一昨日もリンクしてご覧に入れた片山はるひさんの講演の動画。
35分から45分あたりにかけて、教皇ベネディクト十六世の回勅『希望による救い』
の32~33ページの文章を引用しながら、この世の人間にとってはまことに謎そのものである「永遠のいのち」とはどういう意味かについて、とても含蓄に富むお話をしておられます。
この世には「時間」というものがあって、われわれはその「中」にしか生きていないので、その経験からの類推でしか「永遠」というものも想像できないけれど、ほんとうの「永遠」とはどうやらそういうものとは根本的に違うらしいです。
ちなみにわたしは、キリスト教を本格的に学ぶより前は、何となく「輪廻転生」というものを「あるんじゃないか」と思っていましたが、今はそうは思いません。「人は現世から来世に行って、そこで百年なり二百年なり過ごすと、次の転生の機会がめぐってきて、また現世に身体を受け……」という丹波哲郎監督自作自演映画『大霊界』みたいなイメージで「この世とあの世」の全体を説明したような気分になるのって、結局、「あの世」をも「この世」がその制約下に置かれている「時間」という枠の中に嵌め込んで理解していることにならないか。
それじゃ、「霊界」を三次元物質宇宙の極微的付属物に還元してしまった〝物質的、空間的霊界観(チャチになったこのごろの「霊界」)〟
の時間版になってしまいます。そんなのって、「永遠」に対する理解があまりにチャチじゃないか、と思うようになりました。