ワイン・ソムリエとして働く、エネルギーいっぱいのSolのお宅。

 

社交的でアクティブ、パーソナル・トレーナーをつけ、日々のエクササイズも欠かさず、
スペイン語の意味通り、「太陽」のように明るい女性だった。


まずは彼女のご実家へ、ご両親にお会いした。


 

自然をこよなく愛するお母様が、

心をこめて作り上げたガーデンでは、

 

メキシコ在来種の花や木がふんだんに育ち、

野菜やハーブも栽培され、


 

家の中にも、沢山のお花が飾られている。

 

子供も大好きの彼女は、Solが15歳の頃、家の隣に私立幼稚園を建て、現役園長先生だった。

 

 

おっとり、ヒマワリのような笑顔と大きな声で、

遊び部屋、教室、ホール、オフィスなど案内してくれ、

自ら用意したシェイクスピア劇の飾り付けや、歌詞やセリフの手書きなど、

園内全体から、彼女の愛情深い人柄が伝わってきた。

 

 

ご主人も、知性、ユーモア、愛情にあふれ、子供の可能性、天真爛漫さを育む教育だったのだろう。

 

メキシコで久しぶりに紹介された、離婚していないご両親のもと、ポジティブでチャレンジ精神旺盛に育ったSolが目に浮かぶようだった。

 

 

この実家のキッチンで、翌日のカウチサーフィン・リユニオン(会合イベント)に持参するランチを作ることになった。
 

 

ちょうどハラッパにいたフレンチ2人も参加。
カウチサーファー・レニと、近くの植物園でインターンとして働く女性レオナル(右)だ。

※ 左がお母様、右から2番目がSol。

 

 

メニューは、2種のキッシュとガナッシュ。



さすが元フレンチシェフのSolと、家でよく料理をするというレニ、手順がよく分かっている。
 

 

卵、牛乳、クリーム、チーズ、オイル、やはりフレンチは乳製品たっぷり。
 

 

デザートのガナッシュとチョコクッキーまで!

 

Solの料理への愛と情熱がビシビシ伝わってくる。

 

 

 

この料理好きは母ゆずりのようで、調理器具、調味料、各国のレシピ本の量がすごい台所!

 

 

全てオーブンに入れてひと段落つくと、

皆でメキシカン・ランチ、ケッサディーヤ。

 

うまく焼きあがりました!!

 

 

 

遺跡でCSミーティング

 

翌朝、ミーティングに向けて、

Solの車に、レオナル、レニーと乗り込んだ。

 

集合場所には、ベラクルス、プエブラ、メキシコシティと、近隣都市から車5台、計25名ほどのメンバーが集まってきた。


一同で向かったのは、Cantonaカントーナという、ピラミッドの集まるArchaeological Site(遺跡)。

それがどこなのか、何なのか、

全く知らずに来てしまった💦


そもそもホストの誘いでもない限り、

CS MTG(カウチサーフィン・ミーティング)に参加することは滅多になかった。


一時間後、遺跡ゾーン入り口の博物館へ到着。

 

 

メキシカン・メンバーに説明してもらい、

 

カントーナ遺跡は、
紀元後600~1000年頃に栄えた、
メキシコ最大の古代都市のひとつ

と知る。
 

 

当時の貴重な発掘品を見てから、その奥に続く遺跡内を歩いていく。

 


ピラミッド群があり、だだっ広い敷地は一周するのに数時間かかる。

 

 

アメリカ、欧州の参加者も数名いて、居合わせた人と談笑しながら歩いていく。

 

 

競技場跡を通ると、

 

 

ピラミッド登山が始まる。

 

 

上からは、更なるピラミッドが見下ろせる。

というか、ピラミッドのオンパレード!

 

 

ここまで修復するのも、大変だったであろう・・

 

 

ところどころ休憩しながら、開けた所に出た時、

参加者の提案で、動画撮影会が始まった。

 

 

You Tubeで見た動画を、再現したいらしい。

(今思えばTikTok?当時あったのか?)
 

沈黙の中、突然音楽に合わせて2人がガンガン躍り出し、続いて周りも連鎖的に、最後は皆が一心不乱に踊る、というもの。
あぁ、そういえばそういうの流行ったような..
 

 

確認しては、やり直し。
 

 

 

 

テイク4ほど撮らされ、さすがに飽きてくるが(笑)メキシカンは依然はしゃぎまくり。

 

 

ちょっと楽しむポイントが違うけど(笑)、

お祭り好きのかわいいメキシコ人は、見ていて面白い。




遊びながらゆっくり進み、

またまたピラミッドを登ると、

素晴らしい絶景が視界に広がった。

 

 

小高いそこからは、ぐるりと360度、

大平原の向こうに連なる山々が見渡せた。

 

 

 

 

このペロテ山は紀元後600年に噴火。
溶岩で覆われた一帯に作られたのが、
ここ古代都市カントナだった。

 

ちなみに、カントナから南へ100㎞ほど行くと、ベラクルス州・プエブラ州をまたいで、
メキシコ一高い山、Pico de Orizaba (オリサバ山)がある。標高5636m。
 

こんなところがベラクルス州にあったとは、

本当に何も知らずに来てしまった。

 

 熱い中数時間歩き回って、

ようやく遺跡ゾーンを出た。

 

 

●いよいよキッチュの出番!

