ハイヒールもナースキャップと似たようなものだ | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

ナースキャップの話題が出たついでに、病院の中という特殊な環境ではない一般社会にはびこっている女性の服飾の風習で、不合理なものを指摘しておきましょう。

 

私が「不合理なもの」というのは、ハイヒールのことです。

 

ハイヒールは、いまだに「女性が一人前の社会人としての身だしなみを身に着ける場合に必須アイテム」のように思い込まれていて、現代の日本女性は猫も杓子も、社会人になる見通しの出てくる18歳から22歳ぐらいの時期に、それまではまったく履く習慣のなかったハイヒールという窮屈で足を痛めやすい靴に慣れるよう、練習を強制されます。リクルート・スーツには、バッチリとハイヒールを「決めて」いかないと、早々と篩にかけて落とされてしまうとかいう話もよく聞きます。

 

私が Yahoo 知恵袋に「ハイヒールは見直すべきだと思いませんか?」といった質問を出したら、最初についた2個の回答はいずれも男性からのもので、「お前はバカか。田嶋陽子の仲間か」とか、「ハイヒールを履かない女はだらしなくて、願い下げだ」みたいな、実にくだらない偏見に満ちたものでした。

 

そういう男にかぎって、自分がハイヒールなんぞ履いてみたこともなく、それで長時間歩くといかに足が痛くなるかも知らず、「女性の立ち姿は、ハイヒールを履いてこそ、シャキッとして凛々しく見える」なんて、もっぱら鑑賞者の立場から考えているようですが、ハイヒールが人体の運動学からみて、いかに不合理なものであるかを、知らないようです。

 

歩くときの人間の足というのは、素足のときにいちばん本来のあり方が素直に現われますが、体を前進させつつ片足を前に踏み出すと、その踏み出した方の足は、必ず踵から先に着地するようにできています。上半身が前に移動するにつれて、体の重心はその踵の真上を通過して、つま先のほうへと移動するので、足が地に着く部分も、自然に踵からつま先へと移動します。そして、体の重心がつま先よりもさらに前まで移動すると、自然に、体重をもっと前の位置で支えようとして、もう一方の脚が前に出て、次の一歩が始まるようにできています。

 

このプロセスの前半では、踵が支点となりつつ、重心がその支点の上を通過するようになっており、後半では、つま先が支点となりつつ、重心がその支点の上を通過するようになっています。中途の一瞬は、踵とつま先の両方が均等に体の重みを受け止める状態になりますが、このとき、足の骨の微妙な湾曲が、体重の負荷を吸収する絶妙な効果を発揮します。つまり、足の骨は土踏まずの真上でアーチの形になっていて、このアーチの真上に重力がかかる結果、アーチがその負荷を吸収して、踵とつま先へと分散し、踵にもつま先にも過大な負荷をかけることなく、「かかとに負荷がかかった状態」から「つま先に負荷がかかった状態」への交代が、衝撃なしに、なめらかに進むことになります(徐々にかかとへの負荷が減っていって、徐々につま先への負荷が増してゆく)。

 

踵とつま先がほぼ同じ高さにできている運動靴は、このような、素足で歩いた際の負荷の移動のしかたを忠実に再現するようにできているため、素足のときと同じストライドで歩いたり走ったりでき、そのうえで、道に落ちている釘や小石などから足の裏を守ってくれる役割が加わっているのだから、理想的な履き物ということができます。

 

それにひきかえハイヒールという履き物は、素足で歩いた際の負荷の移動のしかたをまったくシミュレートしません。実際にハイヒールで歩いてみればわかりますが、素足で一歩を踏み出すときのような「まず踵から着地して……」というやり方を実行しようとすると、踵が着地してからつま先が着地するまでの中間がスムーズな動きにならず、足首を挫きそうな、危ない状態が生じます。それは、土踏まずの上の例のアーチ構造が負荷を分散する役割をうまく果たせない「足全体が前のめりの」格好になるからなのです。

 

そのため、ハイヒールで歩く際には、足が地面に着地しているあいだだけでなく、宙に浮いて次の一歩への準備をしているときにも、着地時と同じ角度を保たせておかないと、次の着地がうまくゆかないようになっています。結果として、足首から先の足の姿を、つねに「つま先立ち」の形にしておかねばならず、着地した際の負荷はつねにつま先にかかり続けます。踵には歩いているあいだを通じて、ほとんど負荷がかかりません。靴を履いているにもかかわらず、足はつねに「つま先歩き」をしているのと同じ状態に置かれます。

 

だから、ハイヒールを履いて歩けば、2キロぐらい歩いただけで、つま先が痛くなってきます。無理に履き続ければ足の骨が変形して、外反母趾になります。

 

ハイヒールで歩くと、素足や運動靴で歩くときのような大きなストライドは確保できなくて、歩幅はおのずと小さくなります。特に意識して「女らしい」歩き方にしようと思わないでも、靴の形がそれを履く人を強制して、そのようにさせてしまうのです。それを見て「女らしくて慎ましやかでいい」というのは、もっぱら鑑賞する側に立っている男性の視点でしょう。

 

私は、先日告白したように、広い意味での性同一性障害者ですから、オジサン臭い服は大嫌いで、婦人物の服が大好きですが、それでも、ヒールの高さが7センチだの10センチだのいう本格的なハイヒールは、バカバカしく思えて、履きません。ヒールが5センチぐらいある履き物なら持っていますが、それも、片道2キロ以上の外出の際には履きません。体に悪いからです。

 

