プラネタリウム投影機「メガスター」と歌曲「心の草原」 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

先日、「かわさき宙と緑の科学館」に行ってきて、そこの光学式プラネタリウム(大平技研のメガスター)で投影される星空の美しさを再評価したという話を書き、

 

 

 

そのしばらく後に、「もう時効だから書いてしまう」と宣言して、私がかつて1979年に体験した「わたくし版『つゆのあとさき』物語」を書きましたよね(追記:その記事は、万が一関係者にご迷惑をかけてはいけないので、削除しました――9月27日)。

その直後に、左目を怪我して、隻眼状態となり、ブログもあまり長く書くのはしばらくお休みにしますなどと言い出し、みなさんにご心配をかけましたが、目下、左目の視力は落ちているものの、なんとか「ものが見える」状態には回復しておりますので、どうか余計なご心配はいただかなくて結構です。

ところで、連想があちこちへ結びつくのが今の私の心の状態で、さだまさしの「つゆのあとさき」を思い出したら、岡村孝子の初期のさわやかな一連の歌曲は、要するにあの「つゆのあとさき」への女性側からの「応答」なんじゃないかなどと思えてきました。そこで、彼女が1990年6月27日にシングルレコードとして世に出し、同日アルバム『Kiss』の冒頭を飾るオープニング曲としても世に出した「心の草原」について、その歌詞を味わうと同時に、「メガスターを作った大平貴之さんが、もし無名の大学院生だったときに、学習塾で年の離れた、まだ12歳の少女に会ったとしたら?」という架空のストーリーを考えてみましょう。

心の草原
                    作詞/作曲 岡村孝子

 

 

 

  夢を追いかけた瞳のその奥に
  映ってる青空を確かめるように
  遥か輝いた理想の大きさに
  少しずつ気づくたびため息をついた
     いつか叶えられると信じてる
     情熱届け
     あふれ出す思い
     誰かに伝えて
  光降りそそぐ 心の草原に
  色づいた ひとすじの風が吹き抜けた

  胸をすくようなせつない恋を知り
  繰り返し傷ついて夜を見送った
  愛がすべてではないと思うけれど
  幸せを探す気持ち失くさずにいたい
     みんな越えてゆくのね いつの日か
     思い出にして
     涙ふいた時
     何かが始まる

     きっと幸せでいて 大切な
     あなたの笑顔
     永遠に続く
     祈りのかなたで
  光降りそそぐ 心の草原を
  少しずつ 少しずつ前に進みたい

  少しずつ 少しずつ前に進みたい
                              (1990年発表)

さて、本日私が「創作」してみなさんにお話し申し上げるストーリーというのは、つぎのとおりです。

大平貴之さんは、1970年3月11日生まれですが、小さいころからのプラネタリウム・マニアで、中学生ぐらいのときから、「将来は今の機種よりもっとずっと進んだプラネタリウムを作ってみせるぞ」という目的意識を抱いていました。

 

 

 


モタモタ浪人してのつまらん受験勉強なんかやっているより、早く精密機械工学を身につけて、自分の夢の実現へ向けての歩みを始めたかった彼は、もしガリ勉すれば、東大理一なんか十分合格できたであろうすぐれた理工系頭脳の持ち主でしたが、学校は最短コースで済ませるべく、日大二高から内部進学で日本大学生産工学部機械工学科に進み、さらにあと二年知識を深めるために、日本大学大学院工学研究科精密機械工学専攻の修士課程に進んだそうです。一度も浪人なんぞしていませんから、早生まれであることとあいまって、大学院入学時は満22歳になりたての若さであったと思われます。

現在の大平技研の技術、つまり、プラネタリウムの恒星原板づくりを、「金属板にドリルで孔をあける」という遅れた方法から脱却させて、画期的新方法に変えてしまった技術の構想は、もうそのころまでには固まっていたと思われます。

そういう大平さんが、学資のためと、将来のプラネタリウム試作のための部品購入費を稼ぐ目的もあって、中学生相手の補習塾の数学の先生でもやったと仮定してみましょう(本当にそういうアルバイトをしたかどうかは、知りません)。

そこに、中学1年生になりたての12歳の少女がやってきて、数学の授業を熱心に聴くとともに、休み時間に大平先生に向かって「このあいだ渋谷の東急文化会館のプラネタリウムに行ってきました。星がきれいでした」と、ふと、発言したとします。

そしたら、その少女が何の気なしに言った「プラネタリウム」が、まさに自分が「あれを乗り越えよう」と考えている従来型プラネタリウムであって、あの星空再現法では、七等星以下の星を微細な光の点として表現することができないから、まだまだ不完全なんだということを知りつくしている大平先生は、少女に向かって「ああ、それはよかったね。じつはぼく自身、プラネタリウムは自作の小型機をすでに作っているんだけど、将来は渋谷のあのプラネタリウムを超える、もっともっといいプラネタリウムを作ろうと思ってね、今研究中なんだよ……」などと答え、そこから話がはずみ始めたであろうと、思います。