 

ランチ予定の湖へ移動。


・・直行すればいいのに、

腹ペコで待てないのか、道の屋台で止まって買い食いする車が多く、着いたのはもう夕方。
 

 

これぞメキシカンタイム。

 

 

 

美しい湖に陣取り、それぞれが持参した料理を広げ、ようやく食事タイムだ。

 


 

我々のキッシュ、クッキーを広げる、メイン・シェフのSol。

 

他にはもちろんトルティーヤ、サンドイッチ、コロッケ、リンゴetc

 


お腹が満たされると、ゲームで遊んで駆け回る。
ここでも大盛り上がりのメキシカン!

 

お開きになったのはもう夜近くだった。

 

 

●ワインと映画でアフターへ!

 

Solの家に帰宅し、4人で打ち上げ。


高級レストランで働くソムリエSolが、メキシコのおすすめ秘蔵ワインを出してきてくれ、


テイスティングのレクチャーをしてくれた。

 




↓こちらが、プロが薦めるメキシカン・ワインですよー。


バファ•カリフォルニアの赤“SANTO TOMAS”

 


ワインうんちく解説、の図。

映画&ポップコーンの後は、爆睡だった。

灼熱の太陽に照らされて、

ピラミッドハイク&遊びまわった、ながーい1日だった。



※そのとき出会ったメンバーとはその後も、

チーズ&チョコフォンデュパーティーを開いたり、
音楽を聴きに行ったり映画を観たり・・

と交流が続くことに。




ここで貴重なご縁にも繋がったので、

ハラッパに来てすぐの頃、

このイベントに参加できたのは幸運だった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございました!

多国籍スケールの人

ヒッチハイクで人に助けられながら着いたハラッパで、

 

最初にお世話になったのは、エドアルド。


家族が住む一軒家の、離れの2階に住んでおり、数泊させてもらった。


 

多国籍な引き出しとメンタリティを持つ彼は、
フィンランドでフィジオ・サイコロジストの勉強をした後、スペインでプロ・サッカー選手と働いた経歴を持つ。

 

その職業分野の話は奥深く、とても面白かった。

 

スポーツ選手への、身体面のみならず、メンタル面のサポートがメインの仕事で、


「いつもプレッシャーでいっぱいのプレイヤーを、インスパイアし続けなくてはいけない。
かつ、彼らの感情の浮き沈みを吸収しないよう、常にニュートラルでいる必要がある。」

 

 

なるほど、彼の本棚には、瞑想や東洋思想の本が並び、

禅、武士道からは、

精神的強さ、人間の芯、軸、土台となる

揺るがない強さ、安定が学べるんだ

 

と言っていた。

 


その優しく、穏やかで、柔らかな雰囲気は、先天性と培われたもの、両方から来るのだろう。

夕食は、メキシカンとは思えぬシンプル•ヘルシー•スープを料理し、早寝早起きの人だった。

 

 


 

Xalapaセントロへ


帰郷後の彼は大学で教鞭をとっており、休みの日に、ダウンタウンへ案内してくれた。


森のような気持ちの良い公園を抜け、

 


 

 

Los Lagos(湖)沿いを歩くと、

Casa del Lago UV」に到着。


市内にあるヴェラクルス大学のカルチャーセンターで、文化、芸術、科学、文学・・日々、様々なイベントが催されている。


 

 

歩き続けると、競技場へ出た。
翌年オリンピック予選会場になるため、中南米からアスリートが集まってくるという。

その時には絶対、オリンピックを目指す選手のために働きたいんだ!
でもメキシコは“コネ社会”だからどうかな..
だから、ヨーロッパに戻って働きたいんだ


エドは意気込みながらも、少し瞳を曇らせた。

 

 


 

さて、セントロに到着。

ハラッパは、坂道のとても多い街。
大聖堂の両脇からも、細い上り坂が続く。

 


 

脚力は鍛えられるが、長く住むと、

サイクリングが恋しなることも。。

 


 

大聖堂、公園、政府の建物、

お決まりの3点セットが隣り合うセントロ。

聖堂前の演説シーンも恒例。

 

 

パトロール中。これに乗った警備をよく見る。

 

 

こんな暑い日は、道で売っている「ヒカマのチリ&レモンがけ」が元気をくれる。


ヒカマは、水分の多い大根風の野菜で、さっぱりしていて暑い時のスナックに最適。

 

 

カキ氷売りも多く、日本の夏を思い出すが、
メキシコでは、シロップが容器の多くを占め、ジュースの氷のせ、という感じ。
激甘そうだが、大人気。
 

 

これは、昔使われていた公共・洗濯場。

(グアテマラではどこもまだ現役だった。)

 

 


 

アフリカン・ダンスクラスへ!

