「A級戦犯分祀」というご都合主義的提案の始まり | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

中曽根康弘政権の退陣が決まった1987年の秋、毎日新聞の朝刊第1面に「中曽根政治の軌跡」という特集記事が連載されたことがあります。その第二回(10月1日)にはつぎのような記述があります。

 

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(以下引用)

 昭和六十一年二月二十七日午後四時ごろ――。東京・丸の内の三菱鉱業セメント会長室で、風変わりな組み合わせの密談があった。部屋の主である大槻文平同社会長(日経連会長=いずれも当時)が、松平永芳靖国神社宮司に懇請するように切り出した。

 大槻氏「私は専門家じゃないのでよくわからんが、A級戦犯の合祀を取り下げることができないだろうか」

 松平宮司「それは絶対にできません。神社には『座』というものがある。神様の座る座ぶとんのことです。靖国神社は他の神社と異なり『座』が一つしかない。二百五十万柱の霊が一つの同じ座ぶとんに座っている。それを引き離すことは出来ません」

 大槻氏「そうですか。じゃあ、できないということだけ伝えておきましょう」

 会談はわずか十分足らずで終わったが、大槻氏がその結果を伝えた相手は首相官邸の後藤田官房長官だった。

 中曽根首相は六十年七月二十七日、自民党軽井沢セミナーの講演で、「堂々と王道を歩み、勇気を持って私たちは進んでいかなければならない」と熱弁を振るい、防衛費の対国民総生産(GNP)比一%枠撤廃、靖国神社公式参拝という二つの〝タブー破り〟に強い意志を表明。とくに靖国問題では「国のために倒れた人に感謝をささげる場所がなければ、だれが国に命をささげるか」とボルテージをあげた。

 すでに布石は打ってあった。靖国参拝については、最大のネックであった「違憲ではないかとの疑いを否定できない」という鈴木内閣時代の政府統一見解を突き崩すため、「宗教儀式をとらない参拝なら合憲」とする理論武装が、藤波官房長官(当時)の私的諮問機関で進められていた。中国当局からも「非公式に〝悪くない感触〟を得ていた」(首相側近)という。

 そればかりではない。同年八月八日夕、首相は官邸で谷口内調室長(当時)から一枚の紙片を受け取った。靖国公式参拝の是非を問うマル秘世論調査結果である。「公式参拝賛成七二%、反対一七%」という歓迎すべき数字が首相の目に入った。そこには「宗教儀式による参拝でもかまわない」という意見が四五%もあった。首相の腹はここで固まったといってもいい。

 一週間後の同月十五日、首相は公式参拝に踏み切った。慎重を期し、参拝方式は宗教色の薄いものにした。しかし、すべての問題をクリアした、という満足感は長続きしなかった。参拝後、北京で反中曽根デモが吹き荒れ、大きな外交問題に発展したのだ。予想外の成り行きに首相は頭を抱えた。

 しかし、吹き荒れる逆風に首相は手をこまぬいていたわけではない。中国共産党幹部に有力なパイプのあるブレーンの香山健一・学習院大学教授らをひそかに中国に派遣する一方、人を介して靖国神社にもアプローチ、A級戦犯分祀の道を模索した。前述の大槻氏の動きはその一環にすぎない。同神社を財政的に支援する奉賛会長でもある大槻氏を使って、官邸が〝兵糧攻め〟を仕掛けた一幕であった。

  [後略]

(引用終わり)

 

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この記事で明らかななように、中曽根康弘首相は、1985年の終戦記念日に実行した第一回の「靖国神社公式参拝」が、成功したかと思いきやすぐさま外国からのクレームという思わざる逆風に襲われ、翌年も続けることは困難な見通しとなったとき、「じゃあA級戦犯だけをお宮から外せば、外国からのクレームを避けられるんでは」と考え、そのための手を打とうとしました。

 

