『徒然草』八十段は「玉砕」を賛美しているか? | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

去年、パウロ・グリン(ポール・グリン)著『長崎の歌』という永井隆伝(原作は英語)

のイタリア語版〝Pace su Nagasaki〟

をみつけ、買って読みましたが、その中に『徒然草』からの興味深い引用がありました。

 

原著者は、永井隆が生きた時代の日本の精神的風土を読者にわからせるためには、武士道とか、神風思想とかを解説する必要があると考えたのでしょうが、そのために引用しているのが『徒然草』八十段の一部なのです。

 

八十段の文全体は、以下のようなものです。

 

 

 

     *     *     *

 

(原文)

 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵(つわもの)の道を立て、夷(えびす)は弓ひく術(すべ)知らず、仏法知りたる気色(きそく)し、連歌し、管弦を嗜みあへり。されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人に思ひ侮られぬべし。

 法師のみにもあらず、上達部・殿上人、上ざままでおしなべて、武を好む人多かり。百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも、いまだ武勇(ぶよう)の名を定めがたし。その故は、運に乗じて敵(あた)を砕く時、勇者(ようしゃ)にあらずといふ人なし。兵(つわもの)尽き、矢窮まりて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獣に近きふるまひ、その家にあらずは、好みて益(やく)なきことなり。

 

(現代語訳)

 誰も彼も、自分の身に縁遠いことばかり好む。法師は武芸の道をおさめようとし、荒武者は弓引くやり方を知らず、仏法を知っている様子をし、連歌を行い、管弦を嗜みあっている。しかし、中途半端に極めた専門分野よりも、専門外のことはいっそう人にバカにされるに違いない。

 法師だけではない。上達部・殿上人といった身分の高い人々までおしなべて、武の道を好む人が多いのだ。百度戦って百度勝っても、いまだ武勇の名を定めることはできない。なぜなら、運に乗って敵を砕く時、勇者でない人は無い。兵が尽き、矢が無くなって、それでも最後まで敵に降伏せず、やすやすと死んで後、はじめて武勇をあらわす道理なのだ。

 生きている間は、武勇に誇るものではない。武勇の道は人間の道に遠く、鳥や獣に近いふるまいであるので、武士の家に生まれたのでなければ、好んでも無益である。

 

     *     *     *

 

敷衍的に意訳すると、つぎのようなことでしょうか。

 

 世の中には、自分が武家の生まれでもないのに、下手の横好きで武勇とかいうことに関心をもち、自分も一丁前にその道の心得があるかのようにふるまいたがる人が多いものだ。だが、そもそも武勇などというものは、仮に百戦百勝したとしても、その人を本物の勇者と呼べるかどうか、評価は確定しないものだ。なぜなら、味方が優勢なときに、勢いに乗じて敵をやっつけることなら、だれにだってできるがゆえに、そのうちのだれが真の勇者かは判定しがたい。味方の兵が尽き、矢も尽き、それでも最後まで敵に降伏せず、安んじて潔く死んでこそ、初めて、この人は真に勇者であったと、事後的に判定が下るものなのだ。

 これでわかるように、武の道での評価というのは、だれにせよ、おのれが生きているあいだは確たる判定の得られるものではない。つまり、この世に生きる通常の人間にとっての、通常の業績判定とは異質なものだ。その道でおのれを誇るなどということは、生きているあいだは、すべきことでもない。

 そもそも武というのは剥き出しの暴力であって、通常の人倫からは外れた、鳥獣に近いふるまいである。武家に生まれた者はそれに携わるのが仕事なのだからしかたがないが、そうでない者がいたずらに好むべき道ではない。

 

このように読んでくると、兼好法師自身が言いたかったことは、「下手の横好きなどせずに、おのれの本分に邁進することが人の道の根本だ」ということであり、その逆を行く極端な例として、「武家の生まれでもない者が武勇談などになまじ興味をもち、自分も戦いで手柄を立ててみたいなどと、おめでたく陶酔することの愚」を挙げていると見ることができます。

 

グリンが引用していたのは、この八十段の全文ではなく、「兵(つわもの)尽き、矢窮まりて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり」という箇所だけでした。これだけ見ると、兼好法師が「玉砕」思想の元祖であるかのような解釈が成り立ちそうですが、それは曲解でしょう。むしろ、兼好法師が言いたかったのは、「もし武の道などに興味をもつのなら、いっそのこと『玉砕』までとことんやってみるがよい。そこまでやって初めて勇者という評価が下るのが武の道なのだ。普通の人間がそんなことをやる気にはなるまい。それでいいんだ」ということでしょう。

 

『長崎の歌』の日本語版の訳者は、グリンの『徒然草』引用は誤解を招きかねないやや不適切な引用だと考えたようです。それゆえか、日本語版ではこの引用を含む前後いくつかのパラグラフは、落とされています。

 

『徒然草』八十段を熟読玩味させたい政治家の顔が、いくつか思い浮かびます。↓

 

 

(参考1)『北斉書』元景安伝

 

 

(参考2)西郷南洲詩『偶感(偶成)』

西郷南洲「偶成」(詩) (sybrma.sakura.ne.jp)

 

 

(参考3)軍歌『敵は幾万』

 

 

(参考4)戦陣訓