 

文化イベントの開かれる場所も色々教えてくれた後、エドはアフリカン・ダンス教室へ招いてくれた。
 

家ではフィンランド・レゲエをよく聴かせてくれたが、実は彼、ジャンベも叩く。


ここ地元には、アフリカン・ダンスを教える友人夫婦がいて、
オアハカへダンスショーに一緒に出たり、

クラスに奏者として参加するという。

 


会場のカフェに着くと、夫婦間の絆を感じさせる若い先生夫妻と、元気いっぱいのお子が遊び回っていた。
 

 

生徒は、若い男女、小太り中年、主婦、舞台女優・・と幅広く、アッという間に満員に。

 

かっこよく踊ることが目的、というより、
基本のステップから、高度な動きも学ぶエクササイズ、という感じで、

それが一般市民にも人気の秘訣なのだろう。


とはいえ、西アフリカ仕込みの先生はもちろん、生徒も皆、上手すぎる!
腰の動きやリズム感から、西アフリカ由来のDNAを感じさせる人も。
この地の歴史に通じるのだが、それはまた後日。

 

 

※ルーツ、本場の踊り、ジャンベといえば…

 マリやブルキナファソ!懐かしい!

 


 

こんな風にエドアルドは、

アフリカのリズム、欧州経験、東洋思想、メキシカンの気温かさ・・
すべがダイナミックに融合された、

無国籍で多国籍、

どこかノーブルなボヘミアン、

といった空気感。
 

彼との出会いで、幕を開けたハラッパ滞在、

 

好きにならずにいられない!
 

 

・・・・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございます!

この後も、素敵なお時間をお過ごし下さい照れ

 

心の故郷 Xalapaとの出会い

 

 

↑プエブラを出て向かったのは、

Xalapa(ハラッパ)ベラクルス州の州都

 

観光客にはあまり知られていない都市だが、

オアハカでお世話になった、ミュージアムで働くミゲルが、
「文化イベントがたくさんあって面白い、きっと君は好きだよ」

と、推薦してくれていた。

「ぴん!」と来るものがあったとはいえ、
まさか9ヶ月も暮らすことになるとは思いもしなかったが・・。

自分にとって転機、節目、

生涯残るであろう縁も沢山くれ、

今では、故郷のように感じるハラッパの

章の始まりですニコニコ

 

 

 

STEP.1プエブラ~ハラッパへの道

 

※ステップ⁉︎この見出しを使ってみたかっただけですゲラゲラ


プエブラのガボとお別れした後、
メキシコで初!ひとり長距離ヒッチハイク

に挑戦してみた。

スペイン語はまだ全くできないし、

色々な事情も分からないし、
も少し馴染んでから・・

と怖れてそれまでトライしていなかったが、

「地図さえあれば何とかなる!?」精神でGO!


距離は200km弱、初挑戦には手ごろ。


バスで大道路へ出て、車が停まりやすそうな所まで少し歩き、親指を立てる。


道路整備の青年らにジロジロ見られつつ・・。


 

 

①まずは20分後、トラック(3人組)が停車。

オリサバとハラッパの分岐点まで進む。
こういうの、短距離ながら助かる~!感謝。




②自家用車のおじさんが、有料道路・料金所まで乗せてくれた。
40㎞ほどだが、ここから一気に長距離移動するには、これも大助かり!



※長距離ドライバーの多い道、追突跡多数・・

 

 


③しかしここからが苦戦!全く停まらない。

ん?停車中の長距離風大型トラックを発見!

覗いてみると、中ではドライバーさん仮眠中。

なので、一度は道に戻ったが、

エンジン音に再度駆け寄り、

お願いしてみる(ボディ・ラングエッジ)。


やった!どうやらハラッパ手前で降ろしてくれる、らしい!


 

とても親切なドライバーさんで、休憩所でコーヒーをご馳走してくれたり、

道中、寝不足でうとうとしてしまった際には、
「後ろのベッドで寝ていいよ」と。。

さすがにそりゃ失礼だ、と始めこそ断ったが、

再びうとうと・・zzz

「いいから寝てなって。
近づいたら起こすから。」

 

今度はお言葉に甘えて、後部席へ移動。

 

 


 

さすが熟練ベテラン長距離ドライバー!

これが超快適な寝心地で

恐縮してた割に、即眠りに落ち、快眠(笑)。

ハラッパ手前で起こしてくれ、お別れをした。

結果、ミニバン、自家用車、大型トラック、

どの人たちも、とても親切だった。


・・・・・・・・

というか・・!

まだハイウェイど真ん中なんですけど・・!


「歩いて20分くらいで市内に入るよ」
と聞いた気がするが、市に近いとは思えない。


ヒッチしつつ歩き続けて30分後、確かに小さな町に入った。
ハラッパ郊外なのか?


地元の人複数に、
「ハラッパ・セントロに行くには?」と聞くと
「バスに乗れ」というジェスチャー。


幸い一人は、とても英語が上手な男性で、
Bonderilla」という隣町にいることが判明。

ノートに、地図と運転手に聞くセリフを書いてくれていると、彼の奥様も現れ、バス停まで案内してくれることに。


道中、彼らの素敵な家へ招いて下さったり、


売店に寄ったと思いきや、

「君にだよ」と、ジュース&ビスケットが入った袋を渡してくれたり・・。


大感動😢


「ここからバスに乗るんだよ」

と、停留所まで来たが、

しまいには、タクシーを停め、運転手と話し、


「君の目的地まで、お金払っておいたから。
それが一番簡単だよ♪

 

困った時には連絡してね」


と、彼の連絡先をくれ、車に乗せてくれた!
 