こうなると、その少女と大平先生は、その後、何週間にもわたって、休み時間になるたびに「大平先生のめざしている将来のすばらしいプラネタリウム」の話題でもちきりになっただろうと、想像されます。

大平先生は、きっと情熱的に、こう語ったでしょう。「あの、渋谷のプラネタリウムの、金属板にドリルで孔をあけて恒星を表現する方式は、もう、これ以上、進化させられない、行き止まりの技術なんだ。ぼくは、発想を転換して、ガラス板の上にごくごく薄い不透明な膜をコーティングして、それを宇宙の漆黒の闇に見立てて、そのコーティング部分をレーザーで灼くことで、直径数ミクロンという小さな孔を実現して、天の川を構成するような暗い星も、一点、一点の光の点として表現するという方向に、プラネタリウムを進化させたいんだ。基本構想はもうできてるんだけど、あとはそれを実現する技術の細部をどうするかなんだ。……」

少女は「大平先生って、すごいアイディアもっているんですね。夢を描くこと、必ず実現すると信じること、そういうことって、私も大好きです」などと言ったかもしれません。

大平先生は、「うん。でも、基本構想を抱いてから、それを実現する手順を考える段階で、乗り越えなくっちゃならない山がいくつも出てくるんだ。……たとえば、ぼくのプラネタリウムのアイディアの場合ね、まず、ガラスにコーティングする不透明な膜の素材を何にするか、それをいかにして極薄の膜であって、しかも光を通さないものにするかが、まず第一の検討課題なんだ。それからね、七等星より暗い、八等星、九等星、十等星、というのになると、星の数は等級のあとのものほど、飛躍的に多くなるんだ。レーザー光でコーティング部分を灼いて、小さな孔の一個一個をこしらえる作業は、手作業じゃできない。コンピューターでプログラムを組んで、自動制御で孔をあけていく必要が生じるんだ。その自動制御装置をどう作るか、じつはこの点がいちばんむずかしい。ぼくが目下、精密機械工学専攻の大学院に行っているのも、その準備のためなんだよ」とでも情熱的にしゃべりはじめたにちがいありません。

「先生、それって、すごい夢ですね。実現までにどのくらいかかると思ってるんですか?」と、少女は感心しながら言ったでしょう。

「うん、あと五年で基礎は築けると思うけど、商売になるプラネタリウムの新機種として、ぼくの名前『大平貴之』とともに、社会に売り込んで成功するには、あと十年は必要だろうな」と、大平先生は時間的見通しを語ります。

少女は「先生、
きっと叶えられるって信じてるんですね。その情熱、私も支持します。きっとその情熱は周囲の多くの人の心に届くと思います!」と、少女は感動してほとんど叫びます。

その晩、少女は、床に入ってもしばらく眠れずにいて、胸の高鳴りの原因は何だろうと考えたとき、はっと気づくのです。「あっ、わたしって、大平先生に恋しちゃったんだ」

さあ、それからがその少女にとっては、悩みの日々。「私が大学卒業して22歳になったときには、大平先生はもう32歳のひとかどの紳士。大平式プラネタリウムはついに商業的にも成功して、お金も入り、きっと先生はもう、30歳ぐらいの奥さんをもって、仲睦まじく暮らしはじめちゃってるわ。このわたしはどうしたらいいのよ~!」と、少女は悩みに悩むことになるでしょう。

愛(恋愛)がすべてではないわ。大平先生の将来の奥さんになってあげることだけが、大平先生の情熱を応援してあげる道じゃないわ。それは、わかっているのよ。でも、でも、わたし自身だって、幸せを探す気持ちは失いたくないのよ……」

この少女の心理を想像すると、「心の草原」の歌詞の意味は、ほとんど解けてしまうではありませんか!

岡村孝子自身は、「19歳で大失恋したことが発端になってシンガーソングライターとして生きてゆこうとの情熱が爆発した」、みたいなことを折あるごとに発言してますから(コンサート会場でも何度も聞いた定番のおはなし)、12歳のときに「大平貴之さん的」なずっと年上の人を慕ったという経験はしていないだろうと思いますが、それでも「心の草原」は、上に書いたようなせつない初恋をした女性のだれにとっても、胸に響く歌になっています。

 

 

     *     *     *

 

 

 

(以下、2024年6月2日追記)

 

当初からお断わりしてあるように、この「大平貴之さんと中学一年生の少女」という話は、もっぱらわたしの想像力の産物であり、フィクションです。

 

その後「プラネタリウム・クリエーター大平貴之」の名はますます有名になり、その履歴についても以前より詳しい情報がウェブ上に流れるようになりました。それによると、わたしが大平さんについて「一度も浪人なんぞしていませんから、早生まれであることとあいまって、大学院入学時は満22歳になりたての若さであったと思われます」と書いたのは、誤りでした。

 

大平さんは浪人こそしていないものの、大学在学中に1年休学しているそうです。ウィキペディアによると「途中1年間休学し、小さなメーカーでバイトをしながら製作資金を稼ぎ、製品作りの基礎を学ぶ」とあります。

大平貴之 - Wikipedia

 

だから、大学院入学時は満23歳だったのでしょう。