世の中で、これは、人前で話してはいけない。

という最大のタブーは、

男女のセックスのことです。
これは、幼少期から、死ぬまで語られない。

強固なタブーとなってます。

例えば、幼児の絵本に、体の部位が書かれてます。
「これは、頭、目、鼻、口、手、むね、おなか、おへそ、

おしり、あし。」そこに、これは、ちんこ、とか、

まんことか、書いてありません。

このブログに、ちんこ、まんこと書いただけで、この文書が、

非公開になる可能性すらあるのです。

なぜ、自分の体の部位を非公開にするのか?

なぜ、ちんこと、まんこは、布で隠すのか

隠す、語られないことによって、人前では、

話してはいけないことになる。

人類が、続いているのは、セックスをしているから、

人が生きているうえで、最も大事な行為。

この行為の為に生きていると言っても過言ではないこと。

それを、語ることもできないほど閉じ込めてしまった。
それは、自由や、生き生きと生きることへの束縛である。

もっと、おおらかで、オープンであっていいはずなのに、

ちんこ、まんこの部位すら声に出せないのだから、

セックスのやり方、なんて、語られるわけがない。

それが、夫婦や、恋人同士の中でも、話されない。

異常な状態になっている。

このタブーがなければ、学校で、職場で、スポーツジムで、

セックスのやり方が、オープンに伝授されてたはずである。

男性や、女性の体の仕組み、そのバリエーションを

大いに話されるべきである。

セックスが、生殖だけを目的にした行為としたら、

あまりにも、悲しすぎる。

セックスを突き詰めることができれば、それは、

瞑想を超える神の領域にも近づくことができる。

そこに、至ることができた男女は、お互いが

お互いの体の一部となり、一体となり、

男でも女でもない、真空の領域に入るのである。

逆に言うと、それを、防ぐために、セックスは、

タブーにされてしまったのかもしれない。

セックスを通して、誰もが、悟り、神の領域に近づいて

しまったら、そんな人たちを支配者は

支配できなくなってしまう。
よって、長い歴史をかけて、タブーとされたのだろう。

人生を楽しむこと、セックスを楽しむことに

自ら、規制をかけているのである。

南の島々を、白人の人たちが、植民地にするとき、

男も女も、素っ裸だったらしい。それに、パンツをはかせ、

キリスト教を説いた。

ちんこをブラブラさせている男、胸やマンコを隠さない女は、

白人は、許せなっかったのだろう。

タブーの中で生きて、女のパンツを盗む男、

スカートの中の写真を撮る男。
すべて、オープンなら、こんな行為は考えられないことである。

小学校や、中学校で、性行為の教育がなされない現状、

今、自分が存在する原点の行為が、オープンにされない。

強固なタブー、洗脳について、

次回は、さらに、色々と考察してみよう。

ここまで、読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

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それは、どんどん、