先日 zoomの研修に参加した

コロナ感染状況でzoomに変更


コロナ禍になりzoomの研修も増えた


話は少し ズレるけど

研修では数人グループで

グループ討議があった


そこに、コロナ陽性の方がいた

グループ討議内容を  置いて(笑)

コロナの状況やらで花が咲いた


体調は回復して、数日で出勤らしい


ちまたでは軽症と言われてているが

辛かった!と話していた

zoomじゃなかったら話は聞けなかっただろう

久しく話していなかったから嬉しい!とも語っていた


話は 戻る

 頑張ることって 素敵かしら?


できないことが できると 嬉しい し

頑張って いる姿勢が 後から よい経験だったと

思うことも 多い


先日の研修では

発達障害について 学ぶ


頑張っていても できない 人はいる


機能の問題だ


味覚過敏 は一口だって難しい

視覚異常から 縄跳びが飛べない 

 黒板が写せない 文字が歪んで見える


他にも

じっとできない 、、、姿勢が崩れる

目をパチパチしたり 声がでたり

自分でも止められないし なおせない


普通に 当たり前に 

できること身に付くことを


できない って


分かる側からみると理解も難しい


だから 圧倒的に多い

多数派のできる、分かる 当たり前を

押し付けたり

頑張らせたり しがちだになる


苦手は できるように 頑張ることも

頑張りたければ良いだろう


だけど

その苦手を  周りの人に 手伝ってもらう

助けてもらう


助けてもらえるように SOSを出せること

そんな、人間関係を作れることの方が

大事じゃないか


苦手を 頼れる事が 当たり前になれば

今より

できない!事を 頑張らせる 事も 減るだろう


自分の苦手を  認められるようにもなる

人にも 自分にも 優しくなれる



病気で 歩けなくなっていく子どもに

一歩でも 永く歩けるように

歩けなくならないように

毎日 辛い歩くトレーニングをしていたけれど

その子は 結局 若く亡くなった

歩くトレーニングは辛く大変な時間だった


亡くなって、こんなに早く亡くなるなら

あのトレーニングをする時間

もっと楽しく やりたいことを させれば良かった

頑張らせることは 大事なことかしら?

その子に関わった方が語ったのを聞いたのだ


頑張ることでの満足感 充実感

自信につながったり

貴重な経験になることは多い


けど

頑張らせること について


ハタッと 立ちどまって

考えて しまった


私の頑張って良かった 満足感を

周りに押し付けるのは 迷惑かもね


そして

頑張っても  できないこともあるし


発達に凸凹があると

わざと? 甘えてる? わがまま?と

見られる事も多い


当たり前に  できること が

できない苦痛 


なんで できないの?

わかってもらえない

自分でも 何故かは    とうてい分からない


できない  ものは できない

見る 聞く 話す 感覚 の違いは

なかなか周りにも 分からない


みんなふつうに 身に付いてしまうから


それが できないって  苦痛だろうな

改めて感じて   考えた 研修だった


保育士をしている

目の前のこどもたち 

自分の子にも


頑張らせる  押し売りは やめよう


当たり前が  できない苦痛

今まで それほど 考えてこなかった


けれど

多数に なれない

当たり前 が 頑張っても  できないって


思っていたより

ずっと 辛いだろうな


そんな事を 改めて感じたのだ


みんなと 同じ

多数から外れると 不安になる


頑張らせる

我慢させる


頑張らせたいとき

我慢させたいとき

私は 何で そう、させたいんだろうか?


その後ろには 

実は自分の不安は隠れていないか


これからは 少し 立ち止まって考えてみたい