「ありがとう」は当たり前に ある
普通の言葉という感覚だった

昨日息子から

「そうだ、お母さん、ありがとう」


❓️❓️の顔をしたら


ほら、コンセントと筆箱だよ


息子に言われて思い出す


数日前に、息子から頼まれていたコンセセントがAmazonで届いた



部屋の模様替えをしたらコンセントが差しにくくなりタコアシコンセントを頼まれた



遅番で帰ると9時を過ぎ

夫と夕食を済ませ自分の部屋でゲームをしている感じだったから

翌日、作って残す昼御飯の側に置いた


あ~、あれね


そう言いながら、気づく


じんわり嬉しさが広がる


ありがとうって言葉

当たり前に感じていたけれど


普通に ありがとう を言われて

戸惑いはしないが


久しぶりに聞いた      感じがする


今の仕事では

関わりの中で ありがとう という

言葉のやり取りは、ない


少し良いかと思っても

持続せず

日により波はあり

積み重ねる事が難しく

焦っても仕方ないが悩んだり

ため息や難しさと虚しさを伴う事が多い


背景を考えると仕方ない事だ。


そんな中で

たまにはホッこりする事もある

けれど割合でいうと、それは極僅かだった


息子から

当たり前に  ありがとう を 言われ


ふんわり 嬉しさと 暖かみ  を感じた


目の前を変える事は難しい

それ、分かっているつもりで


もしかして、

変えたい!、そんな思いもあったかもしれない


いや、あったと、思うのだ


そうだ 

目の前を変えるに拘ると苦しいんだった!


ならば、

変えようという視点ではない方向に立とう


期待や変化に気持ちを向けるんじゃなく


今、自分の気分や

自分の気持ちを整う

気持ちよさにに視点を合わせよう


周りや人のせいにせず

してくれない

変わらないから、気分を下げるのではなく


私が気持ちよく過ごせるために

今    どうする?



視点の 整理を しよう


息子 からの ありがとう

で、自分を振り替えるきっかけになる


息子よ

こちらこそ

ありがとう!


紅白まんじゅうを どうぞ!