「A級戦犯分祀」を「靖国問題」の「解決」方法であるかのように考える議論は、このときに始まったものです。つまり、中曽根首相が、第二年度以降もなんとか「公式参拝」を続けたい執念を燃やし、そのための障害をどうやったら取り除けるかと思いめぐらす中から、「じゃあ、こうしたらどうだろうか」と思いついたのが「分祀」だったのです。「中国は、靖国神社が戦争の指導者として責任を負うべき者までをも一般戦没者と一緒に祀っていることを問題視し、そういう施設に日本の首相が公的な表敬を行なうことが問題だと言っているのだから……」という推測がその根底にあります。

 

その後、保守の中の穏健派や中道勢力を中心として、「そのような中国指導者の姿勢は、国民をだまして侵略戦争に向かわせた一握りの軍国主義者と、善意でだまされた一般の日本国民とを区別して、前者を正当化することだけはやめてくれと言っているのだから、むしろ日本に対する寛大な譲歩なのだ。日本の政治家はそこの事情をしっかり理解するべきだ」といった議論が起こり、左翼勢力もだいたいそれに同調する結果となりました。もっとも、左翼勢力の場合、「だからA級戦犯だけ分祀すれば、首相が公式参拝すること自体は咎めない」とは言いませんでしたが。

 

このあたりから、そもそも「靖国問題」の中心的論点が何であるかを取り違える議論が始まったと、わたしは思います。

 

中曽根「公式参拝」があった年の11月、「公式参拝」をめぐる法的論点を網羅的に取り上げた優れた論考集である『ジュリスト臨時増刊――靖国神社公式参拝』が有斐閣から刊行されましたが、その48~53ページに載っている中央大学教授・橋本公亘(はしもと・きみのぶ)の「政教分離と靖国懇報告」という論文は、法学的な観点からの議論を尽くしたあと、最後に、このテーマに付随して最近の動きで気になることがあるので若干の付言をしておきたいとして、つぎのようなことを書いています。

 

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(以下引用)

六 若干の感想

 靖国懇の報告の内容やその反響等を見ていると、いろいろ問題がある。そこで、若干ここに付言することにする。

 (1)A級戦犯が合祀されているから靖国神社に反対するという意見がある。このような感情的な反対論がよく見られるが、しかし、これはこの問題の本質を見失っている。これらの反対者は、それではA級戦犯を合祀対象から外せば、公式参拝に賛成するというのであろうか。おそらくそうではあるまい。靖国神社の憲法問題の本質は、靖国神社の宗教性にあることを見失ってはならない。つけたりの理由は、議論を混乱させるだけである。

 なお、合祀者は靖国神社側が決定することで、これについて、国家が介入することはできない。

   [中略]

 (4)新聞報道によれば、靖国神社公式参拝反対の問題を外国政府の要人にもち込んでいる政治家がいるらしい。この問題は、わが国の純然たる内政問題であることを忘れてはならない。この人たちは、外国政府からの内政干渉を求めようとしているのであろうか。憲法問題について真の理解を欠いているもので、甚だ遺憾である。

   [後略]

(引用終わり)

 

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上の指摘の中の(4)は、右翼がその後しばしば言うようになった「社会党などに巣くう売国的勢力が中国に〝垂れ込み〟をして、その結果それまでは存在しなかった『靖国問題』などという問題ができてしまった。『靖国問題』を『作った』のは奴らだ」という「垂れ込み売国奴説」が、まったく根も葉もない話ではないことの、ひとつの証言です。国内の政治闘争に外圧を利用する悪しき体質が、当時の左翼勢力にまったくなかったと言えるか、反省してみる必要があるでしょう。

 

(1)も、その後の靖国論議の迷走を知っている立場から読み直すと、重要な点を突いています。「靖国神社はA級戦犯まで祀っている」という指摘は俗耳に入りやすく、公式参拝反対を叫ぶにあたって味方を増やす多数派工作としては有効だという政治的判断があって、左翼もそれに乗ったのでしょうが、彼等は「じゃあ、A級戦犯さえ外せば、公式参拝してもいいんですか?」と問われたら、そうではないと答えたでしょう。自分の本来望んでいるのではない結論をもたらすような主張に安易に相乗りすることは、慎むべきだったでしょう。まさに橋本公亘の言ったとおり「つけたりの理由は、議論を混乱させるだけ」だったのです。