お義父さんとのお別れと親戚にがっかりしたこと | 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ♡愛୨୧祈り * ❁*❁神聖曼陀羅❁* ❁*

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❁*古代から続く生命のシンボルとされる神聖幾何学模様を中心に配し、あなたのための曼陀羅をお描きします。古代の叡智、神聖なる波動を秘めた高次元エネルギーを貴方のもとに… ❁*


お義父さんの葬儀が終わりました。

伯母はお葬式続きで憔悴しきって可哀想でした。

3月の初めに 自分の息子が突然亡くなり、
1ヶ月後に 実兄であるお義父さんが亡くなりましたから
悲しいことが重なってしまいました。

以前は 桜の季節が来ると、
毎年 母とお花見したことを思い出していましたが
最近は お義父さんと散歩しながら桜を眺めたことを思い出すことの方が多くなっていました。

お義父さんが認知症になってから特養にお世話になるまでの5年間、
夫が自宅でお義父さんの介護をしました。

夫は、お父さんの面倒を見るために
それまで勤めていた会社から独立して自分で会社を立ち上げて
一人で暮らしていたお父さんを引き取ったのです。

わたしは、毎週末
万が一 行けない週があっても
必ず2週間に一度のペースで 介護のお手伝いのため大阪に通いました。

金曜日、仕事が終わったら自宅に戻り
子どもたちの週末の食事の準備をしてから新幹線に乗って、大阪に向かい
金曜の夜から土曜日、日曜日の夕方まで大阪で
お義父さんと一緒に過ごしました。

そんなに料理が得意ではない夫が、普段は
お義父さんの食事のお世話もしていたので、
わたしが行く週末は
お義父さんに美味しいものを食べさせてあげよう!と、張り切ってお義父さんが食べやすそうなものを一生懸命作りました。

たまにはビーフシチューやロールキャベツもつくりましたよ。

夫の家には圧力鍋などなかったので、
わたしが自宅で調理したものを大阪まで持って行ったりすることも多かったです。

お義父さんはいつも美味しそうに食べてくれていました。

お義父さん、認知症の進行が早くて
わたしを 息子の嫁 と認識した次の年には
わたしのことを 自分の孫 だと、ヘルパーさんに紹介してました驚きあはは。


そんなお義父さんとは、よく一緒にお散歩しました。
車椅子でしか移動が出来なくなってからも、
車椅子を押して桜の木を探しながら、
あれやこれやいろいろな事を話しながら歩きました。




葬儀は家族葬だったのですが、
わたしにとっては初めてお会いする親戚の方もいて
少し緊張しましたが、
みなさん それぞれにお義父さんとのお別れを悲しんでいらっしゃったと思うのですが

少し残念に思ったのは、
初めてお会いする方々に関しては、
お義父さんが認知症になってからは
だれも一度もお見舞いにきてくださらなかった事。

お義父さんのお世話は夫ひとりに任せきりだったこと。

本当に時々、伯母が食べ物を持ってきてくれたり
夫のお姉さんがお義父さんに会いにきてくれる程度でした。

まだコロナ禍ではなかったですから、
いつでもお見舞いに来れたのでね、
お義父さんの好物や、ジュースなど持って
顔を見せにきて欲しかったです。

わたしからすれば、
夫のこともちゃんと労わってやって欲しかったなぁと思うのです。

わたしが母を介護していたとき、
妹はよく、お世話を交代するために泊まりに来てくれていましたから。
弟は交代はしてくれなかったけど、金銭面で助けてくれていました。


夫も、
『生きてるうちに父ちゃんに会いに来て欲しかった』と
それはひどく残念がっていました。

よほど遠方なら仕方ないかもしれませんが、
1番遠方なの、わたしなんでネガティブ
親戚の皆さんは関西の方ばかりなのでネガティブ

まぁ、お義父さんも夫も
家族や親戚から慕われてなかったのかもしれませんけど…泣き笑い

でもね〜
あまりにも思いやりに欠けているなぁ…と…
わたしも お義父さんのお世話を手伝っていて
週末だけだったけれどもそれでも、オムツやお食事のお世話は大変だったので…

亡くなってからようやく集まって来られても…真顔

と、正直 ガッカリな気持ちになりました。


疲れも出てしまい
ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。
ごめんなさい。


妹が美味しいお茶を送ってくれました。



今日はなんと 一日で このお茶を6杯(ティーバッグ6個)

飲んでしまいました。