 

なんて優しく、気持ちの良い人たちなんだ!

涙が出るほど親切にしてくれた。



後日、お礼をしようと連絡し、セントロで再会したのに、また逆にご馳走されてしまった。

 

聞くと、彼はアメリカで働いた経験があるとか。

 

 

 

異国で暮らした経験や、味わった苦労は、

“助ける”行為となって、

周りに循環していくことがある。

 

そんな優しい連鎖、伝播、Flowであふれるこの地球。

 

特にメキシコ人は、本当に泣かせてくれます。


・・・・

というわけで、メキシコ・初ひとりヒッチだったが、


コトバができなくても、地図を見せ、
「ここに行く」と示せば目的は伝わるし、

「この辺まで乗せてってあげる」と読み取れれば、先は見えてくる。

 

 

いや、

「何とかなる」という度胸なんかより、

メキシコ人の親切さに助けられた一日だった。



思えばXalapaでは、そんなことの連続だった。
 

人のみならず魅力あふれる界隈、これから

しばし回数を重ね、お伝えしていきます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございました。

ニコニコ

迷子の副産物~優しさに感謝

※こちら↓の続きです

 

 

プエブラの夜の中央公園には、ナイトサイクリングに参加するチャリダーが集まってきた。

 

市庁舎前で、オーガナイザー開催のご挨拶。

 

続々と増え、かなりの人数に膨らんだ。

 

21時半、出発。

(メキシコ人の生活はけっこう夜型・・)


美しくライトアップされた街を、順調に進み出す。

 

 

 

・・が、少し走ると、郊外の広い公園で停車、


 

レクリエーション・タイムが始まった。

 


グループに分かれ「大根抜き」的遊びをしたり、

 


肩に手を乗せて連なった何かをしたり、

 

3種ほど用意されている。

 

日本の大人はひいてしまいそうな内容も、

メキシカンは、童心に戻って本気で遊ぶ

 


 

サイクリングより、こちらがメインのようで、
特に会社勤めの人には、いい運動&ストレス解消に見えた。



さすがに飽きと疲れがきた頃、

円になって「〆めのお話」と安心するも、

これがまた長く、1時間近く話している。

 

まだスペイン語が分からないし、
特に盛り上がっている様子もなく、
寒い、疲れた、眠い、お腹すいた・・
「もう先に帰ります」と言いかけたところ、

 

ちょうどお開き。もう0時だった!

(夜型過ぎるだろ〜 !)


迷子になりながら、ガボ宅に戻った時は1時半

 

ナイト・サイクリングならぬ、ナイト「ゲーム」だった話をすると、

 

 

“I don't like these things. 

That's why I don't go any more..”


「あれ、僕好きじゃないんだよね。

だからもう二度と行かないんだよ」

 

先に教えてよ(笑)!


好き嫌いは別れますが、

プエブラの自転車ムーブメント、熱いです!


毎週火曜、セントロ21時半

夜型でタフなお方は是非。。

 

 

 

迷子といえば・・

 

方向ド音痴の私、プエブラではガブ宅への帰途、夜道で2回も、長時間の迷子になった。

しかも狭い範囲でグルグルと・・。
(当時スマホも地図アプリも無く・・笑い泣き

 

 

一度は夕方、軽く走りに行った帰り道。
 

同じ道を来たはずが、家が見つからない。


ガブの電話番号も住所も持っておらず、

 

持っていた小銭でネット屋へ走り、Facebookでガブを探し出しリクエストを送るが、

返信がないまま、閉店の時間。叫び


幸い店員は英語が通じ、道を聞くが、私には

近所に床屋があった」という記憶しかなく

(床屋だらけだっつーの!)四苦八苦。

 

キョロキョロ歩いていると、とても親切な青年が、言葉も通じないのに一緒に歩いてくれた。
会話はできずとも、夜道にとても心強かった。


やーっと見覚えのある道に戻れ、家に入ると、
心配したガボ、夕食を残し待っていてくれた。

普段料理をしない彼による、ものすごく油っぽい特大フィレカツ2枚。
あまりの疲労に平らげてしまった。

 


二度目は、冒頭のナイト・サイクリングの後。
 

深夜なので、参加者が家まで送ってくれたが、
やはり途中から道があやふやに・・。
ガボに電話をしてもらい、迎えに来てもらったお願い

この夜もガボは、脂っこいベーコンの、

肉々しいディナーを作って、残しておいてくれた。



 

 

さらに、“実験第一回目”というオーツ・シリアル・クッキーがしあがっていて、
見た目はすごいが、なかなか美味しい!!

(アフリカ大陸!?)


深夜だというのに、ホットチョコと合わせて、

感激も相まって、疲れた体に染み渡った。


プエブラの思い出と言えば、迷子・・


おかげで、善良な市民ガブの優しさを、

しかと味わえたのだった。

 

 



世界中で、そして引き続き日本でも、

絶賛・迷子率高し・・。


どうせ地図アプリすら読めないので、

すぐ人に道を聞きがちな私だが、


おかげで始まる出会い、縁、発見、感謝..

副産物があったりする。


でもやっぱり!

方向音痴の直し方が知・り・た・い・・!

