いま私の所属する「古文書サークル」は地元の村に残る古文書の解読を行っています。
内容は隣り合う村同士の水利権に関する文書です。
江戸時代における水利権は、今とは比べものにならない位に深刻な問題でした。
我が団地のすぐ隣に、現在はほとんど水がない沼地があるのですが、
江戸時代には「龍ケ池」という名前の地だったようです。
古文書解読において、記述された場所の土地勘がないと、とんでもない誤りを犯す恐れがあります。
そのため今日はその場所の写真を撮りに行きました。

写真は堤防の上から撮りましたが、文書によると当時も堤防があったそうです。
「その当時の堤防がどの辺りにあったのか?」 これが一番知りたい点です。
写真に写っている反対(下流)側から堤防(ダム)の下まで行ってみました。
普段は人の行かない所なので、木々が生い茂りジャングルのようでした。
ビビりながら枝を払いながら進んでいくと、突然目の前に要塞のような堤防が現れました。

下流から見る堤防は思っていたよりはるかに大きく、まるで古代遺跡のようでした。
江戸時代にこんな大きな堤防を築いたとはちょっと考えにくいですね。
今日は一人だったうえに、少々不気味な場所だったので早々に帰ってきました。