私は保育士をしている
数年前までは保育園勤務だったが
今は少し現場から離れている
保育士として変わりはないが地域の親子や関わる対象者が変わる

この1ヶ月は久しぶりに保育現場に近い所で小さな子どもと関わる様になる

少し現場から離れたこともあり
新鮮だ

子どもたちとは慣れてきてコミニュケーションが取れる様になってきた
甘えてきたり目が合うと笑う
こちらも嬉しい

一人、大袈裟ではないが少し人見知りの子がいる

私も、ちょっと人見知りされているから少し距離をおきながらつめていければいいかしら、と思いながら

ふと、気がついた

周りの子どもと慣れてきて
少し人見知りの子との距離、もう少し縮めたいかな、、

意識していなかったけれど
そんな感覚があった

人見知りする子を、どうにかしたい

無意識にどうにかしたいがあったかしらね
と、思う

これは私の願望
私の思い=思考 よね

私のなんだなぁ~
それ、違う方向いってない?

そんな
違和感が沸いてきて


周りの人をどうにかしたい!変えたい!
これ、私がどうこう拘ると辛くなるやつ(笑)

人を変えようとしなくてもよいし
変えられない
変える努力に意識を向けるより

どうして、そこに拘りたくなるのか?
目は気になる人じゃなく

どうして、私がそう思うのか、だ

→人見知りされるのは嫌だ
→受け入れられたい

私の願望、エゴね~


そこに気づいて
あー、受け入れて欲しいよね~と
そんな自分の無意識を認めたら

私も人間だもんね、好かれたいよねー、と
自分で自分の健気さ(笑)に少しクスッと笑えた

そんな私の思考は
私の中で見えて感じる部分だ
人見知りする子には勿論分からないだろう

別々よね、と改めて思う

すると
人見知りする
何となく落ち着かない、敏感、不安

これも
その子の中に現れた思考や姿で表現だよね

そして、私の中でも見える現れだ

だから、拘るんじゃなくて
あ~、現れている思考よね
留めないで気づくだけでいいかもしれない

今、そんな風に思う、感じている
けれど思考は次々現れるから
拘らずに流してもいい

どうにかしたい、に拘らなくて全くよしだ!

私の見え方で
その子の見える姿も現れなのだ

人見知りも、不安も、落ち着かないも
今、そんな風に思うのね、って
自分の思考と距離を置く

あれこれと自分の都合で拘らなくてもよしだ

違った意味で
人見知りする子にも それでいい!
そんな、思考が現れているのよね

まあ、いいじゃないと、認められた

私は私の思考や現れが出るし
その子はその子の思考や現れがでる

そこに拘ったり
どうこうしなくて 良いじゃない(笑)
と、落ち着いた





近所に咲いていたハイビスカス

ハイビスカスが似合う季節になってきた