横浜媽祖廟 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

「旅行」というほど大げさな話ではありませんが、先週の水曜日、久しぶりに「横浜媽祖廟」にお参りしてきました。
天上聖母 - 横濱媽祖廟 (yokohama-masobyo.jp)


「媽祖(まそ)」というのは、中国の道教の女神で、福建省の海岸地帯からその信仰が起こり、今では中国本土や台湾のいたるところに広がって、華僑の進出先の多くの土地でも祀られている、たいへん人気の高い神様です。

もともとは宋の時代の西暦960年ごろに生れた歴史的人物だと言われ、神童のほまれ高かった乙女で、比較的若くして他界し、「生きたまま天に昇った」などとの言い伝えが生じ、この「媽祖」さまに祈って現に海難からのご守護をいただいたなどという話が広まって、宗教的に崇められるようになったのだ、とかいうことです。

媽祖 - Wikipedia

歴史上の人物が、史実はどうであれ、没後に宗教的に崇められるようになって、祈りの対象となり、その祈りを通じて奇跡的体験をする人などが実際に出てきて、一神教の絶対神に近いほどの信仰を集めるようになるという例は、宗教学的にはさほど珍しいことではないらしく、世界各地にいろんな形で存在するようです。

西洋や中南米のカトリック圏では「聖母マリア」がその例です。新約聖書の中のいちばん古い福音書と言われる「マルコによる福音書」では、マリアは非常にそっけない扱いしか受けていないのに、「ルカによる福音書」になると、マリアがイエス生誕前から自分の使命をかなりはっきり自覚していたかのような記述があって、新約聖書正典の範囲内だけで見ても、マリア信仰の歴史的発展のようすが、かいま見られます。さらにその後、カトリック教会が次々に付け加えていった「イエス出産後も生涯にわたって処女だった」とか「無原罪のお宿り(マリア自身がその母アンナの胎内に宿ったときから原罪をまぬがれていた)」とか「聖母被昇天(生きた身体のまま天上へ上げられた、つまり人間的な死を経験しなかった)」とかいう教義は、新約聖書の正典にあるものではなく、外典と呼ばれる文書(聖書正典には採用されなかった文書)や、非公式な伝承を根拠とするもので、それゆえ、プロテスタントではこれらの教義を認めていません。

にもかかわらず、そういう伝承上のマリア様を熱烈に信仰する風土のあるところでは、1917年のポルトガルのファティマの事件のような、多くの人が奇跡を実感するようなことが起こったりするのですから、まことに宗教というのは、ふしぎなものです。

太陽の奇跡 - Wikipedia

講談社選書メチエのシリーズに『聖母マリア―〈異端〉から〈女王〉へ』という本を書いている竹下節子さんという人は、信徒の子ども向けのマリアさまの本を翻訳したりしているところを見ると、ご自身カトリック教徒だと思われますが、講談社のこの大人向けの本ではマリア信仰の歴史的発展過程を冷静に跡づけていますから、マリア信仰の内容が狭い意味での「史実」でないことは、承知しておられるようです。にもかかわらずその「意義」は何となく認めておられるようです。カトリック知識人としては、ある意味でまっとうな立場かもしれません。

聖母マリア (講談社選書メチエ) | 竹下 節子 |本 | 通販 | Amazon

要するに、キリスト教以前のヨーロッパには大地母神への信仰というものがあって、人間だれもがその本性からしておのずと抱いている「母なるものへの宗教的渇望」のようなものに応えていた歴史があり、それがキリスト教成立以後は「マリアさまへの帰依」というふうに衣替えして脈々と続いてきたというのが、大局的にみた宗教史の真実なのだ、とでもいうことでしょうか。

シルヴァーナ・ガンドルフィさんが2010年に発表した小説『銃声の中のぼく(Io dentro gli spari)』の中には、シチリア島のパレルモで毎年7月14日の夜から15日の未明にかけて祝われる「聖ロザリーアの祭り」の熱狂的なありさまが、生き生きと描写されています。

Santa Rosalia - Wikipedia

Santa Rosalia (santodelgiorno.it)

 

一部のパレルモ市民にとっては、市の守護聖人である「聖ロザリーア」こそがマリアさまにもまして「われらにとっての、母なるおかた」なのかもしれません。竹下さんに評させれば「それもまたそれでかまわない」のかもしれません。

おもしろいのは、竹下さんが「聖母マリア」信仰の歴史を長々と跡づけてたどってみせたあげく、本の終わりのほうで(211~215ページ)、とつぜん中国の媽祖信仰にも触れておられることです。媽祖にも「天上聖母」という別名があり、カトリック文化圏での「聖母マリア」に比肩しうるということが、書いてあるのです。

カトリックの人たちが「マリアさま」として拝むものを、そしてまた一部のパレルモ人が「聖ロザリーアさま」として拝むものを、華僑の人たちは「天上聖母媽祖さま」として拝んでいるのであって、それはそれでけっこうなことなのだ、とでも言いたいのでしょうか。

実を言うと、私が先週思い立って急に横浜媽祖廟に行ってきたのも、たんに物見遊山に行ったのではなく、正式に「天上聖母」としての媽祖さまを礼拝するために行ったのです。三年半前の春先に、非常に苦しい状態に陥ったときに、媽祖さまなら何とかしてくださるかもしれないと感じて、横浜媽祖廟に祈願に行ったことがあるのですが、そのときのことのお礼をまだ申し上げていないということに、気づいたから、ちゃんと「お礼参り」に行ったのです。

人はだれでも「苦しいときの神頼み」をしたくなるものですが、喉元過ぎると何とやらで、お礼参りを忘れることが多いです。祈願したら必ずきちんとお礼参りをいたしましょう。

横浜媽祖廟は、横浜高速鉄道みなとみらい線(東京メトロ副都心線から、東横線を通じてつながっています)の終点元町中華街駅で降車して、中華街方面出口を出ると、すぐ近くにあります。お参りしたあとは、中華街のよりどりみどりのレストランで中華料理を食べたり、お土産を買ったりして、半日ぐらい楽しく過ごすことができます。