 (急務)

 

・・・・・・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

メキシカンの口説き方 と自転車愛

プエブラシティに着きました。

 

ガボ宅の翌朝、彼は仕事へ、

私は随分とためていたらしき皿洗い等をしてから、自転車を借りて、ダウンタウンへ。

 

 

ガボの友人が街案内をしてくれるという。

 

アメリカで暮らしていた英語の上手なレニー
自転車屋の息子エリウスと彼のGF、

その姉妹らと落ち合い、プルケリヤへ!


レニー(写真右)が、そばで一人飲み中の可愛い女子を誘い(その隣)、一緒に飲んでワイワイ。

久しぶりのプルケはやっぱり美味しい!

 

 

ケッサディーヤも絶品でした!

 

その後皆で、エリウス父の自転車屋へ。

 

 

 

  老舗自転車屋・父と息子

 

 

街でもとりわけ古い自転車屋さんで、

営むお父様は、穏やかな職人だった。

 

 

 

その息子エリウスは、自転車をこよなく愛する青年に育ち、革のバッグをたくさんつけた愛用車でどこへでも行く。

 

 

 

モレーリアでも参加した、チャリダー権利獲得のためのナイト・サイクリング・イベントは、

このプエブラでも人気で、彼はそのオーガナイザーでもある。
(そしてこの晩は、まさに週一開催ナイトサイクリングの日!)
 

 

自転車を修理する父の背を眺めるエリウスからは、

父への誇り、自転車とこの店への愛 がひしひしと伝わってくる。


 


今後はグアテマラへ自転車で旅し、
自転車作りワークショップ」に参加し、
技を習得してくるのだというから、
こんな息子を持って、きっとお父様は幸せなことだろう。

 

 

 

 

さて、夕方の街を皆でサイクリングすることに。

 


皆、なかなかオシャレでいいのに乗っている。

 

 

ナンパされたカワイコちゃんも一緒です。


 

いざ出発!


しかしみんな、飛ばすなー・・。

メキシコの街なかのサイクリングは、どこも冷や冷や。ドライバーの運転が荒いのだ。

 


 

プエブラシティを彩る青模様のタイルは、植民地時代から残るプエブラ独特のデザイン↓

 

 

 

  メキシカン流 口説き方

 

サイクリング・ギャザリングの時間まで、

レニーと、彼がナンパした女子と、Barで待つことになった。

 

 

彼は、紙ナプキンで花を作ってあげたり、あ~ら、相当ゾッコン(死語)。
女の子もかなり!うれしそう。

 


 

 

私、じゃましてないか?

..なんて心配は不要で、彼女を誘い踊り出した。



ちょうどよく店内に入ってきたミュージシャンに、レニーがセレナーデをリクエスト、
古くは、男性が女性を口説くための歌だ。

 



曲に合わせて、彼女の腰に手を回し、

 

2人のオン・ザ・ステージ・タイム。

 

 

 

サイクリングの時には、すっかりカップルになっておりました👏

 

 

 


この夜は、アフリカンパーカッションとJazzのライブにガボと行こうと話していたが、
ガボは疲れたらしい、私はそのままナイトサイクリングに参加することにした。


つづく・・

民泊旅で培われるもの ~プエブラ編

シポリテでお世話になったロンの家を出ると、

Puebla(プエブラ)という都市へ向かった。

※プチプラじゃないよパー


魚BBQに一緒行った、ロンの親友のいとこ・ガブリエルは、プエブラから休暇で来ており、また戻るという。


北へ約600km、彼の車に乗せてもらえ、

家にも数泊させてくれることに。


オアハカシティまでの道中、山道にある
“San José del Pacífico”は、マッシュルームで有名な村。
行きでも、バンが停まり気になっていた。


休憩に入ったカフェにはキノコ図鑑が貼られ、


ヒッピーに人気で、見かけた旅人は皆ドレッドだった(分かりやすい)!



再出発。
道中くねくね過ぎて、道に突っ込む車も・・叫び

 

美しい山あいの景色楽しみつつ、懐かしのオアハカシティに到着。

ランチにモレ・ソースの食べ納め。


座りっぱなしの体に、のっしりこってり、のしかかってくる。


ガボは、山道運転、さぞや疲れたろう・・お願い

ガソリン代カンパを頼まれ、バス代と変わらなかったけど、ありがたいことだ!


雲間から注がれる、この日最後の太陽光線、夕日の美しさは格別で、

 


 

早朝から長時間ドライブの末、

夜にプエブラ州の都、プエブラ市に到着。クラッカー

久しぶりのモダン都市で、着くなり夜は、アイルランドへ旅立つガボの友人の壮行会へ。

もうゆるーいビーチではないのね、なBarにて。


 

ガボの家と、父との関係

 

彼は、素朴なアパートの一室に暮らしていた。
個室、客室、居間、台所、広さは申し分ないのに

・・・汚い!!!(笑)

「慌てて出発したんだろう」と思っていたが、
見れば見る程、普段から掃除や整頓をしていないのが、よ~く伝わってくる(笑)。

文句を言う立場でないが、客室ホント汚いな~
(意外に綺麗好きバックパッカーなんです・・)。



そう、

民泊旅を続けて養われる観察眼とは、

・住まいに表れる人の暮らしぶり
    と
・家族間の距離感

 

中南米では、同居していない親御さん宅へ案内して頂くことがよくあるが、
家の雰囲気、流れる親子の空気に、思わぬ面が覗け、それが妙に納得だったりする。
 

 

ガボの場合、お父様との不調和だった。

旅疲れもあるのに、着くや父へ挨拶に行く彼。
お手伝いさんの清掃が行き届いた豪邸だった!
 