まあ、私にとって、若干ヒールの高い履き物は、遠目に「あれっ、女性かな?」と見える立ち姿を演出するための、お茶目な小道具に過ぎません。こんなものをどこへ外出する際にも履けなどと言われようものなら、それこそ責め苦です。

 

ところが世の中では、「女性が特にオフィスワーカーとして働く場合には、ある程度ヒールのある靴で勤めるのが身だしなみであり、それを守らない者は、接客時などに相手の印象を悪くするから、一人前のわが社の社員とはみなせない」というような、無言の圧力がかかるようにできています。実際、社内の服装規定で「女性はヒールのあるパンプス」と定めているところもあるようです。

 

それを、会社のお偉方の男性が強制しているだけではなく、女性自身も「ハイヒールを履いてこそ、背筋が伸びてシャキッとするから、ビジネスウーマンとしての臨戦態勢の気分が保てる」などとブログに書いている人もいるんですから、いやはや、この社会は「病膏肓に入る」だな、っと、嘆かわしくなります。

 

「ビジネスウーマンとしての臨戦態勢」とかいったって、それは、オフィスの中にいてこそのことでしょう。営業やちょっとした渉外事で、2~3キロ先まで往復しなければならないときは、いったいどうするんですか? 都心に勤めていれば、そんなに歩かなくてもいいですって? 冗談じゃない。地下鉄から地下鉄への乗り換えだけで、1キロ近く歩かされる駅はざらにあるじゃありませんか。大手町駅をごらんなさい。同じ時間に、男性の営業職や渉外職ならば、大きなストライドでバンバン走り回って、二倍の成果を挙げてしまいますよ。これは、女性の能力が劣っているからではなく、男性は職にふさわしい履き物を履かせてもらっているのに対して、女性は昔ながらの「お茶汲み」程度の行動半径にふさわしい履き物しか履かせてもらえないことの結果ではありませんか。

 

東日本大震災で東京都心からの大量の帰宅難民が発生したあの3月11日の夜、丸ノ内だの赤坂だのいうあたりのオフィスにハイヒールで出勤していた女性が、世田谷区だの川崎市だのまで歩いて帰るのに、どんなに難儀したかを考えれば、もう、あんな履き物を社会人女性全般に強制するような風潮は、見直すべきときに来ていると思います。

 

それなのに、見直しが進まないのはなぜでしょうか?

男女雇用機会均等法が施行されてからもう30年経つというのに、日本の多くの会社の経営陣の頭が古すぎるのです。「女性はハイヒールを履いてこそ、シャキッとして凛々しく見える」とかって、要するに、一部の男性好みのセックス・アピールが増すという程度のことでしょ。そんなことのために、均等法の精神を骨抜きにしていいんですか?

 

「日本国民はみんな、社会人になる前に半年か一年ぐらい、自衛隊への体験入隊を義務づけるといい」と言った稲田朋美前防衛大臣の口上に倣って言えば、「男性で経営陣に昇格したい者には、全員、女装サロンでハイヒールを履かせてもらって外出するという体験を、少なくとも一週間は義務づける」という制度を作ったらいいと思います。対象とされた男性は、初めてハイヒールを履いてみて、それが、半日の歩行にも耐えない不自然な履き物だということを痛感し、一方では女性にこんなものを履くことを義務づけておきながら、他方で、女性にも男性と同じ営業目標を課するということは、不合理だと気がつくでしょう。「ハイヒールなんていうものは、女装サロンで息抜きを楽しんでいるあいだだけの履き物。日常の身だしなみとして履くなんてことは願い下げ」と彼らに思わせることが、何よりの事態打開のきっかけになると思います。

 

男性用ハイヒールというのは、18世紀のファッションとしては実際に存在したそうですが、基本的に、自分の足で遠出する必要のない貴族階級の履き物であり、ナポレオン戦争後、男子たるもの国民皆兵でつねに戦場で動き回るにふさわしい履き物を履いているべきであるという思想が普及した結果、廃れたと、私は学んでいます。その一方、「女は男の玩具であり、慎ましくて、あまり大胆に動き回れない服装をしているほど、すてきだ」という、男性側の差別的で歪んだセックス・アピール観にもとづいて、女性の装いとしてのみ残ったと、私は学んでいます。

 

昨日も書いたように、女性看護師の制服は、昔はワンピース型の白衣にナースキャップと決まっていましたが、近年、多くの病院で活動に適したパンツ・ジャケット型の白衣が採用され、かつ、ナースキャップは廃止する病院が増えています。ナースキャップは、清潔そうに見えて実は清潔ではなく、また、看護師が頭をちょっと動かしたときに点滴用機器に当たってしまったりする危険性もあって、被らせる合理的理由がないとわかってきたからです。

ハイヒールもナースキャップと同じようなものです。どう考えたって、合理的なメリットなど、ありません。

看護師の制服が合理的に見直されている時代に、女性のオフィスワーカーに対する「身だしなみの習慣」(準制服と言ってよい)がどうして合理的な見直しの対象にならないのか、不思議でなりません。

 

ついでに言えば、ハイヒールという悪習に関するかぎりは、病院はむしろ先進的職場です。「ナースキャップ」という余計なものが強制されていた時代から、看護師がハイヒールを履くことは義務づけられてはおらず、むしろ禁止されていました。人の命を預かる現場で、そのスタッフにあんな危なっかしい履き物を履かせることは、事故につながり、危険だということを、病院経営者はみんな知っていたからです。病院では常識であるこのことが、オフィスでは常識にならないというのは、まことにおかしなことです。