ヘアスタイルはようやく納得のいく線に | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

MTFトランスジェンダーとしての自覚をもつようになってから17年余り、SRS(性別適合手術)を受けてから3年を経ているわたしは、今では控え目ながら一応女性の装いで外出し、差し支えないかぎりでは女性で通すという生活をしています。

 

ただし、年齢が行ってからトランスジェンダーの生活を実践を始めた者として、もって生まれた身体の性の特徴の、変えられない部分も多いことは重々自覚していますから、無理にパスしようとはせず、リードされそうな場面では先手を打って戸籍の性別を前面に出すなど、臨機応変に対処しています。

 

女性的な雰囲気を醸し出す上で、いちばんやりにくかったのはヘアスタイルでした。

 

思春期以降、男性ホルモンの作用によるのか、ちょっと伸ばすとくせ毛が外向きにハネてしまうようになったわたしは、〝男性時代〟でさえ、ちょっと長い髪にして〝格好をつけ〟ようとすると、髪がまとまらないのでほどほどの線で妥協せざるをえませんでした。納得のいくヘアスタイルになれたことはほとんどありません。

 

ましてや、女性的に見える程度にまで髪を伸ばそうとすれば、完全にアウトでした。

 

そこで、トランスジェンダーとしての自己表現を意識的に追求し始めた2003年に、髪に関して真っ先に考えたのは、ストレートパーマをかけてくせ毛を矯正したうえで、耳を完全に覆ってさらに少し下まで達する程度まで髪を伸ばすことでした。

 

それで少しだけ顔まわりを女性的な雰囲気にすることはできました。しかし、パーマをかけた髪は2か月もするとパーマの効果が薄れて元のくせ毛の性質が戻ってくるので、かけた直後を別とすれば、〝だんだんサマにならなくなってくる〟髪の形が始終気になります。

 

しかも、もともとが男性の髪だと、肩ぐらいまで伸ばそうとすると、ネイティブ女性の髪のように全部が揃って伸びてくれることがなく、途中で抜け毛になってしまう髪の割合が高まり、末端のほうはボリューム不足で、スケスケになってしまいます。

 

それ以前の問題として、そもそもトランスジェンダーを自覚した者はどういう種類のヘアサロンに行ったらいいのか自体が、よくわかりませんでした。

 

昔のような、髪のケアをするサービスの場が最初から男性向きの「理髪店」と女性向きの「美容室」に別れているという状態は、21世紀に入るころにはだいぶ崩れてきていましたけど、それでもやっぱり垣根は存在し、完全に女性向きサービスを受けるのだと開き直って「美容室」に通うのでないかぎりは、本来男性の髪を扱う「理容師」が、要望に応じて長髪やパーマのサービスもしますよ、と宣伝している程度のところに行かざるをえません。

 

そういうところでは、「ストレートパーマをかけてください」と要望すれば、要望に答えてはくれますが、わたしのジェンダーアイデンティティーを考慮して、それにふさわしい髪型を積極的に提案してくれるなどということはありません。結果として、ただ「ある程度長い髪」が出来上がるだけです。

 

男性の長髪が極端に忌避の対象とされていた時代(明治の断髪令から1970年ぐらいまで)を別とすれば、男性で長髪にして、後ろで結んでいるような人というのは時々存在します。しかし、そうした人の多くはジェンダーアイデンティティーに関してはまったくの男性で、女性的に見てもらいたくてそうしているわけではありません。そして実際、その姿は傍からみてきわめて男性的にみえます。それもそのはず、髪というものは後ろで結べば額から頭頂、耳の上などはすっかり「ひっつめ髪」になって、頭の骨格まる見えになります。その骨格が男性的な特徴を有していれば、トッツァン刈りの典型的なオジサンの頭と何ら区別がありません。まかりまちがってもポニーテールの少女なんかと似た姿になることはありません。

 

これでわかるように、髪型が女性的に見てもらえるか否かを決めるうえで、決定的な要因は長さではなく、〝ふくよかさ〟です。頭の骨格が生まれつき男性の骨格である場合には、その骨格を包み込んで見えなくするという意味での〝ふくよかさ〟です。

 

結局、ストレートパーマを十年ぐらい試みたあげく、それで醸し出せる女性性には限界があることを悟ったわたしは、髪が「ひっつめ髪」になってしまうのに比べれば、〝ふくよかさ〟を優先したほうがいいと考え、長さについては耳を覆って少し下、つまり口の高さぐらいで妥協しておこうと考えるようになりました。

 

しかし、せっかくその程度に妥協することで、髪が顔まわりをふんわりと覆ってマッシュルームの傘のような形になることを期待したのに、くせ毛の末端はその長さでさえ、たいがい外へ向かってハネてしまいます。結局、うつ病地獄のどん底に落ちたころには、もう髪のケアを心がけること自体が心の重荷になってきて、十数年ぶりにオジサンの短髪に戻してしまったのでした。

 

うつ病地獄から抜け出して、ようやく性自認に合った生活というテーマがわたしの人生に再浮上してきたとき、ヘアスタイルのことも再び気にするようになったのですが、SRSを済ませて再出発するにあたっても、髪をどうしたらいちばん納得のいく形にできるかは、結論が出ないままでした。

 

そこで、女性として満足のいく結論ではないけれども、妥協線として、髪そのものに手を入れるのではなく、装身具としての帽子を活用するほかないかなと思うようになりました。

 

 

その点をもういちど見直し、髪型そのものでの女性性をめざし直そうと思うようになったのは、ごく最近です。

 

それは、「理髪」であるか「美容」であるかといった区別にこだわらずに、ジェンダーアイデンティティーについて多様な人々の個別の要望をも聴き取って対処しますということを正面から掲げているヘアサロンに出逢い、そこのスタイリストに相談することを通じてでした。

 

 

 

そこのスタイリストは、パーマで対応することでその人らしい個性を引き出すことのできる顧客に対してはそれを提案するけれども、必ずしもパーマにはこだわらず、カットのしかたで対応できる範囲のことはなるべくそれで対応し、ヘアサロンから家に帰ったあとの本人自身が、受けたアドバイスをもとに日々の手入れをすることで、カットしたてのヘアスタイルを容易に再現できるという〝再現性〟を重視しているとのことでした。

 

そのスタイリストの見立てによれば、わたしの髪の場合、ストレートパーマをかければ髪が平板に頭部に張り付いたような形になってしまい、ボリューム的にフェミニンな雰囲気が出ないから、カットのしかたでふんわりしたマッシュルーム型を実現するというものでした。そして、洗髪後のドライヤーのかけ方の工夫によって、カットで〝決めた〟型が日常的に維持できるようにする、というものでした。

 

彼の言うところによると、わたしが今まで「少し伸ばすと毛先が外へハネてしまってサマにならない」とぼやいてきたのは、日常の洗髪後のケアのしかたがよくなかったからであり、また、それに先立つヘアサロンでのカットの工夫が足りなかったからである、とのことでした。

 

というわけで、そのヘアサロンで一発きちんと〝決めて〟もらったあと、毎日、晩の入浴後に、ドライヤーの風の向け方、それによる髪の吹き流し方についての指導を守って、六分ぐらいしっかりケアすることで、翌日の夕方までの丸一日間なら、耳たぶよりも数センチ下まで伸ばした髪のかたまりを、毛先が外にハネない形に維持できるということがわかりました。

 

 

 

 

そこで、今後は帽子に頼らず、この方式で行こうと思っています。