鴻之舞 | デジカメ持って

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忘備録です

連休最終日、7月18日。

この日も天気はくもり

もう一度行ってみたいと思っていた、鴻之舞へ行きました。
初めて訪れたのは2年前のちょうど今時期です。(2年前の記事はこちら
その時は、廃墟や資料館があることに気付かず、目についた箇所だけを写真に収めただけで、その後ネットサーフィンをして資料館があることを知りました。

丸瀬布から金八トンネルを抜けると、金鉱で栄えた鴻之舞に入ります
ちなみに、金八トンネル金八の名前の由来は、芸者金八姉さんからとったものだそうです。



43年前まで賑わっていた場所とは思えないほど、今ではゴーストタウンなっていて、舗装された道路以外、両サイドから見える景色は、雑木林ばかり。
人が住んでいたと言われても、ピンときません。
ここから、目的地になる旧上藻別駅逓跡地(郷土資料館)へ向かうのですが、途中でいくつか跡地を見て回りました。

鉱山発見の最初の場所となったのは枝幸で、更に紋別空港から近い八十士でも砂金が発見され、町は大騒ぎになったそうです。
まだ近くにも砂金があるのではないかと、紋別周辺を山師たちが砂金堀を始めたところ、この鴻之舞で発見され、ゴールドラッシュで賑わったとのことでした。

この土地を住友が買い取り、大正7年12月に操業開始
人口は徐々に増え、多い時で1万3千人を超えた時期もあったそうです。
更に鴻之舞には9か所の地区がつくられ、各地区には入浴施設があり、全て無料で入浴ができたので、時々住民以外の人が、入浴に来たなんてこともあったそうです。

また、映画館も建てられ、観賞料は無料。
また、商店街もできるのですが、土地代はすべて無料。
水道光熱費は、半分を住友が負担していたそうです。

ここから最後の場所に、住吉町の跡地があります。
住吉町は、緊急が起きたときにいつでも集まることができるように、教員たちや住友の役職の人たちが住んでいた場所だそうです



建物をいくつか見つけました
藪に囲まれているため、注意深くあたりを見ていかなければ見落としてしまいます

写真は社員住宅で、旭町周辺で見つけました。
囲まれていると言うより、匿っている。
「見世物ではないぞ」と訴えているようでした。



喜楽町地区を過ぎたあたりで、小さな建物を発見しました。
書類などを保管する書庫だそうです。



行く先々で建物や跡地を見つけるのですが、ほとんどが藪に隠れていて、雑草だらけ。
「関係者以外立ち入り禁止」の札がかかっていて、入るには周囲が気になって入ることが出来なかったのですが、主人は堂々と入っていきます

あとでわかったことなのですが、この土地は住友のものなので、資料館を管理している人でも、勝手に雑草を駆ることはできないのだそうです。
ただ、立ち入り禁止の場所は、車で入ることは出来ませんが、チェーンで囲われた場所以外であれば入ることができ、写真を取るのは構わないそうです



中学校跡地



この橋を渡った場所に校舎があったそうです。
ここから先入ることが出来ないと思い、橋の手前で写真を撮っただけなのですが、チェーンで囲まれてなかったので、どうやら行っても良かったみたいです・・・

資料館で中学校の写真を見せてもらったところ、写真には校舎手前にプールがあり、プールには観客席が設けられていました。
ここでは毎年水泳大会が行われており、この中学校を卒業された管理人さんの自慢の学校と仰っていました



学校のすぐそばに、そのままの形で残されていた民家を発見しました
初めは教員住宅だと思ったのですが、教員は住吉町に住んでいたと後で知り、ここは民家だと判明

ちなみに小学校はここからまだずっと手前。
多い時で生徒数が昭和17年の1593人。31クラスもあったそうです。

小学校の卒業生の中に銀河鉄道999で有名な、作曲家の故宮川泰さんがおります。



ここが、上藻別駅逓跡。郷土資料館です
「旧駅」だと思っていましたが、大正時代、北海道はまだ道路が開通されておらず、馬が人の足となっていた時代でしたので、馬を貸し出す場所として駅逓が道内各地に設けられ、他にも運送・郵便・宿泊の業務を取り扱っていたのがこの駅逓所で、北海道独自の制度だったそうです。

道路が開通すると、人の出入りが増え、この駅逓も増設されたそうです。

上藻別駅逓は8年前に国の登録有形文化財に指定されました
資料館には数人のスタッフさんがおり、この町に想いれのある方ばかり
今回、鴻之舞の歴史を教えてくださった方は、この場所で生まれ育ち、閉山されるまで働いていたそうです

登録有形文化財に指定される前までは、手弁当1つで活動し、一切の報酬は貰わなかったそうですが、平成20年に国の登録有形文化財に指定されると紋別市が動き、道が駐車場を整備し、現在は交通費程度の報酬を貰っているそうです

そのスタッフさんは鉱外勤務だったので、鉱内のことはあまりよく知らないと言っておりましたが、それでもこの町の歴史が聞けたのはとても貴重でした。