カトリック神父の本を、ただ「あら探し」のためだけに読んだあのころ(1) | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

わたしの青春時代のハチャメチャなストーカー体験「上郡康子さんの話」のシリーズ

 

 

の中で、1967年のわたしが、当時の保守的なカトリック教会の指導に唯々諾々と従っているかのようにみえた康子さんに対して、「何で自分の頭で考えようとしないのか!」との苛立ちを覚えたことを何度も書きましたね。

 

それでも、その康子さんの信じている教えは、いったいどういうものなのかが気になって、カトリック教徒の書いた本も、何冊か読みました。とは言っても、真正面から学ぶ気持ちでというよりは、「康子さんに『飴玉』をしゃぶらせて、彼女を遮眼帯をつけられた馬車馬みたいにしている元凶であるカトリック神父という偽善者どもの、化けの皮を剥がしてやるために、敵を知る目的で読むんだ」などと、傲慢な気持ちでそれらの本に相対していたのでしたが……。

 

なにしろ、「同じキリスト教でも、プロテスタントなら少しは酌むべき思想が含まれているかもしれないが、カトリックは論外。反共(反唯物論)を口実に権力や独占資本とつるむ御用宗教」と考えていたのですから……。

 

そんな気持ちを抱いて読んだ本のひとつに粕谷甲一著『新しき歌』というのがありました。

 

 

 

その本の中につぎの記述(172~175ページ)をみつけたときには、「まさに、これだ。やつらの詭弁の典型は!」と鬼の首を取ったような気持ちになったものです。

 

     *     *     *

 

キリストを世界に

   沖縄の旅をめぐって

 

         一

    秋またで散りゆく島の秋草は

    み国の春によみがえらなむ

 太平洋の怒濤に足もとを洗われている那覇島〔Akemi注:原文のまま〕南岸の絶壁に、牛島司令官はこの句を残して散華された。その古戦場にA神父とともに立って、しみじみとふたりの心にうずく共通の傷口を味わいながら、ここに散った人々の冥福を祈った。

 A神父はアメリカ人で、この島のカトリック青年の指導司祭であり、その招きを受けて、自分はこの島に参上し、一緒に行動をともにしたのであるが、僅か一週間の日程とそのための高額な渡航費を負担してくださったにもかかわらず、講演会など、教会の仕事に用いる時間と同等、あるいはそれ以上の時間を沖縄回りに使わせてくださった。それは自分に対する個人的な好意であったのみならず、それ以上の深い思いがそこに裏づけられているということを、東京に戻って、いっそう深く味わうようになった。

 

        二

 飛行機が沖縄に近づいてくるにしたがって、自分の心は異常に引き締まるのを感じた。それはこの島の上と、その周辺で沢山の友人が散ったからであり、思わず口に浮かんだのは「海ゆかば……」のメロディであり、心から合掌しつつ着陸したのであった。その散っていったひとりにT君という友があった。彼は代議士の長男に生まれ、優れた頭脳をもち、同時に多くの弟妹の兄として家の希望を担っていた。その彼も招集されて、海軍の特攻隊の飛行士として、その出撃する数日前、自分も招かれて、彼の家族とともに壮行会に与った。彼に最後のさかずきをくみかわす両親の四つのひとみを眺めたとき、自分は堪え難い気持ちに満たされ、後で、ふたりきりになったときに、彼に言ったのである。「第一線に立つのも銃後を守るのも、共にみ国のためという同じ道を進んでいるのだと人はいうけれど、君はまもなく出撃して死ぬのだ。ぼくは家族と共に残って勉強できるのだ、これはどう考えても違う」と。そのとき、彼は大きな目玉を輝かせて、自分を睨みつけながら答えた。「ばかやろう、日本の命は長いのだ。明日死ぬおれも必要だが、生き残るきさまも必要なのだ。だが順番だぞ……」と。

 その後戦争は終わり、泰平ムードの兆とともに、自分の心からも、T君の姿は消えていった。しかし何年か後に、自分が司祭になるべきか、決心の黙想をしたとき、ミサの最中に、彼の顔と声が生々とよみがえってきた。「だが順番だぞ」と。自分は生き残った。そして順番が……、そう思えてならなかった。

 

       三

 われわれのジェネレーションは、皆この戦中の傷口を持っている生き残りである。学徒出陣の壮行会に、一先輩が……その父は戦後、内閣の要職に就かれたが、……「戦争は諸君の体験を豊かにするであろう」と励まされたとき、ひとりの出陣を前にした親友が、「おれたちは経験を豊かにするために、戦争に行くんじゃないんだ」と叫んだのを思い出す。

 そして戦後二十年、戦中を批判する後輩の声もしばしばかの先輩のごとく外側から鋭い分析をしても、戦中の傷口そのものには触れず、それは完全に忘れ去られたと思われた。その忘れ去った人間のひとりであった自分も沢山の親友の散った古戦場に立ったときに、すべてが心によみがえってきた。そして、その思いをA神父に語ったところ、彼も、この沖縄の参戦〔Akemi注:原文のまま〕に散った海軍の親友が、彼の召命に力のあったことを告げた。その友は日本の特攻機によって命を失った由、もしかしたら、それがT君であったかもしれませんね、と語り合い、ふたりは共に瞑目した。