 

心理学の教授で、Jazzミュージシャンでもあり、CDも何枚か出しているお父上。


 

コレクションの石。調度品。

インテリ&芸術家。

 

萎縮したがカボからは、

「厳格な父の元で育ちました」

という空気がビシビシ伝わってくる。
掃除が苦手なのも、色んな面から頷ける・・・

 

 

翌日は、街案内をしてくれるというガボが、
真っ先に向かったのは、Apple Store

父に借りたiPhoneの充電器を無くしたらしい。

類似品でもOKでは?と聞くと、

「それじゃぁ父はキレるから・・。
僕も持ってるけど、汚いと怒られる!」

 

と怯え、正規品に1000ペソ払っていた。
「もうお金ないよ」と凹みつつ・・。

しかも新品を買ったことがバレないよう開封し、「待たせてる!」と、父宅にダッシュ!

要は、無くしたことを怒られるのが恐怖なのだ。(立派な大人ですが・・)


その間、私は近くのカフェで待機。

 

現われたガボは、完全に憔悴していた。

 

「父さん、寝てたよ・・」絶望
大変な親を持った苦悩を聞きつつお茶をした。

 

 

 

プエブラ・シティ散策

気分を入れ替え、ダウンタウンへ!



 

コロニアルな町並みが歴史の重みを感じさせるここ、建物のデザインや色使いがエレガント。

 


 

歩くだけで、目を潤す通りがたくさんある。

 


●ちょうど日曜の蚤の市が開催中。


 

ずらーっと並ぶ骨董品、レコード、古本に混ざって、日本の玩具も発見。

 

 


趣味の良いアンティークショップめぐりは、
ビーチ生活から一転、とても楽しく新鮮だ。

 


 

 

↓まだ仏頂面のガブ

(むしろこれがデフォルト。根は優しい。)

 

 

●名物のPASITAに挑戦。

 

左のレーズンのお酒。

小グラスにチーズを入れ、上から注ぐ。

ユニークな飲み物で、こってり、しっとり、甘い。

 

この老舗店を目当てに来る国内観光客も多いようで、皆写真を撮っていた。
 

 

 

●町の中心部ソッカロ。


あれ?オアハカじゃないよね??
 

ソッカロはどこも同じに見える。

中央公園、演説広場、大聖堂、政府市庁舎、
その反対側にはカフェなどが並ぶ。

スペインがどこも、同じように建設してきたのだ。



その町並みに、靴磨きや新聞を読むおじさん、
エロテやエスキテーテス(とうもろこし)、
チリのかかったアイスの売り子・・・

 

とメキシコの大衆風景が加わる。

 

 

週末の広場では、その土地ならではのショーやイベントが見られることも多い。




この日は、お互い予想外の出費に外食はやめ、
野菜市場であれこれ買って帰宅。

帰宅後大盛サラダを作って、もりもり食べた。


ガボ・セレクションのファンク&Jazz(父のではない!笑)を聴きながら。

そこへ友人2人が現われ、チャーリーパーカーの生い立ちDVDを鑑賞し、夜は更けていった。

 

プエブラ記、つ・づ・く

 

 

・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございました!


 

感謝の畑を作る

BBQをしたり、あちこち出かけて

いよいよロン宅最後の日。

 

瞑想、ヨガ、ビーチランニング(Puerto Escondidoから習慣化しているのだ!)

 

ロンと掃除すると、ケッサディーヤを作ってくれた
(ノパレス、オニオン、チリ&塩)。

 

 

たくさんお世話になったから、何かしてあげたい!

ということで、前からやりたいと話していた、
庭の畑づくりに着手することに。

 

 

まずは、庭の枯れ葉などを掃除し、
土を耕し、壇にして、ロンがあれこれ持っていた種を植えた。


カボチャ他6種ほど。


屋根をつけ、瓦もたてかけ、雨水を効率よく集められるよう水路にし、
日よけに透明シートを設置。

 

日差しが強い地、雨水を効率よく利用したい。
ありものと、アイディアを駆使して出来上がり!


すくすく育ちますように!


 

 

ピザを焼いた想い出の土窯 ↓

 

 

夕方、シポリテのエド&リンジーや、

プエルト・アンヘルのマコにも挨拶。

 

「あれ?移住したんだと思ってたけど」

皆に言われるほど、馴染んでしまった。

 

 

夜は、ロンが勤務するUMAR海洋大学で、
教員&生徒のWater Pole Game を見に行く。


ロンの出番は終了し、審判になっていたが、リンジーのプレイを鑑賞。


 

何だこのスポーツ、めちゃハード!
水上バスケ?ポートボール?
 

お疲れ様です。
 

 

夕食を作ってシーサーも交えてとり、最後の晩餐となった。
 

色んなアクティビティを提供してくれ、

料理も上手な、ナイスガイ、ロン、
出会った皆、本当にありがとう!!
 

