宿業論の説きたいところは要するに…… | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

先日来、日本仏教にしみついていて現代でも手を変え品を変えて説かれている「輪廻転生」とか「宿業」とかいう思想について、エピソード的なこと書いていますが、関連して、1969年に聴いたフランスのシャンソン『天使のらくがき』(ダニエル・ビダル唄)を思い出しました。

 


メロディーはもともとロシアの曲で、原曲はまったく違う歌詞がついていたものですが、フランスに輸入されて、シャンソンとして若い女性歌手(当時20歳にも達していなかった?)に歌わせるにあたって、そういう「かわいい子」に歌わせるにふさわしい歌詞へと、換骨奪胎されたもののようです。

 

日本での題は『天使のらくがき』とされましたが、フランス語版の題は、この歌のリフレイン部分の冒頭の歌詞 “Aime, aime ceux qui t’aiment, …” を曲名にしたもので、「あなたを愛してくれる人たちを愛しなさい」という意味。

 

「あなたを愛してくれない人たちでも愛しなさい」というキリスト教のメッセージとは異なる考え方ですが、どうせ若者向きの恋心の賛歌ですから、「キリスト教の福音とは異なる。キリスト教国フランスにふさわしくない」などと目くじら立てる必要もなく、そんな道学者めいた野暮な「批判」を言った者などは、たぶんフランスにもほとんどいなかったでしょう。

 

それに、リフレイン部分の締めの歌詞 “L’amour que tu sèmes te revient toujour.” は「あなたが蒔いた愛はつねにあなたに戻ってくる」という意味ですから、それなりにキリスト教精神に合致しています。仏教精神もその点は同じでしょう。日本の諺「情けは人のためならず」も、近年では誤解されることが多いものの、原意は「他人にかけた情けは、必ずめぐりめぐって自分に戻ってくる(だから人様に情けをかけることを惜しんではならない)」という意味です。

 

古代バラモン教以来の、インド哲学の基本思想である「宿業論」は、煎じ詰めれば善意・善行の勧めだと思います。「人が善意・善行を積んでゆけば、目先のところは損に見えて、帳尻が合わないように思えても、長い目でみれば必ず自分の幸せという果報として返ってくる(だから善意・善行を惜しんではならない)」ということだと思います。それに付随する逆のベクトルとして、「人が悪意・悪行を積んでいると、目先のところはそれで得をしているように思えても、長い目でみれば必ずその報いが返ってきて苦しい目に遭うことなる(だから悪意・悪行は慎みましょう)」ということも説かれるわけです。

 

もっともこの「善因楽果、悪因苦果」の教えは、現世の範囲内で「ほら、このとおり、そうなっているでしょ?」と人に示してみせる「証拠」にはいささか欠けています。世の中には現実として「悪い者ほど得をする」現象、「善意をかけても報われない」現象が数々あり、人が今生の生を終えて死ぬまでに、必ずしも帳尻は合いません。

 

それゆえに持ち出されるのが、「その帳尻は実は今生かぎりの範囲では合わなくとも、人が生まれ変わる来世まで含めれば合うようにできているのだ」という「宿業論」です。「善意・善行を積んだ者は、来世はより楽な境涯に生まれ変わることができる。悪意・悪行を積んだ者は、来世にはより苦しい境涯へと転落することになる」……というわけです。

 

なるほど、これで「善行への勧め、悪行への戒め」としては首尾一貫します。が、なまじっかそうして「首尾一貫性」が備わっているせいで、それが金科玉条化された場合には、それはそれで、おかしな物の見方へと結びつくことが起こってきます。

 

宿業論が未来へ向けての勧告、戒めとして語られているうちはいいのですが、過去へさかのぼっての、現状の説明として語られ始めると、「あの人が現世で生まれつき高貴な身分に生まれているのは過去の善行の果報。あの人が現世で生まれつき恵まれない身分に生まれているのは過去の悪行の果報」となってしまいます。……これですべてが説明できると個人が思うだけでなく、「教え」として社会に広められたらどういう結果になるか、……もう、賢明な読者のみなさまにはおわかりになると思います。

 

この種の「生まれ変わり生きがい論」が手を変え品を変えて世の中に出てくるたびに、少々危ないものを感じてしまうのは、わたしだけではないでしょう。