 考えてみれば、A神父はアメリカ人、自分は日本人、この両国民が殺し合い、三か月に十八万の人間が命を失った。そしてその殺しあった両軍のなかに、いまこのふたりを司祭職に導いてくれた友がいたのである。そしてふたりはその友だちの志をついで、ここに来たのだ。

 彼らがその心の奥底において念願していたそのことを実現するために、ここに来たのだとふたりは心から確認しあった。

 

        四

 その心の奥底の願いとは何であろうか。あの古戦場で急に思い出したのは、自分の初ミサのとき、ラーナー神父がしてくださった説教の一説〔Akemi注:原文のまま〕であった。

 「……北アフリカの一角に何万という無名戦士を葬った墓があります。その無数にみえる小さな十字架の中央に石碑が置かれて、その上に大きな十字架が立てられ、そのまわりに様々の形をした鉄かぶとが並べられています。それはここで散った英、独、仏など敵味方をまじえた、さまざまな軍隊のものであり、この人々はここで殺しあったのであります。この人々は、個人的には互いに何の恨みもなく、それどころか、話し合えばどれだけよき同志となりえたかもしれません。そういう同志が殺し合う戦争というものは、人類のもっとも暗黒のどん底を示しているのであります。しかし皆さん、その石碑に美しい次のようなことばが刻まれていました。〝愛する人人のために命を捧げた人間の間には国境の区別がない〟と。」

 十字架は愛する人々のために命を捧げた神の姿である。この暗黒のどん底においても、この愛という一点において、人間の精神は、十字架を通じて永遠の救いの道に開かれているのである。この教えをふたりは証言したいのである。

 牛島司令官が「み国の春によみがえらなむ」とうたったとき、そのみ国とは、この日本という地上の国を直接的に指したものであろう。だが愛によって命を捧げた人人のすべて、あの十字架の主のご復活によって保障されている共通のみ国に集うことができる。この復活の福音をふたりは宣教したいのである。〔強調はAkemiによる〕

 

     *     *     *

 

 この『新しき歌』という本は、奥付に昭和41年(1966年)11月25日発行と書いてあります。上に引用した章は、文中に戦後二十年とありますから、1965年に書かれたものでしょう。沖縄はまだアメリカの占領下。本土からはパスポートを取得してでないと渡航できない土地でした。飛行機での往復旅費は、現在の物価に換算すると南米にでも行くぐらいかかったのかもしれません。旅行の便宜をとりはからってくれたことで著者が謝意を表している相手のA神父というのは、アメリカ人である地位を利して、きっと在沖米軍にも顔がきく人だったのでしょう。

 

A神父に案内されて著者がめぐった戦跡地の代表が、牛島司令官の「散華」を讃えた、今では悪名高い「黎明の塔」であったことは、牛島の辞世の歌が冒頭に引用されていることでわかります。

 

今なら沖縄戦を語る際にほとんどの人が言及する「沖縄を本土決戦の捨て石にするために」とられた南部撤退作戦の無謀と残虐(民間人犠牲者の多くはその時点以後に生じた)、徹底抗戦を部下に命じたまま自分は自決して、その後も犠牲者が出続ける状態をもたらした牛島司令官の無責任さ、そのうえ、明らかに沖縄を除いた本土のみを「み国」と考えているからこそそう詠んだと思われる辞世の歌の差別性・独善性……それらを凝視する姿勢は、この文章からはまったく感じられません。

 

A神父(白人でしょう)と著者とがそれぞれの亡き友の導きで和解・共働の今日を持てたという感慨を述べるだけで、「これで戦争のことは吹っ切れたので、今後は未来志向」と、頭を切り替えようとするかのような(現内閣総理大臣・安倍晋三氏の戦争追悼行事での挨拶にも通じる)「脱亜入欧」的バイアス

 

そして、軍人だけが戦争の当事者であるとの前提でのみ語りうる、スポーツマンシップの「ノーサイド」を讃えるのと同じ筆致の締めくくり方(そこにちょっとだけ「天国ではみんな一緒だ」というキリスト教のメッセージが、とってつけたように接ぎ木されている)。「愛する人のために」という言葉が何度か出てくるのを見ると、どこか白々しく思え、「気安くそんな言葉を使わないでください。そもそも沖縄の戦争は、あなたの言うような『愛する人々を守るため』に戦われたのですか?」と、一言、文句をつけたくなります。

 

「おっしゃるような意味の『愛する人々のため』なら、靖国神社プロパガンダ映画『凜として愛』だって言っていますよ。それとどこが違うんですか?」とも問いたくなります。

『 凛として愛 』 - YouTube

 

そもそも冒頭のセンテンスからして、「散華」という軍国主義用語をそのまま用いる、無神経な言葉遣い。

 

別に、カトリック左派と呼ばれる西山俊彦神父でなくとも、松浦悟郎司教でなくとも、今では日本のカトリック教徒の過半数が、この文章には違和感を覚えるでしょう

 

半世紀以上前ですからしかたがありませんが、時代の違いを感じますね。

 

もっとも、『新しき歌』の中のこういう部分だけに注目して、「鬼の首を取った」ように思っていた当時のわたしもまた、度し難く愚かでしたが。