 

月並みながら毎回思う。

 

その土地ごとの食文化、自然に加え、

出会う人との関わり、繋がりこそが面白い!

 

 

・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございました!

 

全てはSharable!共有可能!

 

ただいま!ロン!!

Puerto Escondido、謎の小旅行を経て、
5日ぶりに、シポリテ村ロン宅へ戻った。

愛犬チッキーも興奮&快く迎えてくれ(多分)
ロンとは、もはや家族に再会した気分。

 

親友シーサーが、チアパスから帰省しており、
3人で夕食後、海の前のカバーニャでお茶。

 

 

 

あぁ~この人達とここの海は、何てホッとするんだ~!
強烈体験後の心と体に、沁みてくる。

 

 

この流れで翌日、
 

 

「川泳ぎと魚BBQに行くかぁ」

 

シーサーのいとこ・ガブリエルも交えて、
シーサー車で4人で出かけることになった。

 

キャンプをしたワトゥルコで買い出しし、
水がとても澄んででいる川に到着!

 

浅瀬から入り、泳いで行くと、
四方が岩で囲まれた面白い景観に着いた。
 

岩はぐんと高くなり、飛込みスポットがあるが、よじ登り用ロープは切れている・・。
 

すると、

ロンが顔を水に浸けて、踏み台になってくれ、
その背中を足場に、順番に岩にしがみつき、
急な傾斜を這い上がっていくことに・・・

 

ところがお腹の出たシーサーは、重い身体を持ち上げきれず、

ロンを倒し沈めた上、自分も川へボチャン!

共倒れ!これには一同大爆笑・・。

 

スマホや防水袋がなく、写真が無いのが残念!
 

 

四苦八苦してると、崖の上から現れた青年が助けてくれ、無事皆、岩に登頂できた。


太陽に焼かれた、鉄板岩を裸足で歩いた後、
数メートルの高さから、川へとジャポーン!
NZ以来Jump to water!

あぁ楽しい!
 

 

全員飛び込み、泳ぎ進めると、
両岸岩に挟まれた川は、どんどん細くなって、
この先は!?とワクワクを駆り立てる。

 

と、今度は滝に到着!
潜ったり、泳いだり、水中動画撮影するロン達と、存分に遊びながら、引き返してきた。

 

 

なんたって、水が透明、波が無い。
波の高いビーチでいつも遊んでいたから、
久々に水に「浮く」ことを楽しめた。
 

やっぱり私は、水がきれいでおだやかな所で、
泳ぎ、ぷかぷか浮かんでいるのが好きだなぁ。

 

 

車へ戻ると、目の前に誰かが作った即席BBQ場まである!なんていい所だ!

 


 

ロンがテキパキ、木、枝、葉を集めて着火

&料理を開始。


買った大きな白身魚から内臓を取り出し、

 

塩コショウをふってグリルをしてると、

 


 

シーサーはトルティーヤを買ってきてくれた。


ガボはラムコーク作り担当。最高にうまい!

 

 

ジャジャン!焼き上がり!!

 

 

身がしまっていて新鮮な焼き立ての魚は、
ライムを絞れば、もう文句なしのおいしさ❢
 

ロンはアウトドア派で、時間ができる度に、
友人誘ってサーフ、キャンプ等に出るので、
色々なシークレット・ポイントを知っている。

英語案内も料理もでき、プライベートツアーガイドとしてパーフェクトだ。

 

 

夜は映画~共有するほど輝き出す


帰宅後は、「LIFE OF PIE」を鑑賞した。

インドが恋しくなりつつも、


人の数奇な運命を想った。

 

 

大変な試練も体験も、すべてはSharable。

語り継ぐ時、本人の光は、より一層輝き、


シェアされた相手のSpilitも照らされる。

 

パイの人生ストーリーもそうだが、
多くを惜しみなくシェアしてくれたロン!
本当にありがとう!

 

 


 

 

そんな彼へ感謝をこめて、ちょっとした奉仕をした。続く..

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


最後までお付き合い、有難うございました。
シェアさえてもらえるこの場所に感謝!
読んでくださったあなたに感謝!

花火お願いハートのバルーン愛

ビーチ・ランでエネルギーフロー!Pureであれ!

ヒッピー•ビックリ•アシュラム後のお話です↓

 

 

 

出ていく朝、挨拶しようにも、パーティー帰りの皆は爆睡中・・。

 

そっと離れて向かったのは、ビーチ沿いのヒーリングセンター。

The Sanctuary

(↑もう閉業してましたが..💦)

 

※画像は、道中の壁画

 

 

毎日ヨガクラスがあるようで、滞在費はなかなかするが、お手伝いと引き換えに、一泊ならExchangeで受け入れてくれる、との事だった。

 


創始者イギリス人ピートとやっと会えたが、
それはそれは忙しそう、ストレスも抱えてる?

