11年前に亡くなった母は、晩年になるまでは病気とは無縁の女性でしたが、
亡くなる前の数年間は悪性リンパ腫に始まり大腸癌や心不全を患い、
チューブや多くの線に繋がれたままの状態で、病院で最期を迎えました。
その事があって、父には自宅で自然な最期を迎えさせてあげたいとかねがね考えていました。
しかし今回、肺炎を機に始まった一連の病院との関わりの中で、その事がいかに難しいかを思い知りました。
インフルエンザ?と思って診療所に行ったところが、肺炎の疑いがあると謂れ、レントゲンの結果即入院となりました。
その入院中に血尿が出て、検査の結果膀胱がんと診断され手術を勧められる。
放置すれば出血が続き次第に深刻な状況になると謂れて、悩んだ末に(内視鏡)手術を選択する。
手術が終わって安堵した翌日、転倒して大腿骨を骨折、大きな病院に緊急搬送となる。
父の心肺機能が低下している中での手術は大きなリスクを伴いました。
ここでも悩みましたが、手術をしない場合の生活の質の低下を強く説得されて手術に踏み切りました。
今回は結果として手術は成功しましたが、最悪の場合も十分考えられ、その場合はやっぱり母と同様に病院での最後になり得ました。
今回の一連の流れの中で、「自宅での自然死」を選択する余地はあったのだろうか?と自問した時、
自分以外の人(父)について、その道を選択することは不可能だったと考えています。
進歩した医療技術のおかげで、どんな高齢者でも、治療により生存できる可能性が高くなっています。
したがってそれを受けさせないで、「自宅での自然死」という選択は、
現実の問題として大変難しい事だと今回の一連の流れを振り返ってみて思います。