食事療法も行う場所で、彼のパートナーのドイツ人女性は、ローフードのスペシャリスト。

ちょうどジュースを作っている最中だった。

 

キッチンには、その日の献立が張られている。



朝食のジュースは、オレンジ、ターメリック、ジンジャーの組み合せ。

 

他の滞在者と挨拶し、共に美味しく頂いた。

宿泊客のオーストラリア人、アメリカ人女性、
Workaway(Exchangeサイト)から、
スペイン&オーストリアカップルが奉仕中。

エコハウス系を想像していたが、普通の小ぎれいな一軒家で、2週間前にオープンしたばかり。

 

※キッチン

 



さっそく、1、2階の床、バスルーム清掃、
じきに店にする車庫のペンキ塗りを頼まれる。
カップルは看板作り、庭作業と、忙しそう。

途中、私以外の長期滞在組は屋上へ行き、
「成長させるべき点を話し合おう」MTG、


 

その後またもジュースタイム、今度はスイカ。

ちょうど週1恒例ジュースファスティング・デーだったようで、2晩働き、デトックスが必要だった私には、宇宙の采配だった。

 

メンタル面、規律ある食生活、
パーティーアニマル集団アシュラムとは、何もかもが大違い・・。


・・と思いきや、それぞれ色々あるらしい。
 

 

この後の自由時間、オージー&アメリカンと海へ泳ぎに行くが、

「あ~ここ数週間、ヴィーガン流動食ばっか!
私にはワイン&チーズが必要なのよ!
後で街に行くわ!」

と、辟易したご様子。。

 

しかも、代表者2人もジュース断食に疲れたらしく、夜にはあっさり解禁
各々、外に食べに出てしまった。笑

 

Puerto Escondido=隠された港では、

タイミングも、想定も、見事神隠しされる気分(笑)。

 

私はキッチンを使わせてもらい、スープを作り、屋上でのんびり。

 


 

風に吹かれて、波の音も心地よく、そのままハンモックで眠らせてもらった。
(しかし蚊がすごく、夜中居間へと退散💦)

 


 

翌朝5:50ベルが鳴り、6時~屋上で瞑想。

その後やっとヨガクラスがある飛び出すハートと思いきや、

「今日は初の試みで

皆でビーチに、ランニングに行くんだ」

 

えぇ・・!?この町、

ヨガしに来たのに全くできない(笑)!


それに久しぶりのランニング、

しかも砂浜、、大丈夫か?


ところが始めこそ体は重いが、徐々に快感に。

例のPiedra de la Iguanaバーを越え、
酒を売りさばいた記憶がよぎりつつ爽やかにスルー、ビーチ終わりの岩場まで行き折り返す。

結局、7km近く走行。

走り切った後のエネルギーが一気に駆け抜ける爽快感に、ヨガとはまた違う“フロー”のエネルギーをもらって、ランニング再会を決意。


 

ビーチでストレッチして帰宅後、ミントティー、オーツ&ローカカオ(カカオ豆を削ってまぶす)を頂き、掃除タイム。

 

そこへアシュラムからダニエラが訪ねてきた。シポリテまで、ヒッチで一緒に行く約束をしていた。



ピートへお別れに行くと、
 

「ヨガしに来たのにできなくて悪いね、
後でクラスしようかと思ってたんだけど」

 

 

ことごとくタイミングが合わないなー・・

しかしもうここに、ヨガの流れは無い!

と感じていたので、潔く出ることに。


お世話になりました!


プエルト・エスコンディード。
アシュラム、ヒーリング施設を訪れたのに、


Barで働き、ビーチを走り、
結局ヨガもヒーリングらしきものもなく、

ささやかな計画は、見事玉砕しました。

 

 

まぁそもそも「ととのえる」とか「癒し」は、

周りや環境に求めるものでは無いんだよね。

 

どこにいても、何が起きてもそれが完全で、

その中での在り方が全て。

失望も、喜びも、平安も、環境に依存しない。

が!

ついつい外に「経験」「体験」を追い求め、

責任転嫁をしてしまいがち。。




だからって「マインドが全て」と、

ストイックに心の“修行”に走ると、

それはそれで洗脳になっていく。。

「いつも観察・内観」とは、もっともらしいフレーズだが、どこかで収縮•緊張を生んでいることもある。


とにかく!

いつも予測不可能なのが旅!人生!

何が起きても、誰の何のせいでも無い!

 

と、思い知らされるのだった。

 



ところで、この後ヒッチを共にしたダニエラも、なかなか奇想天外な旅をしていた!

 

 

✲おまけ:ダニエラのストーリー✲

 

各地でヒッチをしてきたダニー(裸足)との道中は、とても楽しかった。

南米を回り、お金が尽き、
→1セントも持たずにアメリカ・オレゴン到着
→草ピッキングにありつくも、オーナーが逃走
→が!バンをゲット!

→それでメキシコの旅開始

→ところがそのバンを盗まれて…

という旅話にも引き込まれるが、


何より彼女の、本物のピュアさ、

本能のままオーガニックさ

アーティスティックな性格がとても魅力的で、

マケドニアのレインボウ・ファミリー、
アナ&アヒとのヒッチ旅を思い出させてくれた。

 

 

 

 

ダニーとは、3車ヒッチし、

シポリテでお別れをした。

 

プエルト・エスコンディードでの貴重な、

Pure Beingとの出会いに乾杯


 

・・・・・・・・・

 

最後までお読み頂き、有難うございました。

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